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「広告批評」1989年6月号に掲載されたJ-WAVEの広告。(イラストレーター:ジェイ・バイゴン)

平成と共に育った音楽ジャンル“J-POP”の始まり

ナタリー

19/2/7(木) 22:00

日本の大衆音楽を意味する言葉としてすっかり定着した“J-POP”。この言葉はいったいどのように誕生し、どのように我々の日常に入り込んできたのだろうか。平成も終わる今、平成と共に育ったJ-POPの始まりについて、再考しておきたい。

なぜ“N”ではなく“J”なのか

J-POPとは日本製のポップスである、とまずは定義しておこう。しかしこれがなかなかクセモノである。平成最後の年である西暦2019年現在、この言葉が持っていた意味はほぼ消失している。多くの人は単にCDショップの邦楽フロアに並ぶ作品のジャンルの名称だと思っていないだろうか。しかしJ-POPという言葉が本来背負っていた意味は別にあった、はずだ。

1987年4月に国鉄が民営化に伴いJRに名称変更、日本たばこ産業が1988年10月からJTの略称を使い始め、1992年4月に農協がJAに、1993年5月にサッカーのJリーグが正式発足、といったふうに、“J”というのは80年代後半から広く使われ始めた略称である。“J”がジャパン / ジャパニーズであることは言うまでもない。ではなぜ“N”(ニホン / ニッポン)ではないのか。それはもちろん“海外から見た日本”という一度迂回した視線が込められているからだ。

来日ミュージシャンに日本のメディアが一番聞く質問は「日本の印象は?」だと言われるが、それほど日本人は自分たちがどう見られているかを気にする。「国際社会に適応するため」は表向きの答えで、ここにはペリー来航からずっと日本人が持ち続ける海外コンプレックス、いわゆる“欧米=上位・先端、日本=下位・追随”の図式がある。1980年代までの日本の“先端”とは「海外事情をいち早く取り入れた」もしくは「海外で評価された」と言い換えられる。

そうした意識格差を常に持ち続けながら、経済大国、ジャパンアズナンバーワンといったキャッチフレーズ、およびバブル経済による活況を経て、「日本はついに海外と肩を並べられる存在になった」という気分を象徴するものが“J”だった。2000年代に韓国エンタメ業界がK-POPを自称し始め、世界に打って出たときも、かつての日本と同じ高揚感を持っていたはずである。違うのは、J-POPが海外チャートに食い込むことはほとんどなかった点だ。“J”はいつからか海外を意識することをやめてしまい、日本国内だけの内向きの消費活動に落ち着いてしまった。日本の音楽メディアだけが伝え、日本の音楽ファンだけに売れる、日本の音楽マーケットの内需の大きさに頼ったサイクルができあがってしまった。そしてマーケットは縮小し、“J”を名乗った頃の威勢のよさが消えていったのが2000年代である。

J-POPという言葉はいつ誰が発明したのか

話を急ぎすぎたので一旦始まりに戻そう。果たしてJ-POPという言葉はいつ誰が発明したのか。幸いにして、そんな単純な疑問についてはすでに調査がされている。ジャーナリストの烏賀陽弘道氏が著書「Jポップとは何か -巨大化する音楽産業-」(2005年 / 岩波書店)でその誕生について取り上げているのだ。それによれば、1988年10月1日に開局したFMラジオ局・J-WAVEが作った言葉だった。海外の音楽しか流さないことが売りだったJ-WAVEが流す日本の音楽。洋楽と並列に聴ける邦楽。それがJ-POPだったのである。そこには「『J-WAVEで邦楽がかかるということはスゴイことだ』という貴重性を出したい」(前掲書・P6)という目論見があったという。

当初は“ジャパニーズ・ポップス”“ジャパン・ポップス”“シティ・ポップス”“タウン・ミュージック”などの案も出たようだが、最終的に「ジャパン・ポップスにしてもジャパニーズ・ポップスにしても『J』は同じなんだから『Jポップ』でいいんじゃない?」(前掲書・P7。脱字は修正)という意見が出て、J-POPと呼ぶことに決まった。残念ながらこの会議での肝心の発言者が誰だったかは不明のままだ。

当時のラジオ番組欄を確認してみると、文字列として“J-POP”が登場したのは、1988年11月14日放送の番組「TOKIO HOT WAVE」の第2部パート「J-POPクラシックス」が初である。「TOKIO HOT WAVE」の番組自体は1988年10月最終週から放送しており、おそらく初めからこのJ-POPコーナーは存在していたはずだが、これ以前の番組欄には番組名しか載っていないため断言できず、具体的な番組内容がテキストで書かれたのはこの日が初となる。J-POPの誕生は1988年10月のどこか、公に文字になったのは11月14日。というところでいかがだろう。

J-WAVEだからJ-POP。だとすれば、J-WAVEという局名を付けたのは誰か、という疑問も一緒に片付けておく。それはセゾングループ代表として一時代を築いた故・堤清二氏である。堤氏の部下だった林野宏氏が、著書「BQ ~次代を生き抜く新しい能力~」(2012年 / プレジデント社)にJ-WAVEの新規立ち上げ時の話を記している。

「申請のとき、私が考えた放送局名は『FM24』でした。24時間、ひたすら音楽を流し続けるというコンセプトがよくわかると考えたからです」「ところが堤さんは、企画書を見て『おしゃれじゃない』と一刀両断。代わりに『J-WAVE』と名づけました。理屈から入る普通の経営者に、こうしたネーミングはできません。さすが文化人は違う、とうなさられた瞬間でした」(P19)

1970年代から1990年代にかけて、西武百貨店を中心に、美術書と現代音楽の店「アール・ヴィヴァン」、現代思想の棚で一時代を築いた書店「リブロ」、世界中の音楽が集まっていた音楽ショップ「WAVE」など、海外の最新文化を日本にいながら享受できる環境を作り上げたセゾングループの影響力は、J-POPの頭文字にまで及んでいたのだった。セゾンの文化戦略はまさに“海外と肩を並べた日本”を演出したもので、“J”とリンクしていた。

東京の外に少しずつ広まっていくJ-POP

その後、J-POPという言葉はじわじわと使用例が増えていき、1990年代を経て一般名詞化していく。前掲「Jポップとは何か」によれば1990年9月開店のタワーレコード大阪店(後に心斎橋店に改名)で“J-POP”という棚がすでに作られていたというから驚きだが、それを偉大な例外とすると、1992年4月に放送開始したFM FUJIの音楽ラジオ番組「J-POP PARADISE」とその後身番組「J-POP SQUARE」(タワレコ新宿店にサテライトスタジオがあった)、1992年10月に放映開始した群馬テレビの音楽情報番組「J-POP」(~2009年3月)などが、比較的早い例である。FM FUJIはそれ以前から番組「SOUND SPEC」内で「JAPANESE POPS」と題して日本のポップミュージックを流していたものの、J-POPと銘打ったのは「J-POP PARADISE」が初だった。また、FM大阪が1993年に始めた「Jay-Land Shuffle(Jランドシャッフル)」は、番組名こそ違うが関西で最初にJ-POP専門番組を謳ったという。海外では、アメリカのパソコン通信システム「GEnie」に1989年にはすでに日本の音楽についてやり取りする「JPOP - Japanese Popular Music News」という掲示板があったことも付け加えておく。

これらの事例からもわかるように、“J-POP”は1993年前半頃まではJ-WAVEを除くと主に非東京圏で使われていた。これは東京ではJ-WAVEが発案した言葉ということで同業他社としてはそれをそのまま使うのは面白くない、と考えられていたからではないだろうか。反対に、東京っぽさのある言葉として非東京圏では面白がられて使われたのかもしれない。東京でラジオ以外の場に広まったのは、タワーレコード渋谷店が1995年3月に現在の場所に移転オープンした際、2階にJ-POPフロアを新設したのがきっかけではないかと推測している。

余談だが、1984年に結成され1993年にメジャーデビューした埼玉県出身の3人組ロックバンドに、その名も“J☆POP”がいる。中心人物の長谷川録司(Vo, B)が日本の古い歌謡曲が好きだったため、ジャパニーズポップスを略してJ☆POPと名付けたという。恐ろしく先見性のあるネーミングであった。

J-POPとは当初どんな音楽のことだったのか

次にJ-WAVEで流れていた日本の音楽を確認しておきたい。言い換えれば、J-POPとは当初どんな音楽のことだったのか。数字から推測してみよう。J-WAVEが集計している独自のヒットランキング「TOKIO HOT 100」をまとめた「J-WAVE TOKIO HOT 100 '88-'97~TOKIOヒットチャート・ヒストリー」(1997年 / 音楽之友社)という本がある。

これを参考に、1988年10月~1997年3月の間にチャートインした日本人アーティストを抽出して、2年以上にわたり登場しているアーティストを集計すると、下記のようになった。キャリアが長いほど有利になってしまうが、ひとまず長く登場しているアーティストほど、J-WAVEが想定したJ-POPの定番と考えていいはずだ。

  • 8年登場:松任谷由実、DREAMS COME TRUE
  • 7年登場:サザンオールスターズ、杏里、今井美樹、山下達郎
  • 6年登場:久保田利伸、米米CLUB
  • 5年登場:ピチカート・ファイヴ、大貫妙子、藤井フミヤ
  • 4年登場:COSA NOSTRA、ICE、Mr.Children、ORIGINAL LOVE、FLYING KIDS、稲垣潤一、高野寛、小田和正、小野リサ、槇原敬之
  • 3年登場:Char、My Little Lover、SMAP、UA、TRF、かの香織、スピッツ、奥田民生、角松敏生、高橋幸宏、佐野元春、坂本龍一、小沢健二、大黒摩季、竹内まりや、渡辺美里、東京スカパラダイスオーケストラ、浜田省吾、鈴木雅之
  • 2年登場:B'z、EAST END×YURI、EPO、GREAT3、NOKKO、PSYCHEDELIX、PUFFY、THE BOOM、United Future Organization、ZARD、ウルフルズ、カズン、Cornelius、スチャダラパー、BARBEE BOYS、フリッパーズ・ギター、プリンセス プリンセス、安室奈美恵、井上陽水、岡村靖幸、吉田美奈子、吉田美和、原田知世、古内東子、広瀬香美、高橋真梨子、高中正義、上々颱風、森高千里、浅田祐介、大江千里、中西圭三、徳永英明、爆風スランプ、氷室京介、布袋寅泰、矢野顕子、遊佐未森

一見して、1970~80年代にニューミュージックと呼ばれたアーティストが上位でまず目立っている。ただしニューミュージックならなんでも流すわけではなく、例えば代表的な存在である松山千春やさだまさしは流れていない。おそらくアメリカ西海岸ロックに影響を受けているのはいいが、フォークソング調は流さない……など独自の判断基準が存在したのだろう。また、1980年代を席巻したアイドルの楽曲はほぼゼロ。バンドはソニーからデビューしたミュージシャンに偏っているように見える。

ここでさらにふるいをかけて、1989年以降にデビュー、つまり平成デビュー組だけにするとこうなる。

  • 5年登場:藤井フミヤ
  • 4年登場:COSA NOSTRA、ICE、Mr.Children、ORIGINAL LOVE、小野リサ、槇原敬之
  • 3年登場:My Little Lover、SMAP、UA、TRF、かの香織、スピッツ、奥田民生、小沢健二、大黒摩季、東京スカパラダイスオーケストラ
  • 2年登場:EAST END×YURI、GREAT3、NOKKO、PSYCHEDELIX、PUFFY、THE BOOM、United Future Organization、ZARD、ウルフルズ、カズン、Cornelius、スチャダラパー、フリッパーズ・ギター、安室奈美恵、吉田美和、古内東子、広瀬香美、上々颱風、浅田祐介、中西圭三

まず、1990年代を席巻した小室哲哉プロデュース作品がTRFと安室奈美恵のみ。同様に90年代チャートの常連だったビーイング系列は大黒摩季とZARDのみ。ヴィジュアル系と呼ばれたミュージシャンがいない。SMAPはクラブミュージックを意識したサウンドを始めてから(「KANSHAして」以降)。といったふうに、オリコンチャート上位だからといってJ-WAVEが流すわけではないのが確認できる。

独自性が見えるのは、小野リサ、THE BOOM、上々颱風などの日本におけるワールドミュージック的サウンド。特徴的な歌声で親しまれているNOKKO、吉田美和、浅田祐介、中西圭三、UAといったボーカリストたち。そしてCOSA NOSTRA、ICE、ORIGINAL LOVE、小沢健二、東京スカパラダイスオーケストラ、GREAT3、United Future Organization、Corneliusといった、クラブミュージック以降の感覚でポップスを奏でる“渋谷系”と呼ばれたミュージシャンらの頻出具合である。こうした選曲にはおそらく“世界から見た日本の音楽 / 世界を意識した日本の音楽”という視点があったのではないだろうか。

J-POPの代表が渋谷系だった理由

渋谷系がJ-POPとして扱われている例には注目したい。なぜなら、今そんなことを言う人はいないが、まだ渋谷系という言葉がない頃(1993年9月以前)、渋谷系ミュージシャンをJ-POPの代表として扱う傾向が強かったのである。これはJ-POPを単純に“Japanese Pops / 日本のポップス”と解釈したためで、はっぴいえんどやサディスティック・ミカ・バンドから連なる日本のポップスの伝統を受け継ぐ現在形のミュージシャンとして彼らは認識されていた。

それを端的に示すのが音楽誌「WHAT's IN?」1993年7月号の特集「素晴らしきJ・POPの世界」だ。この特集は音楽誌がJ-POPという言葉を使った例では特に早いもので、大きく取り上げられているのはORIGINAL LOVE、ピチカート・ファイヴ、L⇔Rの3組。そこに1970年代から始まる日本のポップスの歴史的名盤の紹介記事が併記されている。

類似した内容はほかの雑誌でも見られる。「シティロード」で1993年8月号、10月号、1994年1月号の3回にわたって行われた「検証japanese pops」特集は、大瀧詠一から始まる日本のポップス史、細野晴臣から始まる日本のポップス史、フリッパーズ・ギターから始まる日本のポップス史……と毎回裏テーマを設定した記事で、やはりはっぴいえんどからフリッパーズ・ギター以降までを“japanese pops”という線でつなごうとするものだった。「ELLE JAPON」1993年11月号の記事「SHIBUYA発ジャパンポップがキャッチーだ」は、ピチカート・ファイヴ、小山田圭吾、小沢健二など新しい傾向のミュージシャンを紹介する記事で、副題は「NEW WAVE OF JAPANESE POPS」だった。

つまり、J-POPは“海外と肩を並べた日本”の音楽部門であるのと同時に、これまでの伝統を受け継ぐ存在でもあった。そうして見たときに、1990年代は渋谷系ミュージシャンがその位置にあると考えられていた。実際に、ピチカート・ファイヴやCorneliusは海外進出して一定の人気を獲得しており、“海外と肩を並べた日本”の具体例だったのである。J-POPという言葉の誕生の背景にあった思想からすれば、正しくJ-POPであった。

平成最後の年のJ-POP

1990年代後半からCDショップの邦楽フロアに並ぶ作品のジャンルの名称にJ-POPが使われ始めたことで、なし崩し的に、海外と肩を並べているか否かに関わらず、ほとんどの日本製ポップスがJ-POPと呼ばれるようになってしまった。もちろん、それまでもそのように使われている例はテレビやラジオ番組ではいくつか見つかるのだが、この時期を境に、J-POPとはむしろ洋楽と並列に聴けない“日本人向けのドメスティックなポップス”へと意味が逆転してしまったように感じる。

しかしJ-POP誕生の頃に夢見られていた“世界と肩を並べた日本”の音楽という未来は決して暗くない。YouTubeの興隆や、SpotifyやApple Musicなどのストリーミングサービス全盛の時代になって、これまで物理的入手が難しかった日本のミュージシャンの音楽が気軽に海外で聴かれるようになった。Perfume、BABYMETAL、ONE OK ROCK、SEKAI NO OWARIといった現役ミュージシャンの海外での活躍はもちろん、過去の音楽についても、例えば竹内まりやの楽曲「PLASTIC LOVE」がYouTubeで2000万再生数を超えたとか、フィッシュマンズが海外音楽サイト「RATE YOUR MUSIC」で高評価を得ているとか、細野晴臣のアルバムが海外で一斉リイシューされるとか、そうした新旧合わせた“ディスカバージャパン”が海外で始まっているのだ。

平成の始まりとほぼ同時期に誕生したJ-POPは、平成の終わりになって再び、洋楽と並列に聴ける日本製ポップスという役割を思い出した。J-POPの全盛期は、実はこれからかもしれない。

参考:「J-WAVE TOKIO HOT 100 88-97~TOKIOヒットチャート・ヒストリー」(1997年 / 音楽之友社)掲載の日本人ミュージシャン

1988年:久保田利伸、爆風スランプ、氷室京介、サザンオールスターズ、大江千里、山下達郎、米米CLUB、松任谷由実、BARBEE BOYS、REBECCA、TM NETWORK、プリンセス プリンセス

1989年:THE BLUE HEARTS、爆風スランプ、久保田利伸、BARBEE BOYS、岡村靖幸、玉置浩二、遊佐未森、佐野元春、COMPLEX、大沢誉志幸、サザンオールスターズ、種ともこ、崎谷健次郎、杏里、浜田麻里、松任谷由実、小野リサ、Char、小林武史、小森田実、DREAMS COME TRUE、竹内まりや、角松敏生、鈴木雅之、氷室京介、松井常松、憂歌団、山下達郎、米米CLUB、稲垣潤一、今井美樹、ZABADAK、EPO、坂本龍一

1990年:サザンオールスターズ、松任谷由実、プリンセス プリンセス、HOUND DOG、坂本龍一、高野寛、Char、EPO、今井美樹、CHAGE & ASKA、STARDUST REVUE、米米CLUB、GO-BANG'S、JITTERIN'JINN、高橋幸宏、遊佐未森、山下達郎、稲垣潤一、小野リサ、東京スカパラダイスオーケストラ、フリッパーズ・ギター、FLYING KIDS、小田和正、谷村有美、SEIKO(松田聖子)、杏里、桐島かれん、ピチカート・ファイヴ、りんけんバンド、渡辺美里、たま、岡村孝子、大貫妙子、喜納昌吉&チャンプルーズ、上々颱風、大江千里、海の幸、角松敏生、KATSUMI、RCサクセション、KAN、徳永英明、井上陽水、吉田美奈子、DREAMS COME TRUE、B'z、布袋寅泰、永井真理子

1991年:東京スカパラダイスオーケストラ、小田和正、コシミハル、米米CLUB、Jupiter Project、杏里、ジョニー吉長、小川美潮、ARB、SANDII、上々颱風、稲垣潤一、高橋幸宏、ブレッド&バター、ランキン・タクシー、TMN、ムーンライダーズ、高木完、国府弘子&イヴァン・リンス、原由子、山下達郎、ピチカート・ファイヴ、角松敏生、渡辺貞夫、鈴木雅之、東京パノラマ・マンボ・ボーイズ、鈴木博文、小野リサ、槇原敬之、フリッパーズ・ギター、麗美、浜田省吾、佐野元春、立花ハジメ、久保田利伸、大貫妙子、布袋寅泰、坂本龍一、Char、矢野顕子、DREAMS COME TRUE

1992年:松任谷由実、DREAMS COME TRUE、小田和正、大貫妙子、喜多郎、NOKKO、米米CLUB、ZOO、尾崎豊、杏里、TUBE、渡辺美里、PSYCHEDELIX、サザンオールスターズ、高橋真梨子、吉川晃司、DREAMS COME TRUE

1993年:今井美樹、大貫妙子、杏里、中西圭三、井上陽水、ORIGINAL LOVE、ピチカート・ファイヴ、WANDS、大黒摩季、YMO、森高千里、山下達郎、Monday満ちる、ZARD、Z団、浜田省吾、久保田利伸、米米CLUB、FLYING KIDS、槇原敬之、サザンオールスターズ、松任谷由実、徳永英明、藤井フミヤ

1994年:ORIGINAL LOVE、ICE、TRF、DREAMS COME TRUE、平松愛理、Cornelius、竹内まりや、高橋真梨子、NOKKO、藤井フミヤ、稲垣潤一、中西圭三、矢野顕子、かの香織、松任谷由実、今井美樹、高中正義、小沢健二、杏里、小野リサ、伊東たけし、THE BOOM、大貫妙子、槇原敬之、EAST END×YURI、CHARA、桑田佳祐、高野寛、奥田民生、COSA NOSTRA、Mr.Children、桑田佳祐&Mr.Children

1995年:桑田佳祐&Mr.Children、吉田美奈子、佐藤竹善、松任谷由実、久保田利伸、EAST END×YURI、福山雅治、高野寛、奥田民生、DREAMS COME TRUE、小沢健二、スピッツ、THE BOOM、藤井フミヤ、TOWA TEI、日置明子、長谷川真奈、ORIGINAL LOVE、矢野顕子&宮沢和史、サザンオールスターズ、スチャダラパー、東京スカパラダイスオーケストラ、岡崎葉、L⇔R、TRF、かの香織、GEISHA GIRLS、田村直美、ICE、SMAP、今井美樹、TOKYO No.1 SOUL SET、GREAT3、H Jungle with t、COSA NOSTRA、THE CHANG、FUNK THE PEANUTS、My Little Lover、Mr.Children、古内東子、FLYING KIDS、United Future Organization、HOOPER、THE HIGH-LOWS、岡村靖幸、鈴木雅之、浅田祐介、Cornelius、カズン、吉田美和、大黒摩季、竹内まりや、広瀬香美、ウルフルズ、KOJI 2000、山下達郎、カスタネッツ

1996年:ウルフルズ、ICE、吉田美和、大黒摩季、かの香織、ACO、Mr.Children、AGHARTA、広瀬香美、カズン、斉藤和義、宮本浩次、小田和正、IA、スピッツ、佐野元春、王様、本木雅弘、ピチカート・ファイヴ、SMAP、渡辺満里奈、AKIKO、ORIGINAL LOVE、COSA NOSTRA、高野寛、サザンオールスターズ、山下達郎、TRF、My Little Lover、久保田利伸&ナオミ・キャンベル、GREAT3、古内東子、PLAGUES、加藤紀子、華原朋美、SATOSHI TOMIIE、ISIS、安室奈美恵、宇徳敬子、松田聖子、UA、ZARD、YEN TOWN BAND、相川七瀬、中谷美紀、奥田民生、スチャダラパー、渡辺美里、高中正義、鈴木蘭々、森高千里、PUFFY、杏里、藤井フミヤ、浅田祐介、りょう、かせきさいだぁ、hitomi、小沢健二、PSYCHEDELIX、柿原朱美、山崎まさよし、BONNIE PINK、朝日美穂、今井美樹、ELLIE with the 99 1/2、槇原敬之、高橋幸宏、B'z、浜田省吾、松任谷由実、久保田利伸、CHARA & THE 99 1/2、FLYING KIDS、DREAMS COME TRUE、忌野清志郎と篠原涼子

1997年:My Little Lover、SMAP、具島直子、今井美樹、原田知世、UA、安室奈美恵、井上陽水&奥田民生、PUFFY、スピッツ、伊能静、CHARA & THE 99 1/2、SPEED、ICE、藤井フミヤ、United Future Organization、Mr.Children、COSA NOSTRA、UA、カジヒデキ、原田知世、エレファントカシマシ、猿岩石、サニーデイ・サービス、鈴木祥子、松任谷由実、ピチカート・ファイヴ

取材・文 / ばるぼら

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