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ピノキオピー、4thアルバム『零号』で“泥臭さ”を追求 ナゴムや大槻ケンヂからの影響も語る

リアルサウンド

19/2/27(水) 19:00

 今年10周年を迎え、カザフスタンのフェス『Star of Asia』のトリを飾るなど、ボカロPという枠組みを大きく超えて活躍するピノキオピーが4thアルバム『零号』を2月27日にリリースした。これまではシニカルな歌詞が特徴的だったが、本作では内省的な部分も盛り込んだ楽曲が目立っている。今回リアルサウンドではピノキオピーにインタビューを行い、自身のルーツやボカロ活動で得た経験や考えを振り返ってもらいつつ、『零号』に込めた思いを聞いた。(編集部)

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■自分の内から出るものを出した曲が増えた

ーーいつ頃からアルバムとしての構想は生まれたんでしょうか。

ピノキオピー:前のアルバムのリリース後、「ぼくらはみんな意味不明」という曲を作りはじめて、“意味”にフォーカスを当てようと思ったんです。それから“意味”とか“中身”を一貫したテーマにして、2年ぐらい作り続けてきましたね。

ーー“意味”ということにフォーカスした理由、あるいはきっかけは?

ピノキオピー:ネットで活動しているからかもしれないですけど、外側を良くすることは簡単にできると思うんですよ。自分の姿を隠した状態で、想像の余地を与えたうえで。それが大きな広がりになったりはするんですけど、作っている人自身の姿が、もっと伝わったほうが良いんじゃないかって思うようになったんです。外側だけで見せていくっていうよりは、その中にあるものに、もうちょっとフォーカスを当ててやれたら良いなっていう気持ちがあって。作品の向こうには人間がいる。人間がいて、さらにその中にも中身があるっていう部分が伝わったら良いなと。

ーー顔を出さないで、どういう人間であるかも表に出さないで、匿名でやる活動は、テクノなどでも普通にあることだと思うんです。

ピノキオピー:僕自身がそれじゃ物足りなくなったから、中身をどうこうっていうことになったのかもしれないですね。ボーカロイドっていう文化では、ボーカロイドを作っている人に、あんまりフォーカスが当たらないんですよ。

ーーあえてフォーカスする、されるのを避けてることもあるわけですよね?

ピノキオピー:そうです。中身が見えちゃうと嫌だっていうのもわかります。だけど絶対に、そこには人がいる。ボカロシーンの中にはいろんな変なものを作ってる人たちがいて、「この人が作ってるから良いのに!」って思う部分がけっこうあって。そういう人たちの姿がもっと見られたらと思っていたんです。最初の頃、僕はボカロが好きじゃなかったんですよ。アイドル的な感じでボカロに歌わせてた時期はあんまり興味がなくて。でも、アゴアニキさんの「ダブルラリアット」みたいに、泥臭い歌詞を歌わせたり、自身の作家性を出し始める人が現れてから、イメージが変わったんです。ボカロを始めた理由としても、やっぱりそこに人間が感じられたから。だけどシーンとしては、人の存在があまり感じられない。それが利点でもあるんですけど、なんか寂しいなという気持ちもあって。

ーーライブを頻繁にやられるようになって、最近になって顔も出されるようになったのは、その流れなんですか?

ピノキオピー:ボカロに限らず、音楽シーンを見渡したら、顔を隠してる人が増え過ぎちゃって、僕はそこに混じりたくないなと思っちゃったっていうのもあります。

ーー自分の素顔を隠してやることがかっこ悪いことだと思えてきたとか?

ピノキオピー:そうですね。そこは変化しましたね。昔はネットの匿名性ってミステリアスで良いと思ってたんですけど、逆にネットの匿名性に対して不信感が芽生えてきたというのもあります。匿名だからできることもあるんですけど、僕自身は、自分の好きなこととか、思っていること、面白いことを伝えたいほうなので、自分が前に出ていかないのは不誠実なんじゃないかって気持ちにはなりました。

ーーライブをやるようになり、顔も出すようになって、ピノキオピーという素の人間が出ることになった。そうすることによって、作るものは変わってきました?

ピノキオピー:歌詞を書くときの話なんですけど、僕はけっこう俯瞰で、天の視点から世の中の物事について語っていくみたいなやり方が多かったんです。そこに自分がいるようで不在の状態というか。他にやってない手法は何かなって考えたら、自分自身が自分の言葉で何かをするってことだって思って。『零号』制作の終盤になってくると、主観の歌詞を書いていたんですよね。自分の内から出るものをそのまま出した曲が増えたかなと。

ーー当然それは、自分自身と向き合うことにも繋がってくると思うんですけど、その辺の意識は変わってきましたか?

ピノキオピー:ありますね。正直な話、10年間ずっとボカロを使い続けてきて、ぼくがやれる範囲のことは存分にやってきたので、ちょっと息苦しくなってきています(笑)。

ーーなるほど。そういう考え方を進めて行くと、ボカロじゃなくて全部自分の歌でってことになりますね。

ピノキオピー:今作では、ボカロを前面に出しつつ、それを補填する形で僕の声を追加して、エネルギーを足してみたんですけど、一度、自分がメインで歌うプロジェクトもやってみたいなと思っています。ボカロ自体はやりたいし、やめないとは思うんですけど、自分自身が前に出て作ったらどうなるのかを、ぼんやり考えています。

ーー自分が歌うことで、何か変わってくるものってあるんですか?

ピノキオピー:歌詞が変わると思いますね。情報量もそうだし、人が歌いやすいかどうかという技術的な部分もありますし。あと、ボカロというキャラクターに意味を持たせることができなくなるかなって。この『零号』って、半分実験だったりはするんです。自分自身が思ってることを色濃く歌詞に反映させたらどうなるか。今、音楽シーンはボカロ的な鮮烈な歌詞を人が歌っても大丈夫な空気になっている気がするんですよね。前はちょっときつかったと思うんですけど。そういった意味でも、ちょっとチャレンジしたいなぁと思っています。

ーーなるほど。

ピノキオピー:とは言え、僕が前に出なくても曲を発表できるボカロ文化があったからこそ、僕は世に出て来られた。ボーカロイドを通じて音楽を作ったり、絵を描いたり、そういう文化の中で戦えるものが僕の中にあるから、その形は形で、今も面白いとは思うんですけどね。

ーーご自分が表に出てくると、曲の中で語られていることイコール、ピノキオピーそのものであるっていうように、受け手としては受け取りがちだったりもするわけですけれど、それは別に構わない? 同一視されても。

ピノキオピー:僕は構わないですね。曲には僕自身が思っていることがすごく含まれているし、同一視されることでやれるテーマもあるんじゃないかなって思っています。

■電気グルーヴと大槻ケンジからの影響

ーー毒のある言葉をうまい具合にユーモアに転換するという意味では電気グルーヴがいます。電気グルーヴからの影響は常々語ってらっしゃいますが、一番影響を受けたっていうのは、どういうところだったんですか?

ピノキオピー:精神性の部分が一番大きいですね。シニカルな部分であったりとか。でも基本的にふざけて、楽しんでるっていう部分に対して、僕は惹かれましたね。それと、リズムがある、フィジカルなものとしての電子音楽っていうものを、僕は電気から学びました。

ーーなるほど。(石野)卓球は、常々歌詞なんて意味はなくていいんだって言ってるわけですが、そこらへんはちょっと違いますか?

ピノキオピー:かっこいいなと思います。

ーー道端に落ちてるゴミぐらい意味がなくていいんだって言ってますね。

ピノキオピー:歌詞に意味がないほうが裾野は広いなと思っていて。余計な情報がないから。音楽の場合、その人の思想とか考えてることに共感できれば、音楽に対する高揚感はブーストされるものだとは思うんですけど、合わなかったら、いくら曲が良くても、歌詞に「んーーー??」っていう感じにもなったりするし。そういう意味で歌詞とか思想って、音楽において時にはノイズだと思うこともあるので、卓球さんのやっていることは、ホントかっこいいと思ってます。けど、僕がそれをやったところで、真似になっちゃうし。僕は、フォークとかそっちの音楽の、歌詞の部分がすごく好きだったりするから、僕ができることは何かなって考えた結果、意味を持たせつつ、リズムにも落とし込んだ形でできたら良いなって思ってます。

ーー今作のセルフライナーノーツで、「(Rotten)Apple dot com」について「歌詞の内容はなるべく意味のないものをと心がけて書いたんだけど、結果的に単語がなんとなく繋がって意味を持ってしまった」と書かれてましたね。

ピノキオピー:結局そうなっちゃうんですよね。突き抜けきれない。電気グルーヴの新譜を聞きましたけど、相変わらず、単語のイカれた組み合わせが最高でした。意味はないって言ってますけど、言葉選びのセンスにめちゃくちゃ痺れるんですよね。意味のない言葉選びに意味があって、卓球さんじゃないと選べない言葉を選んでる所に惹かれます。

ーーなるほど。音楽的な部分で、今回気を付けたこと、考えたことは?

ピノキオピー:音楽的な部分で言うと、ライブを想定して作ったものが多くて。オーディエンスがどう反応するかを意識して、尺はこのぐらい延ばすとか、合いの手が入るとか。前作もそうだったんですけど、さらに色濃く反映された気はしますね。あと、ひとりで全部やることは自由ではあるんですけど、自分の引き出しの中でしかできない視野の狭さを感じ始めました。益子(樹)さんにマスタリングをお願いしてるのもそうですが、もっと人に頼んでみて、どういう変化が返ってくるのかを探って、可能性を広げたいというのはありますね。ずっとひとりで曲を作ってきたので、もうちょっと他の空気を入れたい。風通しを良くしたいっていう気持ちが強いですね。

ーーライブやることも外部の空気を入れる行為ですね。

ピノキオピー:そうですね。サポートも2人いますし。ドラムが入ることで、こういうやり方があるか! という発見がある。ひとりでやるよりも、チームでやることで、新たな可能性を感じることが増えましたね。なので、制作においても、サウンド面でもっといろんな人の手を借りたほうが、クオリティが高まっていくのかなって気はします。ひとりでずーっと考えて試行錯誤しながら進むのも良いんですけど、そうじゃないやり方で刺激を受けて、自分の血肉にしていくっていうのも良いかと。

ーー自分ひとりで作っていると、1から10まで自分がコントロールできる世界じゃないですか。その一方で、歌詞っていうのは、常々ご自分でおっしゃっているように、曖昧な感情であるとかぼんやり感じているような、いわば明確な結論がないようなことを歌ってるわけですよね。それを1から10まで完璧に仕組まれたサウンドの中で表現するっていうのは、どうなんですか?

ピノキオピー:ああ、なるほど。そう言われてみれば確かにそうですね(笑)。そこは矛盾しているけど切り離して考えてます。打ち込みだと、サウンドの部分はきっちり決めて届けなきゃいけないけど、歌詞は解釈に自由が利くから、その分、遊びをもたせているのかもしれないですね。むしろ僕は、オケを作るよりも、歌詞を書くほうが好きなんですよ。音楽を聞くときも、人の歌詞が好きで聞くことが多かった。作曲始めたての頃は、コードもよくわかんないまま作ってたし、ハモりとかもぐちゃぐちゃ。あとから辻褄合わせればいいって考えで今に至るんです。僕は歌詞が書ければ良いぐらいの気持ちでやっていますね。

ーー歌詞で一番影響を受けてる人は?

ピノキオピー:大槻ケンヂさんの影響が大きいですね。大槻ケンヂさんは世間からのはみ出し者に寄り添う歌詞が多くて、そこに共感するんですが、はみ出し者ゆえの選民意識から「お前らと同じにされてたまるか!」と突っぱねる考えに対して、「お前はそう言ってるけど本当にそう言えるだけの力があるのか」という批判もしているんですよね。ただ寄り添うだけじゃなく、すごい俯瞰から物を見て書く。僕は昔、暗い歌詞書いときゃいいぐらいに思っていたんですよ。そのほうが真実っぽく感じるから。でもそんなのは薄っぺらい!と、大槻ケンヂさんの歌詞を見て思っちゃったんですよね。もっといろんな視点があって、君が暗く考えてるのはこういうことでしかないんじゃないのか、っていう身も蓋もないことを歌詞に書くというところに、僕はかなり影響を受けていますね。

ーーピノキオピーさんの歌詞は、シニカルで辛辣なことを歌っているようでも、最後にちゃんと救いを用意してますね。

ピノキオピー:僕自身がそうあってほしいんですよね。

ーーご自分はかなりネガティブなほう?

ピノキオピー:ネガティブだったのが、裏返って、結局ポジティブなんだなと思いますね。本当にネガティブな人に比べたら、失礼だって思うようになって(笑)。オーケンさんの歌詞を見て、そう思ったんですよね。僕は悩むタイプだと思ってたら、全然でした。

■僕がシーンの中心になったら、それはシーンとして不健全
ーーボカロを始めて、初めてちゃんと人に褒めてもらったっていうことは、よくインタビューでおっしゃっていますね。その実感っていうのが、影響してきたりとか?

ピノキオピー:それはあると思いますね。ボカロを始める前、自作の曲を無理やり友達に聞かせたりしていて、最初は物珍しさから反応がよかったんですけど、友達も飽きてくるというか、だんだん冷たい対応になっていって寂しい思いをしました。だからボカロで、自分が好きだなとか、良いなと思っているものが、不特定多数に響いたっていう経験が、僕の中でだいぶ大きかった。そこで一回救われたっていうのは、あります。

ーーそのときに友達に聞かせたのは、どういう音楽なんですか?

ピノキオピー:今とあまり変わっていないです。僕が歌ってたんですけど。メロもポップで、打ち込みで、ピコピコしている音楽を作っていましたね。歌詞は暗めで。

ーーそれはウケなかったけど、でも今もやってることは変わってないという自覚がある?

ピノキオピー:何も変わってないと思います。

ーーじゃあ、ボカロになって、何でウケたんでしょうね?

ピノキオピー:ボカロ自体のファンがいたというのも大きいですが、僕が勝手に思っているのは、僕と考え方が近い人が、ネットには意外といたっていう感覚ですかね。

ーーそうなると、自分のどこが受け入れられたか、アピールしてるかってことを、だんだん自覚してきますよね。それを知ることによって、自分自身は変わってきました?

ピノキオピー:人が聞いてるという意識を持って作るようになりました。歌詞も、伝わるように書くことが増えたと思います。シンプルな言葉で、わかりやすく。意味としては、どっちかな? みたいに曖昧にすることはあるんですけど、なるべく平易な言葉を使いたい。昔はむしろ、難しい言葉を使おう! みたいな気持ちで書いていたんですけど(笑)。

ーーわかりやすくするっていうことと、自分のアーティスティックな表現を貫きたいという気持ちの齟齬を感じることはありますか?

ピノキオピー:僕自身が面白いと思っていることにはブレがなくて、例えば「これをやったらいっぱい反応は来るだろうけど、自分の中で面白くないな」と思うことはやらないようにしています。僕が面白いと思ってるものを、もっとみんなも面白がったら良いのにって気持ちでやっていますね。ウケを狙うことと、自分の面白いと思うものを伝えることって、実はちょっと違うのかなって。

ーー自分の意図とは全然違う受け取り方をされたとか、そういう経験はありますか?

ピノキオピー:いっぱいありますね。僕のことを「何を言ってるかわからんないけど、なんかウケるな」ぐらいに思ってる人も対象に考えていて、それでも曲を聴いて楽しんでもらえたら良いかなと。変な諦めじゃないですけど。100%伝わることって、絶対にないだろうと思ってますから。好きに解釈してくれていいし、その中で真意にたどり着く人はやっぱり何人かいて、そういう人がいると嬉しくなります。

ーー日常においても理解されない疎外感みたいなものを感じることは?

ピノキオピー:昔のほうがありました。今はだいぶ減っていますけど、昔そうだったっていうことは消えないんで。中学、高校の頃、僕が好きなものを心からわかってくれる友達がいなくて。それが専門学校に行ってちょっと増えて、ネットを介してめちゃくちゃいるじゃん! ていうことに気づきました。ネットや作品を通して、僕は救われてきた経験があるんで、そのときの自分に向けた気持ちで書いているっていうのはありますね。昔のことはいまだに思い出しますし、いろいろ作品を見ていても(売れてる人より)この人たちのほうが面白いのになって思うことは全然あるので……漫画とか何でもそうですけど。もっとこの人たちは見られても良いのになぁって。今はやり方が上手くないと見てもらえない。不器用な人たちが報われないから。

ーーじゃあわりとご自分は器用なほうだったっていうことなんですかね。

ピノキオピー:器用かどうかはわかんないですけど、ボカロを通して……動画のサムネイルをどうするとかいうことも含めて、見てもらうために、理解してもらうためにどうするかを考えるようになりました。僕は歩み寄ろうとしたんですけど、歩み寄ろうとしない人はもったいないなと思います。例えば「カス」ってタイトルをあげて、真っ黒なサムネとかで、そんなの見る人がいるのかっていう。ある側面からみれば面白いですけど、完全に拒んでるんですよね。楽曲をネットにあげてるってことは、見られたいわけなんですよね。見られたいんだったら、ちゃんと見られるような工夫をして、自分の面白さを見せたら良いのに、って思うことはある。そういう意味では、僕はもっとポップなんだろうと思います。もっと見られたかったんで。

ーーそうすると、自分の作品が、万が一今後受け入れられなくなっちゃったりすると、自分と世間との接点が失われてしまう。そういう恐怖みたいなものってありますか?

ピノキオピー:それは怖いですね。僕は、動画をあげて、反応がくるっていうことをモチベーションに、10年間変わらずやってきたので。ただ、それって、もともと誰にも見られていなかった、一人で作っていた頃に戻るだけかもしれないです。

ーーView数の多さが、モチベーションの強さにつながったりする?

ピノキオピー:正直あります。

ーーそこにばかり振り回されちゃうのもちょっと危険なような気もします。

ピノキオピー:危険ですね。でも、自分が思ってもいないことを投げて、数字がバーッて増えてたら不幸だと思うんですけど、幸い僕はけっこう自分が好きなものとか、良いなって思ってるものを投げて、ちゃんと返ってきてるほうだと思うんで。あまりかけ離れてないんですよね。投げたものと反応が。

ーーなるほど。

ピノキオピー:今作に収録されている「ビューティフルなフィクション」は、すごく個人的な曲なんですよ。「創作」っていうものが僕は好きで、そういったものに僕は中学、高校のときに救われてきたんです。作品そのものもそうだし、制作者の意図や気持ちを掘り下げるのが楽しかった。だけど、作ってる側の気持ちまで考えて曲を聞いたりする人は、本当に少ないと思うんですよ。伝わらないかもしれないけど、もし、これがいっぱい見られたら幸せだな! と思いながら投げることもあるんですよね。

ーー面白いと思ったのが「I.Q」って いう曲なんですが、学生時代にお友達から才能がないって言われた実体験が元になってるらしいですね。そもそも才能ってなんだっていう話なんですが、ご自分で、自分の才能はどこにあると思いますか?

ピノキオピー:最近気づいたんですけど、ぼくは自分が思っていたよりも、根っこが素直なんですよ。

ーーそれ、絶対そう思いますよ。

ピノキオピー:変に素直で、そこから逃れられないっていうことに気づいて、じゃあそのままで良いやっていう吹っ切れ方をしていて、でもそれをできている人って、意外と少ないのかなとも思って。

ーーオカしなタイプじゃないですよね。

ピノキオピー:そうなんですよ。そういう人に憧れてる、普通の奴なんです。そういう現実を、受け入れるようになりましたね。もっとオカしくなりたい! みたいなのがあったんですけど、無理だなって。僕は率先して毒づきたいわけでもないし、めちゃくちゃ奇を衒っていこう!っていう気持ちもあんまりなくて。純粋に面白いと思うものはこうだ、ってことを表現して、かつ着地点はまともでありたいと思っています。そのバランスをやってる人って、あまりいない気がしていて、そういった意味では、才能ではないですけど、個性にはなってるのかなって思います。

ーー自分が普通だって自覚したのっていつ頃ですか?

ピノキオピー:(「I.Q」 の)友人に言われたのがデカかったですね。それまではちょっと調子こいていて、何の根拠もなく、俺は面白い! みたいな、自信過剰な感じだったんですけど。その彼は、絵が上手いし、めちゃくちゃいろんなこと知ってるし、面白かったし……俺なんか全然だな! ってなって(笑)。それで自分ができることは何だろうと。彼と同じようにいろんなものを見て、自分はどうしたら良いのかなとか、いろいろ考えた結果、自分は自分でしかないってことになって。

ーーなるほど。ところで(過去の)いろんなインタビューを読むと、好きなアーティストで、例えばナゴムレコードとか筋肉少女帯とかスピッツとか電気とか初期の真心ブラザーズとか、そういう名前がよく出てきますけど、ボカロの人ってあんまり出てこないですね。

ピノキオピー:そうですね。

ーーボカロで影響を受けた人っていないんですか?

ピノキオピー:最初にボカロをやろうと思ったきっかけの人は、さっき言ったアゴアニキさんです。これを言うと波風立つんで嫌なんですけど(笑)、アゴアニキの曲を聴くまではボカロでメインストリームにあった曲に、あんまり興味がなかったんです。誰みたいになりたいとかっていうのは全然ない。(ピノキオピーが出てきた)2009年て、これが仕事になったりとか飯が食えたりとか、まったく考えてない人たちが集まってる時期だったんで、すごい自由だったんです。ナゴムと当時のボカロの雰囲気って近いのかなって気持ちが、あのときはずっとありましたね。自由さって意味で。

ーージャンルとして思い入れがないなら、違うフィールドでやってもよかったわけですよね。テクノでもエレクトロニカでも。それでもあえてボカロでやってる。

ピノキオピー:結局、歌が好きなんですね。歌詞を書くのも好きだし。聞く分には、テクノも好きで、ミニマルテクノで踊るのも好きなんですけど、僕がやることじゃないだろうなと。別に求められてないし(笑)。基本的に、僕は打ち込みでフォークとか昔のナゴムパンクみたいな、あのへんの泥臭いことをやりたいんだろうなって、思いますね。あの頃の歌詞が好きなんだなと。

ーー今のボカロシーンてについては、どうお考えですか?

ピノキオピー:一つ言えるのは、僕がシーンの中心にいる状況になったらダメだなって思ってて。ryoさんとかDECO*27さんとか、ああいうスターがいて、僕みたいなちょっと外れてるのもいるよ、というのが一番健全だと思います。僕が中心になったら、それはシーンとして不健全ですよ(笑)。(小野島大)

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