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新たな“現代西部劇”創出の予感 『ウインド・リバー』が描く苦痛に満ちた西部史

リアルサウンド

18/7/31(火) 12:30

 『ウインド・リバー』というきわめて地味な、だが孤高の美しさと悲しみをたたえたこの聡明なアメリカ映画は、現代にはたして西部劇は成立可能なのかについて、大きな問いを投げかける。そしてワイオミング州のネイティヴアメリカン保留地ウインド・リバーを舞台とする犯罪ミステリーでありつつ、現代においても西部劇は成立するのだと無言のうちに宣言する。いや、今日にふさわしい「現代西部劇」の樹立を宣言しているのだ。そして皮肉なことに、ワイオミングという辺境の州は、マイケル・チミノ監督『天国の門』(1980)の舞台となった土地ーーつまりその超大作の興行的失敗をもって、アメリカ映画史において事実上、西部劇が滅んだ不吉な土地ーーなのである。

 周知のごとく、アメリカ合衆国史はインディアン(ネイティヴアメリカン)討伐の歴史であり、土地簒奪の歴史だ。映画ジャンルとしての西部劇は、開拓時代を題材とする壮烈かつ勧善懲悪の時代活劇としては事実上、終焉をむかえている。しかし土地簒奪の状況は現代もなお続いているわけだから、「現代西部劇」が成立可能どころか、「西部劇はもう存在しない」と断じることじたいが西部史に対する記憶喪失を助長することにもなる。

 あたり一面真っ白な、月光に照らされた真夜中の雪原を、アラパホ族の若い女性が走っている。絶望的な表情、叙情的なモノローグ。しかし彼女はやがて上映時間の数分もたたぬうちに、無残な死体に変わり果ててしまう。どこかで誰かに性的暴行を受け、逃亡中にワイオミングのきびしい冷気が肺の中に入り、吐血死におよんだ。なんとも痛ましい死であり、『ウインド・リバー』という映画は、犯人捜しのミステリーとして進行するいっぽう、少女の死に対する悼みのトーンを失わずに進んでいく。

 キャスティングが秀逸だ。遺体の第一発見者であり、主人公である国立野生生物局の白人ハンター、コリーをジェレミー・レナーが演じ、事件を受けて派遣された女性FBI捜査官ジェーンをエリザベス・オルセンが演じている。つまり、この2人は『アベンジャーズ』シリーズにおける矢の名人ホークアイと超能力女性スカーレット・ウィッチの組み合わせの復活なのだ。また、部族警察の署長ベン役に、オナイダ族出身のグラハム・グリーンが出演している。彼はケヴィン・コスナーの『ダンス・ウィズ・ウルブス』(1990)で “蹴る鳥” 役を演じ、アカデミー助演男優賞にノミネートされている。寒冷地についてまったくの素人であるFBI捜査官ジェーンにとって今回の任務は、孤立無援と重責、恐怖に満ちたものとなる。最初の登場シーンですでに彼女のレンタカーは、視界不良のため立ち往生する。犯罪ミステリーまたは西部劇であると同時に、若い女性の成長の物語でもある。

 主人公コリーが、牛を襲ったピューマを捜索する途上で少女の遺体を発見してしまうシーンは、単に事件の発端というだけではない、ある霊的な詩情ともいうべき空気が、コリーそして私たち観客の首すじあたりを通り過ぎていくだろう。遺体を確認したコリーは、彼女が彼の娘の親友であり、また彼の親友の娘でもあることを知ってひざまずく。その瞬間、カメラは近くの樹木の陰からのヒキになる。ハンディによるそのショットはまるで、彼女を殺した犯人の主観ショットのようだ。コリーも狙われているのか? 画面を見るこちらは緊張で身がまえ、「気をつけろ」とコリーに耳打ちしたくなる。しかしその不思議な主観ショット(?)は、なにももたらさない。どうやら犯人の視線ではなかったようだ。

 ところが、それからさして時間がかからないうちに、遺体発見現場のあの不思議なハンディショットが誰の主観ショットであるかを、作品はそっと私たち観客に耳打ちしてくるのだ。コリーはアラパホ族女性と結婚し、一男一女をもうけた。しかし3年前、コリーの娘も性的暴行を受け、死体となって発見された。犯人が見つからないまま、白人とアラパホ族の幸福なカップルは離婚し、彼は自分の不注意で娘を喪失したと責め続ける日々を送っている。先ほどの樹木の陰からコリーを覗きこむようなハンディのショットからは、「パパ、仇を討って」という心霊のささやき声が聞こえてくるかのようだ。

 ワイオミングの苛酷な気象、地形、生物の動静、サバイバル法など、あらゆる意味でコリーはプロの狩人であり、この地域最強のスナイパーでもある。雪の上の足跡ひとつから数多くの情報を引き出してしまう。宇宙飛行士のように分厚く真っ白な防寒着を着たコリーが狙撃用ライフルを両脇と胸で横抱えにして雪原を走る姿は、すこしばかりユーモラスにも見える。理由はわからないが、あのスタイルが雪原で最も適切なライフルの抱え方なのだろう。コリーの一挙手一投足には無駄がまったくない。そしてこの映画にも(深い悲しみと痛み、怒りが渦巻いているが)まったく無駄がない。コリーと新米捜査官のジェーンの2人組による犯人ハンティングを、無駄の省き緊迫したストーリーテリングで手際よく見せていく。本作の作者は確かな実力の持ち主であり、これは素晴らしい才能の発見だ。

 これが監督2作目となるテイラー・シェリダンは1970年テキサス生まれ。俳優としてキャリアをスタートし、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督『ボーダーライン』(2015)で脚本家デビュー、次いでNetflix限定配信のデイヴィッド・マッケンジー監督『最後の追跡』(2016)ではアカデミー脚本賞にノミネートされた。シェリダンにとって『ボーダーライン』『最後の追跡』そして今作は〈現代アメリカフロンティア3部作〉として位置づけられるが、前2作が著名監督に演出をゆだねたのに対して、満を持して監督業に進出したのが本作ということになる。なおシェリダンは、現在全米で大ヒット中、日本では11月公開予定の『ボーダーライン』続編『ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ』(2018)の脚本も書いたほか、現在全米でオンエア中の連続TVドラマ『Yellowstone』(主演ケヴィン・コスナー)の脚本・演出を担当している。

 コリーは、亡くなった少女の父親に会いに行く。家族ぐるみの付き合いだったアラパホ族の男に。心おきなく先輩風を吹かせ、少女の父を慰める。「時が癒やすと言うが、実際は違う。気休めにすぎないが、痛みには慣れる。痛みから逃げちゃだめだ」と。最初の悲劇からわずか3年しかたっていないのに、同じ悲劇が住民を襲う。厳しい気候と痩せた土地に生きるネイティヴアメリカン。かつて彼らは西部劇の悪役だった。白人の土地を襲い、白人の家畜を盗み、白人の娘をさらっていった。ハリウッドのシステムの中でそういう不名誉な役割を割り当てられただけなのだが。そして今、彼らの娘たちがさらわれ、強姦され、殺される。映画のエピローグに書かれたスーパーの記述によれば、ネイティヴアメリカン女性の失踪者数については統計さえ存在しないそうだ。祖先から続く豊かな土地を白人によって強制的に追われ、不毛な土地をあてがわれ、彼らには失業、栄養不良、不十分な教育環境、アルコール依存、薬物依存など、ありとあらゆる生存上の問題が横たわる。同じ土地に生きる白人のコリーにとっても同じことだ。ある夜、客が訪ねてきたときに「何か飲むか? 井戸水か牛乳かコーヒーならある」と訊ねる。こんな寒冷な地なのに酒を置いていないということは、おそらく彼も娘を殺された当時、アルコールの問題を抱えたのかもしれない。

 本作を見ると、新たな「現代西部劇」創出の予感が見えてくる。そしてそれは中東の対テロ戦争を描いた現代戦争映画にも似て、苦痛に満ちたものとなるだろう。フロンティアとは、人知のおよびきらぬ場所についてのSF的認識のことである。コリーが宇宙飛行士のような白い防寒着を着ているのは、彼が今いる場所が宇宙の苛酷な惑星のどこかだという認識があるためだろう。西部劇と言っても、かつてのようにカウボーイがインディアンを撃って喜んだりするノスタルジーでないことはもちろん、『ダンス・ウィズ・ウルブス』(1990)のようにエキゾチックな「蝶々夫人」でもなければ、『レヴェナント:蘇えりし者』(2016)カッコのような文化人類学的、幻想文学的な戯れでもない。西部の現実に眼をむけ、フロンティアの闇をみつめ、名もなき苦しむ者たちの苦しみに寄り添うために戦う。そこにこそ現代の西部劇が生起してくるように思う。

■荻野洋一
番組等映像作品の構成・演出業、映画評論家。WOWOW『リーガ・エスパニョーラ』の演出ほか、テレビ番組等を多数手がける。また、雑誌「NOBODY」「boidマガジン」「キネマ旬報」「映画芸術」「エスクァイア」「スタジオボイス」等に映画評論を寄稿。元「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」編集委員。1996年から2014年まで横浜国立大学で「映像論」講義を受け持った。現在、日本映画プロフェッショナル大賞の選考委員もつとめる。

■公開情報
『ウインド・リバー』
角川シネマ有楽町ほかにて公開中
監督・脚本:テイラー・シェリダン
出演:ジェレミー・レナー、エリザベス・オルセン、ジョン・バーンサル
音楽:ニック・ケイヴ、ウォーレン・エリス
提供:ハピネット、KADOKAWA
配給:KADOKAWA
原題:Wind River/アメリカ/107分/カラー
(c)2016 WIND RIVER PRODUCTIONS, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
公式サイト:http://wind-river.jp/

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