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マーベル、DCに続く第三勢力 従来の“ヒーロー像”を逸脱する「ダークホースコミックス」の魅力

リアルサウンド

19/6/5(水) 8:00

 アメリカン・コミックス(アメコミ)原作映画の、近年における隆盛ぶりはご存知のことだろう。いまや“マーベル・コミック”と“DCコミックス”は、アメコミ出版業界の最大勢力として、世界規模の人々に知れわたっている。アメコミ業界の双璧を成す両社は、自社のコミックブックを担保に、映像事業に参入して久しい。両社はアメコミ出版会社としての枠組みを越えて、映画スタジオとしての認知を広めつつあるのだ。

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 アメコミ業界のトップを争うこの二大陣営に追いつけ追い越せと、年々業績を上げてきたのが“ダークホースコミックス”である。マーベル・コミック、DCコミックスに次ぐ、業界三番手の勢力、ダークホースコミックスは、先述のツートップに負けず劣らずの伝統ある出版会社だ。

 コミックブックの映像化に本腰を入れるツートップだが、これはダークホースコミックスも例外ではないのだ。ダークホースを代表するコミックス『マスク』『ヘルボーイ』『シン・シティ』などは、1990年代から2000年代にかけて実写化され、早々にコミックの枠を飛び出している。これらの“ダークホース映画”は、マーベルとも、DCともまるで違う、異なるカラーを確立し、独自の道を切り拓いている。その独自性の根底にあるものこそ、原作クリエイターを尊重した映画製作なのである。

 業界のメインストリーム(ここでいう“メインストリーム”とはアメコミ業界の主軸となるメジャー会社のこと)におけるコミックブック、キャラクターの権利等々は、基本的には出版各社に帰属する契約となる。業界ではこれが一般的だ。ゆえにスーパーマンやスパイダーマンなどは、会社が権利を持っているため、長い歴史の中でクリエイターを変更し、継続している。しかし、ダークホースは1986年の創立から現在に至るまで、コミックブックの著作権はクリエイターに帰属する方針を取っている。いわば、クリエイター・ファーストな会社なのだ。

 作品を生み出したクリエイターを第一に考える同社だが、これは映像作品の場合も同様である。『シェイプ・オブ・ウォーター』で第90回アカデミー賞作品賞をはじめとする4部門を受賞したギレルモ・デル・トロ監督がメガホンを取った『ヘルボーイ』(2004)、『ヘルボーイ/ゴールデン・アーミー』(2008)では、原作のマイク・ミニョーラが招聘され、映画向けのデザインなど幾つかを監修した。コミックスの原作者を映画製作に迎えることで、原作を逸脱するリスクを最小限に抑える狙いもあるのだろう。このことで“ダークホース映画”は原作の再現度がきわめて高い傾向にある。例えば、アメコミ映画全般を含めても、『シン・シティ』(2005)の原作リスペクト、また再現率は見事なものである。

 『シン・シティ』はフランク・ミラーによるグラフィック・ノベルを実写化した作品だ。監督はロバート・ロドリゲスだが、共同監督としてフランク・ミラーの名がクレジットされている。ほとんどのアメコミが色づけされたカラーであるのに対し、原作の『シン・シティ』はほぼ全編をモノクロで描き、その一部に赤、黄色、青といった原色系のカラーを配したアーティスティックな画風が特徴だ。映画はこの特徴的な部分をすべて再現し、陳腐な言い方だが、まさに“動くグラフィック・ノベル”と形容できる前衛的なアメコミ映画を創り出した。同じくフランク・ミラー原作の『300 〈スリーハンドレッド〉』(2006)で、同氏は製作総指揮に名を連ね、原作における鮮烈なアートを徹底して反映させている。

 かように、ダークホースの映像事業では、コミックブックの原作者をプロジェクトに投入することで、原作コミックスの雰囲気をより忠実に再現するだけでなく、大手メジャー会社には真似できない個性に富んだ作家性を内包させているのだ。クリエイター・ファーストな製作方針によって、コミックスと映像作品とにおける解釈の乖離は減り、作家それぞれの持ち味を映画に持ち込むことができる。いわゆる“ヒーローもの”を描くとなれば、メインストリームの右に出る者はいないだろう。しかし、『マスク』(1994)のように独創的で、『ヴァイラス』(1999)のようにユニークな作品というのは、ふり幅の広いダークホースだからこその妙技だろう。

 また、ダークホースコミックスの映像作品は近年、Netflixの独占作品として、世界規模に配信されている。配信中の『アンブレラ・アカデミー』(2019-)は、マーベル・コミックでいうところの“X-MEN”にも似た特殊な能力者たちを描く。物語はこうだ。ある日、妊娠経験のない43人の女性たちが、特殊な能力を持った赤ん坊を突然出産するという奇妙な事件が起きる。億万長者のレジナルド・ハーグリーヴズ卿は、そのうちの7人を養子にし、世界を救うスーパーヒーロー集団“アンブレラ・アカデミー”を創設する。

 しかし、作中で描かれるのは徹底して人間ドラマだ。闘いの描写がメインではない。そもそも、『アンブレラ・アカデミー』は7人の養子たちがそれぞれ大人に成長し、ヒーロー集団も解散となったある時点から始まるのだ。成長した7人にはほぼロクな奴はいないし、性格はバラバラ。薬物中毒者までいる始末だ。ダークホースのコミックスには、業界の定石を踏む“ヒーローもの”は少なく、倫理的なヒーロー像を大きく逸脱する、いわば“アンチヒーローもの”が多い。ここまでに紹介してきたダークホース映画のほとんどは、アンチヒーロー的なキャラクターを扱った作品がほとんどだ。下手をすればヴィランの定義に値する主人公までいる。世界にはヒーローとヴィランという明確な分け隔ては存在しないのだ。『ポーラー 狙われた暗殺者』(2019)の主人公がそれを物語っているように。

 誰がヒーローで、誰がヴィランなのか。ダークホースのコミックスとその映画は、人間の心理に迫った中立性を描くものが多く、こうした性質は映像作品においても、先述したクリエイター・ファーストな方針によって見事に反映されている。メインストリームにおける映像作品では、メガホンを取る監督のカラーが画面の端々にまで滲んでいるが、ダークホースの場合は違う。原作者が持つ独自のカラーによって、彩度の高い着色がなされるのだ。スーパーヒーロー飽和状態ともいえる昨今、ダークホースのような従来のヒーロー性を持たない映画群は、近い将来、アメコミ映画業界を牽引する存在となるかもしれない。

■Hayato Otsuki
1993年5月生まれ、北海道札幌市出身。ライター、編集者。2016年にライター業をスタートし、現在はコラム、映画評などを様々なメディアに寄稿。作り手のメッセージを俯瞰的に読み取ることで、その作品本来の意図を鋭く分析、解説する。執筆媒体は「THE RIVER」「IGN Japan」「映画board」など。得意分野はアクション、ファンタジー。

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