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ヴィジュアル系が「ブーム」から「文化」へ “1999年”がシーンにもたらしたもの

リアルサウンド

19/1/24(木) 8:00

 1999年。ヴィジュアル系において多々扱われるモチーフのひとつである。D’ERLANGER「1999 -Shyboy story-」、LUNA SEA「1999」など、世紀末の退廃感や世界の終末をイメージさせる曲だったり、当時の世相を反映させた、SIAM SHADE「1999」だったり、あるいは、Plastic Tree「1999」や、えんそく「1999年のブルース」など、過ぎ去った1999年についての楽曲も存在する。思い返せば、90年代後半の流行語にもなった「ヴィジュアル系」自体、当時蔓延していた「世紀末」の空気がブームを後押ししていたように記憶してしている。

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 では実際の1999年はどんな年だったのか? ブームはピークを迎え、「アクロの丘」「残-ZAN-」「ゆらめき」の3枚のシングル同時発売でデビューしたDIR EN GREY(当時の表記はDir en grey)、「ヴィジュアル系バンドの最終兵器」という触れ込みでエイベックスからシングル「RED ZONE」でデビューしたJanne Da Arcなどなど、翌年に18歳の若さで武道館公演を成功させるRaphaelが「花咲く命ある限り」でデビューするなど……、数多のバンドが華々しくメジャーデビューを果たした。

 今でも語り草になっているGLAYの20万人を動員した『GLAY EXPO ’99 SURVIVAL』、LUNA SEAが結成10周年を記念し、人数無制限というコンセプトで行った『[NEVER SOLD OUT] CAPACITY∞』、L’Arc~en~Ciel の大規模野外ツアー『GRAND CROSS TOUR』など、大規模ライブが行われたのもこの年だ。

 このように、事実を並べているだけで、世間的に見て「ブーム」はピークであったことは間違いない。この翌年の2000年に、SHAZNAの活動休止やLUNA SEAの終幕などもあり、お茶の間レベルの「90年代のヴィジュアル系ブーム」は収束していった。あくまでブームの話であり、この後もシーンは続いていき、ゼロ年代半ばには海外で人気に火がついたり、「ネオヴィジュアル系」と呼ばれる世代のバンドらが現代に続くシーンを作っていくのだが。

 また、インターネットもシーンに大きな変化を与えた。アーティスト側、たとえばhideはネット黎明期からインターネット上で情報を発信しファンと交流していたし、PIERROTはインターネット上のストリーミング中継も含めた生配信ライブ『THE GENOME CONTROL』を99年に行っているが、ファンの方にもインターネットが浸透したのがこの時期以降だ。それまでもインターネット上でファン同士のコミュニケーションは存在したが、パソコンではなくモバイルが中心になったことによって、当時10代だったヴィジュアル系のファンにも爆発的に広まっていったという印象がある。ドコモのiモード、10代のファンらのコミュニケーションに重要な役割を果たした「魔法のiらんど」などのサービス開始も1999年だ。もともとファンダムの強いジャンルではあったが、メディアから発信されたトップダウン型の情報ではなく、自分たちの好きなバンドを口コミで広げていくボトムアップ式のコミュニケーションへ変化していくという時代の転換点も、この時期だったように思う。この口コミ中心のファン心理を上手く活用したのが、ゴールデンボンバーというのはいうまでもない。

 あれから20年、シーンを取り巻く風景は良くも悪くも随分変わった。世間からは一時期のブームとして見られていた「ヴィジュアル系」というジャンルも、形を変えながらも30年近く続き、平成という時代を代表する文化のひとつになったといえる。「ブーム」から「文化」への変化のターニングポイントが、あの1999年にはあったのではないだろうか。(藤谷千明)

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