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ぴあ

いま、最高の一本に出会える

追悼・新宿マドモアゼルーー渚ようこ、平成を生きた昭和歌謡の女王

リアルサウンド

18/11/10(土) 10:00

 10代の頃、大人は自分と違う生き物のように思えていた。自分がいつか「あれ」と同じ生き物になるということを、頭では理解できても心の底では信じられなかった。

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 90年代後期に起こった「和モノブーム」によってグループ・サウンズの魅力を知り、お小遣いでは買いきれず図書館で沢山借りたCDの中のザ・ゴールデン・カップスにシビレて、ザ・タイガースよりもPYGがツボで、同じ年代のベストヒット集に入っていた弘田三枝子や浅川マキに聴き惚れた。

 そして20歳の頃に飛び込んだ、渋谷の地下にあった伝説の店「青い部屋」。オーナー兼ママのシャンソン歌手・戸川昌子さんを中心に昭和の時代には寺山修司・三島由紀夫・美輪明宏・川端康成らが集い、平成の世にライブハウスとしてリニューアル後は、レトロポップ・昭和歌謡ブーム・渋谷系カルチャーの聖地となっていた。ビクビクしながら初めて訪れた私にも「一緒に飲もうよ!」と声をかけてくれた、戸川さん。生まれて初めて生で聴いたシャンソン。その場所に集う音楽家、役者、小説家、画家、デザイナー、ドラァグクイーン、占い師……昭和から連綿と続くアングラ文化の渦中に、自分も入り込めた気がした。

 ミニスカートにフリルのブラウス、サイケデリックな柄シャツにサングラス、そんな装いの男女がひしめく中で、隣のちいさな椅子に腰かけていた、裾の大きく広がったパンタロン姿の華奢な女性が「あ!着けなきゃ」と慌てて付け睫毛を取り出し、鏡もほとんど見ずに慣れた手つきで装着している様子に驚いていたら、その人がそのままステージに上がった。そして遠く深い所から響いてくる、この世のものとは思えぬような声で歌い始めたので、もっと驚いた。

 それが、「渚ようこ」との初めての出逢い。

 いっぺんで夢中になり、青い部屋をはじめ、高円寺UFO倶楽部、新宿レッドクロス、渋谷eggman、渋谷クラブクアトロ……ライブハウスの他も、学園祭のステージ、今はなき新宿のキャバレー・クラブハイツ、新宿コマ劇場、そしてようこさん自身がゴールデン街に開き、今も残るBar「汀(なぎさ)」……ようこさんの歌を聴きたくて、色々な場所へと追いかけた。

 どんなに狭い場所でも小さなステージでも、ようこさんが歌えばそこは「リサイタル」だった。

 そこに集う人々は、カッコ良くて、ギラギラして、ドロドロと魑魅魍魎渦巻いて、でも皆どこか淋しそう。

 古い本や雑誌、映画やテレビやレコードでしか知らなかった「昭和」が、今この瞬間目の前に広がっている、まさに自分が〈昭和にワープ〉(「かっこいいブーガルー」)した世界。「ブーガルー」、それは昭和のキャバレーで愛された、リズム&ブルースとキューバのラテン音楽が溶け合った華麗で猥雑なサウンド。

 ようこさんの歌う場所、そこに集まる人々、一人一人の装いと立ち振る舞い、歌の中で描かれる世界、それら全てに憧れた。憧れすぎて、大学でようこさんの曲や昭和歌謡ばかり歌うコピーバンドまで始めてしまった。私の遅刻が多すぎて何度も崩壊の危機に陥ったりしつつも、どうにか大学在籍中の4年間続いた。

 「薔薇の葬列」のピーターのような服装やメイクをして形から入り、「とにかく大好きで、今これがやりたい!」とミーハーに突っ走っていた。今振り返ると「美大生なんだから、その情熱で絵を描きな!」と突っ込みたくなるけれど、その時は目の前の楽しいことに夢中だった。

 自分がいつか「大人」になるということは、まだぼんやりと曖昧で、具体的には考えられなかったけれど、信用できない別の生き物に思えていた「大人」のイメージはようこさんによって塗り替えられた。

 ようこさんに出逢わなければ、知らなかった感情がたくさんある。

 いま改めて、彼女の作品を聴き返す時、自分の感性は、確実に「渚ようこ」によって作られているのだと実感した。

 彼女のライブで受けた波動は、何ものにも代えがたい。

 ただ声量があるとか、上手いというだけではない(もちろんしっかりとした技術に裏打ちされているけれど)、黄泉の国から響いているとしか思えない、この世とあの世の境にある汀に、ひととき連れて行かれてしまう声。

 今自分が生きているこの一瞬も、ずうっと昔から続く人間の業が連なった末にあるということ。遠い宇宙ではなく、自分の中にブラックホールが空いていること。誰かと一緒に観ている時でも、ようこさんの歌と対峙する時、自分はこの世にたった一人、生まれてから死ぬまでずっと一人なのだと、いっそ清々しく感じたこと。あの「さっぱりと気持ち良い淋しさ」は、ようこさんのライブで初めて自分の中に生まれたものだった。

 訃報を知った翌日の深夜、泣きながら思いつくままにようこさんの曲を口ずさみ、鼻歌を通り越してもはや熱唱していたら、さすがに家族から「うるさいから」と苦情が来て、そんな自分があまりにも馬鹿らしくなり、ボロボロに泣いているのに同時にゲラゲラ笑っていた。端から見たら本当に狂人一歩手前、その状態がますます可笑しくて一層笑えてきた。悲しさと可笑しさがちょうど半分ずつ在り、どんなに悲しくても可笑しくなる瞬間てあるのだなあと、自分を斜め上くらいから見下ろしているようで、その感覚もまた初めてのものだった。

 初めての出逢いから15年以上経ち、ようこさんの歌が描く「大人」に一歩でも近づけたかと自分に問いかけても、はっきりした答えは出ない。

 けれど、「大人」になるとは、別の生き物に変身するわけではないということを知った。全て自分の今まで生きてきた道、その歩み方の生み出す結果。その場限りで楽しんで、適当にフラリフラリと生きてきた今の自分が、この歪んだ大人を作り上げた。

 叶えられない望みと後悔を抱えて、この道を歩んだ先、彼岸を渡る日も私の耳には、ようこさんの歌が響いているだろう。それなら地獄も怖くない。どうせ天国へ行ったって、好きな人には会えないのだから。(松村早希子)