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アルルカン、“次世代名古屋系”という新たな個性 90年代以降シーンの変遷から考える

リアルサウンド

18/4/16(月) 13:00

 2013年10月の結成以来、凄まじい勢いでシーンを駆け上がるバンド・アルルカン。結成から1年3カ月後に開催した恵比寿リキッドルームでのワンマンを完全ソールドアウトし、今年12月にはZepp Tokyoで5周年記念ライブを開催することも決定している。アルルカンは暁(Vo)、來堵(Gt)、奈緒(Gt)、祥平(Ba)、堕門(Dr)の5人編成で、結成当初から“次世代名古屋系”を掲げ活動している。今回はこの“次世代名古屋系”というワードから、アルルカンについて考えていきたい。

■“名古屋系”の変遷

 そもそも名古屋系というものは90年代前半に名古屋を中心に活動したSilver-Rose、黒夢、FANATIC◇CRISIS、Laputa、ROUAGE、Merry Go Roundといったバンドが作り上げたヴィジュアル系におけるサブジャンルの名称のひとつである。当時、この名古屋系バンドに共通していた点が「ポジティブパンクの影響を受け、ゴシックの要素が強く、一般的なヴィジュアル系バンドに比べて陰鬱で歌詞が暗く重いダークでハードなバンド」であり、90年代後半から2000年代前半のバンドに強い影響を及ぼした文化である。

 アルルカンに名古屋系に共通する部分は決して多いとは言えない。それなのになぜ彼らは“次世代名古屋系”を名乗るのか。それは名古屋系という文化の定義の変遷によるものだと私は考える。

 コンポーザーの奈緒は名古屋系について「激しさと切なさが両立する音楽」と表現している。名古屋系バンドの定義は前述の通りだが、90年代のヴィジュアル系ブームもあり、ジャンル全体の音楽性がよりメロディアスに、その中でも名古屋系バンドは哀愁のある切ないメロディを歌うバンドが多かった。メジャーデビュー当時の黒夢をはじめ、「ダーク、ハード、メロディアス」をコンセプトに活動していたLaputa、Laputaとともに名古屋系二大巨頭と呼ばれたROUAGE、のちにヴィジュアル系四天王の一角としてポップセンスをいかんなく発揮したFANATIC◇CRISISと、名古屋系バンドは激しくも切ないメロディを歌うという認識を持たれるようになった。また、2000年を過ぎたあたりからDIR EN GREYの影響もあり、チューニングを下げ、よりヘヴィな音を出すバンドが増え、激しい音がハードからヘヴィに置き換わっていく流れも見逃してはならない。その影響はもちろん名古屋にも及び、かつての名古屋系の要素を持つバンドのほとんどが姿を消し、名古屋系の血統は途絶えたと言っていいだろう。

 そんな2000年代に台頭してきた名古屋出身バンドの代表格がlynch.である。彼らも先人たちと同じように硬派な雰囲気とメロディアスな要素を持っていたが、絶対的に出す音が違った。実際に葉月(Vo)もlynch.のことを「名古屋系ではない」と話しており、出す音に関しても「名古屋系にはモダンなヘヴィネスを追求してほしくない」と語っている。しかし、彼らにも少なからず名古屋系の遺伝子が存在するのは事実であり、そのlynch.の背中を追ってきたアルルカンも同様に脈々と受け継がれる名古屋系の遺伝子を持つバンドだと言えよう。ただ、これまでの名古屋系バンドと比べて、何かが足りなかったり、逆に何かが多かったり、ベクトルの向きが少し違うということなのではないかと思う。

■他者と手を取り理想を目指すアルルカン

 それでは、アルルカンは何をもって次世代なのかということに話を移したい。2015年に『ミュージックドラゴン』(日本テレビ系)に出演した際、名古屋系に関連する発言として、奈緒は「激しさと切なさの両立した名古屋系の音楽にメンバー個々のニュアンスを足し、新しい名古屋系として次世代名古屋系を名乗ることにした」と、また、暁は「誰もが誰かのフォロワーになってしまっているからこそ、バンド内の人の人間性が重要になってくる」と話している。

 ここで重要になるのがボーカル・暁の存在である。彼はこのバンドの象徴であり、彼の生き様や自身の気持ちとの向き合い方から紡がれる歌詞や言葉に胸を打たれ“ダメ人間”(ファンの総称)になった人も少なくない 。

生きてて楽しい事なんて
今までそんなに無かった?
それでも良い それでも良い。
だから感じることもある
「生きてきた」時間の上
どれだけ苦しんだとしても
いつか何かに変わってく
歪なままの僕らまるで
不完全なこの世界みたいで(「ジレンマ」より)

 アルルカンは元々、暁自身が“生きている実感を得る”ために始めたバンドであると言われている。彼らの代表曲のひとつである「ジレンマ」は、世の中に生き辛さを感じている暁だからこそ書くことができたものだろう。アルルカンの歌詞には、周りと違うことを肯定するメッセージが宿っている。さらに「クオリア」ではこう歌っている。

もし僕が“嘆く”なら
それはそう“生きた”から
誰かに何かされた所為じゃない
信じたい今までと綺麗事
僕から見えた“青”
それでもいつの日にか
「君の青は僕の青」
勘違いで良い そう言えたなら
烏滸がましくも誇らしく
そんな夢を抱いて生きよう(「クオリア」より)

 周りと違うことは悪いことではないし、決して分かりあうことはできないけれど、それを認めた上で分かりあえる日を夢見ているーーこれはライブでの一体感を重視せず、孤高の存在であった先人の名古屋系バンドとは絶対的に異なる点であり、アルルカンが“次世代名古屋系”として提示する新たな個性ではないだろうか。何にも媚びない孤高の存在であるからこそカリスマ的な人気を誇った名古屋系バンドと、同じ方向を向いてともに手を取り理想を目指すアルルカン。バンドのスタンスや音楽との向き合い方に違いはあるが、それもまた時代の流れに合わせた変化であると思う。

 これまでの名古屋系バンドを見ると、自分たちの核は失わずに、さらに自分たちの強みをプラスして独自の変化をしていったバンドが多い。黒夢はパンクやハードコア、Laputaはデジタルな方向へ、ROUAGEは歌心のある骨太なロックに人間味ある歌詞を乗せ、FANATIC◇CRISISはさらにポップな方向へ舵を切り、Merry Go Roundはよりマニアックにエログロ、アングラを煮詰めたように変わっていったように、進化の行く末はバンドによって様々だ。

 激しさと切なさの両立する楽曲に、暁にしか書けない詞を乗せるアルルカン。その歌詞も、結成当初の自分を見つけてもらうためのものから、見つけてもらえたその先で、自らが手を差し伸べるような歌詞に変化していった。アルルカンの世界は、これからもその進む速度に比例し、めまぐるしく変化していくだろう。彼らの理想郷に辿りつくために。(文=小崎恒平)

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