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ぴあ

いま、最高の一本に出会える

第26回

川本三郎の『映画のメリーゴーラウンド』

『幸福の黄色いハンカチ』の原作者ピート・ハミルの話から、『フレンチ・コネクション2』…ヤンキース、ミッキー・マントルにつながりました。

隔週連載

19/6/11(火)

 山田洋次監督の『幸福の黄色いハンカチ』(1977年)の原作はニューヨーク、ブルックリン出身の作家でジャーナリストのピート・ハミル。日本版「リーダーズ・ダイジェスト」誌に載ったエッセイを読んで、黄色いハンカチで夫を待つ妻という話から山田洋次が話をふくらませた。
 映画が公開された頃は日本ではピート・ハミルはほとんど知られていなかった。知られるようになったのは80年代に入って、『ニューヨーク・スケッチブック』(高見浩訳、河出書房新社。1982年)が出版されてからだろう。
 1986年に『ニューヨーク物語』(宮本美智子訳、文藝春秋)が出版された折り、来日したピート・ハミルにインタビューしたことがある。
 面白い話をしてくれた。
 ジョン・フランケンハイマー監督の『フレンチ・コネクション2』(1975年)のなかに野球の話が出て来る。
 麻薬捜査のためフランスに渡ったニューヨークの刑事、ジーン・ハックマンが、相棒となったフランスの刑事、ベルナール・フレッソンに、こんな話をする。
 本当は野球の選手になりたかった。ヤンキースのテストを受けて、受かった。マイナーに入った。入ってみると一人、凄いやつがいる。走れるし、守備はいい。そして、でかいのを打つ。こんな奴にはとても勝てない。それで野球の選手をやめ刑事になった。このすごい奴が誰だと思う、ミッキー・マントルさ。
 いい話なのだが、野球のことをまるで知らないフランスの刑事には、ミッキー・マントルといってもまったく分からないのが笑わせる。
 ミッキー・マントルは、言うまでもなく1950年代から60年代にかけての黄金時代のニューヨーク・ヤンキースで活躍した強打者。背番号7は永久欠番になっている。
 このジーン・ハックマンの、野球好きなら記憶に残るセリフを書いたのがピート・ハミルなのだという。本人から聞いたのだから間違いないだろう。
 ピート・ハミルは監督のフランケンハイマーと親しく、「ジーン・ハックマンのキャラクターをうまく説明するエピソードが欲しい」と依頼され、このセリフを考えたという。
 もっともブルックリン生まれのピート・ハミルは本当はドジャースのファン(ロサンゼルスに本拠地を移す前の)。「だから本当はジーン・ハックマンをドジャースに入れたかったんだが、ヤンキースも知らないフランス人がドジャースを知る筈もないから」やむを得ずヤンキースにしたという。
 映画のなかでは、ジーン・ハックマンが「ヤンキースを知っているか」と聞くと、ベルナール・フレッソンが「ヤンキー、ゴー、ホーム」と答えるのが笑わせた。

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