Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play

ぴあ

いま、最高の一本に出会える

下村観山《老松白藤》(部分、山種美術館)の前で。左から遠山正道、山﨑妙子氏(山種美術館館長)、鈴木芳雄

第7回

遠山正道×鈴木芳雄「今日もアートの話をしよう」

「【特別展】皇室ゆかりの美術 ―宮殿を彩った日本画家―」 をめぐる

月2回連載

18/12/7(金)

鈴木 今回は遠山さんとも僕とも縁の深い山種美術館(東京・広尾)の館長、山﨑妙子さんをゲストに迎えて、現在同館で開催中の「【特別展】皇室ゆかりの美術 ―宮殿を彩った日本画家―」(2019年1月20日まで)をご案内していただきます。
 遠山さんと妙子さんは長年のお付き合いなんですよね?

遠山 そうですね、祖父の代からの付き合いなので、ある意味幼馴染でもあるんです。

鈴木 確かに、妙子さんのおじい様は山種証券株式会社を、遠山さんのおじい様は日興証券株式会社を創業されていますから、お付き合いも深くあったんでしょうね。そして現在、両会社はSMBC日興証券株式会社という一つの会社に。
 またおじい様たちは美術に大変造詣が深く、現在はそのコレクションを、山種美術館、そして遠山記念館という形で広く皆さんに公開されています。
 少しだけ山種美術館についてご紹介しておきましょう。山種美術館は、妙子さんのおじい様である山﨑種二氏が個人で集めたコレクションをもとに、1966年7月に日本初の日本画専門美術館としてオープン。収蔵されている作品は現在1800点以上というから驚きです。
 今回の展覧会には、1968年に完成された皇居宮殿を飾った日本画に種二さんが感銘を受けて、同じような作品をもっと広く多くの人に見てもらいたいと、実際に宮殿装飾を手がけた作家たちに同趣向の作品制作を依頼した作品が数多く展示されています。
 ほかにも、天皇の手になる書や宮家などに伝来した絵巻、そして宮家旧蔵の日本画をはじめ、1890年に皇室による美術の保護奨励の目的で設置された帝室技芸員制度(註1)にも注目し、帝室技芸員に任命された作家たちの優品も紹介しています。
 今回は、展覧会の中でも目玉となるいくつかの作品を、妙子館長に案内してもらうという、とても贅沢な時間を過ごしました。

註1:【帝室技芸員制度】
この制度は、明治維新によって幕藩の庇護を失い、困窮に陥っていた作家たちを救済し、皇室(帝室)保護のもとに優れた日本美術を奨励し顕彰する目的で設置。第1回の1890年から1944年の第13回までに計79名の帝室技芸員を任命。終身制の栄誉職として任命を受けるのは名誉なことであった。帝室技芸員は、皇室の御用をつとめたことに加え、国内外の博覧会出品作や海外輸出品の制作にも携わるなど、日本を代表する芸術家としても活躍した。

女性画家が描いた
臨場感あふれる屛風絵

野口小蘋《箱根真景図》、1907(明治40)年、紙本・彩色、山種美術館 上:左隻、下:右隻

山﨑 これは当時としては珍しい女性画家・野口小蘋(のぐちしょうひん、註2)の《箱根真景図》です。

鈴木 私たちが知っている屛風より少し小さい気がしますが。

山﨑 確かに少し小さいですね。高さが130センチ弱しかない背の低い屏風です。平安、鎌倉の頃は、このくらいの大きさでした。

遠山 竹田宮家旧蔵ってなっていますが、これはどういう経緯で描かれた屛風なんですか?

山﨑 これは1908年に、常宮昌子内親王(註3)と竹田宮恒久王(註4)がご結婚された時の調度品ではないかと考えられています。宮廷では古くから、ご即位やご結婚、長寿の祝いなど、さまざまなお祝い事のときに新しく屛風を作る伝統があったそうです。

鈴木 これは箱根から見た富士山の姿が描かれていますね。

山﨑 箱根権現のあたりから富士山を見る春の景色と、芦ノ湖畔塔ヶ島の箱根離宮を望む秋の景色が描かれています。建物は関東大震災と北伊豆の地震で倒壊して、現存していませんが、現在では、公園になっているようです。

鈴木 おそらくとても景色のいい場所に建っていたんでしょうね。

山﨑 富士山も見えるし、四季折々の美しい景色を堪能することができたと思います。

遠山 ということは、これは実景を描いてるんですか?

山﨑 はい。小蘋は宮内省から直々に、この景色を描いた屛風を揮毫するようにと命を受けて制作したんですが、いわゆる創造された景色を描いた「山水画」ではなく、実景を描いた「風景画」というのが、この作品の重要なポイントです。

鈴木 もしかしたらこれをスケッチした下書きなんかもあるかもしれないですよね。それが出てきたらぜひ見てみたい。

宮内省の命により制作された野口小蘋《箱根真景図》(手前、山種美術館)。同時に双幅の花鳥画の制作も依頼されたという。

遠山 私はこの野口小蘋っていう人を全然知らないんですが、どんな画家だったんですか?

山﨑 明治から大正にかけて活躍した女性画家です。この頃は南画を描いていました。

遠山 南画というのは?

鈴木 江戸時代後半、中国の明・清時代の文人画に触発されて流行した画風ですね。当時「南宗画」と呼ばれたことから、のちにそれを略して「南画」と言うようになったんですよね。特に有名なのが、池大雅や与謝蕪村。特に点描表現が特徴としてあげられますよね。

山﨑 そうですね。この絵でも、苔や草などが点描で表現されています。

遠山 点で描くというのは、印象派みたいですね。

註2:【野口小蘋】
1847年大阪難波生まれ。明治期から大正期にかけて活躍した女性画家。幕末期にあたる幼少時から詩・書・画に親しみ才能を示す。明治天皇の嫡母である英照皇太后に作品を献上するなど、皇室や宮家に関わる作品を多く手がけた。1904年には女性初の帝室技芸員を拝命し、女性画家の先駆けとして活躍した。

註3:【常宮昌子内親王】
1888年生まれ。明治天皇の第六皇女。1940年逝去。

註4:【竹田宮恒久王】
1882年生まれ。日本の皇族・陸軍軍人。1906年に武田宮の称号を賜り、宮家を創設。1919年逝去。

観山の遊び心?
蜂が飛ぶ吉祥図

下村観山《老松白藤》、1921(大正10)年 紙本金地・彩色、山種美術館 上:左隻、下:右隻

鈴木 そして小蘋に比べてまた一段と大きな屛風が並んでいますが、これは下村観山(註5)の作品ですね。

遠山 すごい迫力の作品。今度は伏見宮家旧蔵なんですね。