Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play

ぴあ

いま、最高の一本に出会える

DAOKO、他者により引き出される歌手としての変幻自在な魅力 MIYAVIコラボ曲を機に考える

リアルサウンド

19/7/5(金) 7:00

 DAOKOとMIYAVIのコラボシングル「千客万来」が7月3日にデジタル配信リリース。蜷川実花が監督したミュージックビデオもYouTubeにて公開されている。

(関連:DAOKO、キズナアイ……中田ヤスタカプロデュース楽曲に広がる新たな道 近年の作品から考察

 DAOKOはこれまでに米津玄師や岡村靖幸、中田ヤスタカといったアーティストたちとコラボレーションを果たしてきた。また、日本のアーティストだけでなく2017年にはBECKの楽曲にも参加したことも記憶に新しい。そして昨年から今年にかけては、過去にMr.Childrenなど数多くのアーティストをプロデュースしてきた小林武史ともタッグを組み話題を呼んでいる。いずれも音楽シーンの最前線で活躍するトップクリエイターばかり。いったいDAOKOのなにが彼らを惹きつけるのだろうか。多くのアーティストを魅了するDAOKOの魅力とはなにか。そこで今回は彼女の“歌声”に注目して考えてみたい。

 もともとはニコニコ動画への投稿がきっかけで音楽を始めたという彼女は、インディーズ時代はいわゆるラップがメインのスタイルで活動してきた。その頃は、〈街の喧騒 息が苦しくて えっと えっと 口ごもる迷路に反吐が出る〉(「BOY」より)のような都会で生きる苦しさを込めた歌詞であったり、〈みんなの普通が 私の苦痛 このまま淡々と 憂鬱つづくの?〉(「Ututu」より)といった少女の鬱屈とした心情を、深いブレスを織り交ぜながらラップする姿を見せていた。

 そんな彼女が昨年リリースした小林武史プロデュースによる「終わらない世界で」ではラップをせずに“歌声”を披露している。ただし、歌モノであっても彼女が当初から持ち合わせている“刹那性”や“純真性”は失わず、むしろそうした性質はより浮き立つようになっている。ラップにおける細切れのメロディが、歌うことによって引き伸ばされ、彼女の声が“伸長”したことで、より魅力が前面に押し出されているのだ。楽曲全体から切なく儚いイメージが醸し出されている。

 このような彼女の資質について、小林武史はインタビューでこのように答えている。

「何か壊しにいく感じと、ホーリー(神聖)なアイドル性が両方ある」

 自身の感情をストレートに吐き出す危うい少女像。自己の存在を必死に主張するような儚い魅力。「何か壊しにいく感じ」という表現は、おそらくデビュー以前からあるこうした彼女の雰囲気からもたらされているものだろう。

 対して、中田ヤスタカとの「ぼくらのネットワーク」において感情を抑えて歌う様子や随所で光る独特の“萌え感”は、Perfumeやきゃりーぱみゅぱみゅのようなある種の“アンドロイド感”をも感じ取れる。ボーカロイド的、初音ミク的とでも言うべきか、近未来的な“アイドル性”を感じ取れるのだ。

 このように彼女の“歌声”に注目してみると、そこには生々しい人間的な部分と、それと対局とも言える人工的な部分の両方の魅力を発見できる。しかもそれは、彼女がメジャーデビュー後に“歌った”ことで徐々に開花してきたものだ。ラップのみでは発揮し得なかった自身の魅力を外部からのプロデュースによって獲得しているのである。

 今回のMIYAVIとの「千客万来」でも、サビ入りでの怒涛の早口で歌唱する箇所の疾走感はメロディを持続させて“歌う”ことで得られる感覚に他ならない。この疾走感は旋律の動きの少ないラップだけでは決して得られないものだ。さらに言えば、そこで高らかに鳴らされるMIYAVIのギター演奏や、蜷川実花が得意とする極彩色の映像によって、独特の“サイバーパンク”な作品に仕上がっている。それは共演した二人によって引き出された新しい彼女の魅力だ。

 また、今作では歌い方をひとつに固定していないのもポイントである。Bメロで〈壊されたい〉というフレーズを何度も繰り返す様子はどことなくインディーズ期の儚い少女像を彷彿とさせる。その後の独特の節回しはラップ表現の延長にある歌唱法だが、ここでは怪しく妖艶なムードを漂わす。翻ってサビではしっかりと歌い上げることで解放感や疾走感を得ている。1曲を通して、歌とラップと、そのあいだ辺りを自在に行き来することで楽曲に様々なイメージを与えているのだ。カラーの異なる多くのクリエイターの作風にも馴染めるのも、こうした柔軟な技術によるものだろう。

 そして、どこか謎めいている彼女のビジュアルイメージも見逃せない。この不思議な佇まいが作家たちが“プロデュースしたくなる”意欲を湧かせるのだろう。高貴でありながら、若さがあり、リアルな感情を口にする芯の強さもある。多くのアーティストがDAOKOという素材を“料理したくなる”所以はそこにもある。

 以上のことを考えるにつけ、DAOKOのことを単なる“歌手”の枠に当て込むのには少し違和感がある。彼女はいわゆる旧来的な歌手像とは距離を置いた位置に立っているように思うからだ。ラップからスタートして歌うことで多くの魅力を発揮してきた彼女は、時には歌唱法すらも変質させながら、自分の声や容姿をうまく素材として提供し、外部プロデューサーによって様々な色に染まっていく。リリースごとに変容するイメージと、芯にある彼女の資質が化学反応を起こし、その都度変化していく様子を我々は味わっているのだ。(荻原 梓)

アプリで読む