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ぴあ

いま、最高の一本に出会える

左:千足伸行 右:山口周

第9回

現代日本を泳ぐ気鋭のクリエイターに聞く「現代クリムト講座」

千足伸行と山口周は、エミーリエを語る

特集

19/4/27(土)

現代クリムト講座の第9回は、『クリムト展』監修を務めた美術史家の千足伸行と、ビジネスにアートの必要性を唱えるコンサルタントの山口周に話を聞きました。エミーリエ・フレーゲというクリムトにとって特別な女性を緒に、社会やパトロンがどのようにアートを守るべきなのか、考察します。

文=田尾圭一郎(ライター)

《グスタフ・クリムトとエミーリエ・フレーゲ》 Belvedere, Vienna, loan from private collection

1918年2月6日、クリムトは55歳で亡くなった。生前、彼は多くのモデルと肉体関係をもち生涯結婚をしなかったが、唯一、長きにわたってパートナーとして信頼関係(プラトニックだったと言われている)を育んだエミーリエ・フレーゲを自分の病室に呼び、看取ってもらいながら息を引き取ったという。

クリムトとエミーリエの関係を象徴するようなこのエピソードが、ぼくは好きだ。ビジネスにおけるサポーターであり、伴侶でもある。複層的な関係のふたりだが、仲良く写っている写真を見ると、ついほっこりとしてしまう。気のおけない日常のやりとりが、柔らかい表情から浮かんでくるのだ。当時のある美術批評家は「クリムトという人間は、他人を幸せにするという責任を、あえて負おうとはしなかった」と語った。これは、もちろんエミーリエを想定して言われた発言だが、実際はどうだったのだろうか。千足に話を聞いた。

「エミーリエ・フレーゲはモード・サロンを当時経営していて、大変な人気でした。一般の女性ではなく貴族向けのファッションを扱っていて、最盛期には80人のお針子を抱えてアトリエを経営していた。クリムトはエミーリエのおかげで、そういう普段だったら近づけないようなクライアントにアプローチができたのです。

作品の注文主の仲介役として重要な存在だったので、クリムトは気をつかって彼女を怒らせないようにしていたそうです。エミーリエの肖像画を描いたときも、彼女は絵を気に入らなかったのですが彼は怒らなかった。

毎年夏になると、クリムトはエミーリエとアッター湖という避暑地で過ごしました。その時に愛人関係だったモデルからハガキが届くのですが、エミーリエに見られないように、郵便配達が来る時間をそわそわして待っていたそうです。彼は女性関係については奔放でしたが、エミーリエには気をつかっていました」。