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ヴァネロペとラルフが象徴する「和解と別離」 『シュガー・ラッシュ2』が描く現実のほろ苦さ

リアルサウンド

19/1/13(日) 12:00

 プログラムされた「悪役」という役割に疑問を感じているラルフと、プログラムに不具合があるせいで、みんなから仲間外れにされているレーサー、ヴァネロペ。そんなはみ出し者のコンビが、昔ながらのゲームセンターを舞台に大活躍する前作『シュガー・ラッシュ』から6年。現実世界と同じ時間を経た続編『シュガー・ラッシュ:オンライン』は、大きな広がりを得て帰ってきた傑作である。監督は引き続き、『ズートピア』や『シンプソンズ』シリーズで知られるリッチ・ムーアとフィル・ジョンストンが務める。

参考:<a href=”https://www.realsound.jp/movie/2018/12/post-298678.html”>『シュガー・ラッシュ:オンライン』ジェンダーロールから自由に プリキュアとの共通点を探る</a>

 本作では、箱庭的なゲームセンターからオンライン空間に舞台を移し、「志の異なるラルフとヴァネロペがどのように歩んでいくのか?」というテーマで2人を描く。毎日が繰り返しの生活に満足しているラルフ。いっぽうで、慣れた暮らしに退屈し、スリルと冒険を求めてもいるヴァネロペ。その歩みの違いが、やがて大事件を巻き起こす。

 本作においてまず素晴らしいのが、オンライン空間の描き方である。80、90年代の懐古的なモチーフから作り上げられた前作は、アーケードゲームへの愛情たっぷりに描かれていたが、本作からは、作り手のインターネット愛がひしひしと伝わってくる。

 AmazonやGoogle、eBayといったWebサービスをはじめ、Facebook、Tumblr、Pinterestなど、数多のSNSが巨大なタワーを形づくり、ひとつひとつを見定める暇もないままに、次々とアイコンが写っては消えてゆく。Twitterの鳥が群れをなして飛ぶ。ユーザーがその間を浮遊し、ユーザーのまわりには広告が飛び交う。未来都市のデフォルメを施されたオンライン空間は、まさしく情報の洪水だ。カメラがほんの少し移動するだけで、ショーウィンドウをわたり歩くような陶酔を生む。

 初めてネットに接続し、あらゆるサービスを享受したときの高揚感を、ここまで完璧にとらえた映像は他にないだろう。情報から情報へ飛びうつるスピード感、新たな仲間と話す楽しみ、どこへだっていけるという万能感……圧倒的な迫力のCGは、これ以上を想像できないほどのクオリティに達している。

 また、この映画について考えるうえで、決して外せないのはフェミニズムである。歴代のプリンセスたちがわいわいと戯れる、反則技のようなトレーラーを目にした人も多いだろう。あのシーンはまず、ヴァネロペという不審者に遭遇したプリンセスたちが、警備を呼ぶのではなく、自衛を試みたからこそ生まれた点に、ディズニーの姿勢を垣間見ることができる。そしてプリンセスたちの、「大きくて力強い男性に助けられてるって思われてる?」「ならあなたは本当のプリンセスね!」という痛烈なセリフ!

 本作は、時代に合わせて価値観の更新を繰り返してきたディズニー・フェミニズムの、新たな一歩として記憶されるはずだ。主人公のヴァネロペも、安定した暮らしよりもスリルを求め、男性に依存することのない主体性を備えた現代的なプリンセスとして、なかなかうまく馴染んでいる。

 アクションあり、メタなジョークあり、時評あり、戦いを勝利で終わらせない驚きがあり、遊びや小ネタでニヤリとさせることも忘れない。非常に多彩で、ウェルメイドなこの作品は、2時間足らずでエンドロールを迎える。だが、失われていた均衡が回復し、丸くおさまる『ズートピア』や、前作『シュガー・ラッシュ』とは異なり、本作のラルフは痛みを抱え、不安定な心境に揺れたままだ。過渡的な状況のまま幕を降ろす今作に、不安やしんどさを感じた観客も少なくないだろう。

 ヴァネロペが、役割をこなす生活から、自分を試すことのできる新天地へと進んだことはひとえに素晴らしい。しかし前作から、ゲームセンターの営業中に自分のゲームを抜け出して他のゲームへ入り込むことは「ターボ」と呼ばれ、ゲームを危機にさらす禁忌として語られてきた。そのことを思えば、ヴァネロペがみずからの役割を放棄して冒険へと飛び出す決断は、かなりラディカルに映る。

 彼女の背後にはあきらかに、個人の尊重ーー共同体の利益の最大化よりも、個人の自由な選択を重視するーーというポリティカルな倫理がはたらいている。しかし、いくら個人が大切だとしても、いわば「ハイになる」ために故郷を危険にさらす行動を、倫理で正当化するのはなかなかむずかしい。「私は16人のうちの1人だから重要じゃない」と弁明してはいるが、ヴァネロペは王女であるばかりか、ゲーム内の最強レーサーであり、プレイヤーの人気も高い。

 目玉キャラ不在の「シュガーラッシュ」は、前作の状態に似て、潜在的な崩壊の危機にあるはずだ。本作のあとに、「リトワクさん、最近いつ来てもヴァネロペがいないよ~!」というプレイヤーのクレームを想像するのはたやすい。

 また、作中のヴァネロペは、かつて弱点であり、迫害をうける理由であったグリッチを逆に武器として利用する。他のキャラクターから見ればズルをしているように見えるが、それを咎められる描写はまったくない。だれも不満を言わないどころか、「不具合キャラ、最高!」というプレイヤーのセリフが重ねられるのは、いささか不穏である。

 この、作品にひやりと吹きこむ隙間風をどう捉えるべきだろうか。ヴァネロペの行動への肯定ととるか、あえて葛藤が切り抜かれた空白ととるかで、映画の評価が変わってくるだろう。

 2016年末の米大統領選は、女性や有色人種、LGBTのエンパワーメントを緊急の課題に押し上げた。だが同時に、切れば血の出る闘争を、知性を示すためのファッションアイテムに変えてしまった面もある。トランプ以後、差別をなくそうと声高らかに宣言するだけのアイデンティティ・ポリティクスは行き詰まりをみせ、現実的な着地点を探る段階に達しつつある。

 本作では、実際の解決策を示すまでには至らないが、状況や価値観の不均衡をあえてそのままにすることで、文字通り無言の問題提起をしてみせる。つまり、ヴァネロペのエゴやチートが不思議なほど咎められないのは、その判断を観客にゆだねる姿勢のあらわれなのだ。

 『ズートピア』に2016年なりの葛藤があったように、本作には2018年の葛藤がある。「共同体のため、自分を犠牲にしてプログラム通りの役割をこなす」女の子の物語をいま描くのはむずかしいが、かといって責任の放棄には危険もつきまとう……。この映画における分裂は、そのまま2018年の分裂と同期する。

 映画『シュガー・ラッシュ オンライン』の終点に置かれるのは、前作のような勝利、即位というお決まりのハッピーエンドではなく、和解と、別離である。一貫したテーマーー「志の異なる2人がどのように歩んでいくのか?」に示される答えは、香水のごとく振りまかれるきれいごとではない。

 矛盾を抱えながら前進すること。
 ひび割れた自分を受け入れること。

 そこでは、だれかを尊重するために、他のだれかの胸を痛めてしまうーーわたしたちが悲しいほどによく知る現実の空気を嗅ぐことができる。 (文=野村レオ)

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