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二階堂ふみの裸は、岡崎京子の絵のように……『リバーズ・エッジ』と姫乃たまの4半世紀

リアルサウンド

18/3/3(土) 18:00

 『CUTiE』で岡崎京子の『リバーズ・エッジ』が始まった1993年、彼女の実家のほど近くに私は生まれました。それから人生は、何も変わっていないようにも、何かが変わってしまったようにも流れて、ただ私を生まれたところから遠く離していきます。だから時々、遠くまで来てしまった、と思います。しみじみと。『リバーズ・エッジ』が連載開始されてから映画になるまでの四半世紀を、どうやって生きてきたのか、思い返すように。

参考:映画における“いいラブシーン”とは何か? 地下アイドル・姫乃たまが考察

 中学は彼女と同じ学校で、高校は主人公の若草ハルナ(二階堂ふみ)たちが通っている学校みたいに私服の、やけに大人びた子たちがたくさんいる場所でした。それぞれが、みんなでいる時は明るくて、ひとりになると繊細で孤独でした。

 ハルナの周りにも、いろんな子が現れます。河原で見つけた死体を宝物だと思っている同性愛者の山田一郎(吉沢亮)や、後輩で摂食障害を患っている人気モデルの吉川こずえ(SUMIRE)や、居場所のなさをセックスとドラッグで誤魔化している彼氏の観音崎(上杉柊平)たちが、ハルナのフラットな性格に吸い寄せられるように集まってくるのです。

 ハルナを演じる二階堂ふみは、まるで岡崎京子が描いたコマのように見える瞬間が不意にいくつもありました。何より裸が岡崎京子の絵と同じく、無駄のない可愛らしさで洗練されていて、そのままハルナの揺るぎない平らかな性格の魅力を表しているようでした。

 しかし、受け身な性格に見える彼女もまた、生きるとはどういうことか、内心では渦巻くように考えています。

 たとえば山田はハルナに、河原で見つけた死体を宝物だと打ち明けました。

「自分が生きてるのか、死んでるか、いつもわからないけど、これを見ると勇気が出るんだ」

 山田が河原で死体を眺めることは、観音崎がドラッグを吸引することや、首を絞めながら性交することと同じです。生きていることを実感するためには、まず、死を近くで見ることが近道になるからです。

 生きている者の「生」を際立たせるシーンは、濡れ場を中心に生々しく描かれます。性交している時だけ生きている実感があると話す小山ルミ(土居志央梨)のベッドシーンは、その実感を貪欲に確認しようとする肉体の過激さがあり、こずえの過食行為はシズル感が溢れていて目が惹かれます。いたるシーンで町の灯りが反射して河がきらきらと光っていて、汗まみれのベッドシーンと、果物や牛乳を頬張るこずえの濡れた口元が特に印象的でした。

 こうした不満や不安を過剰な行動で埋めようとする若者の試みは、この四半世紀で何も変わっていないように思えます。同時に、自分が求めている場所から、安心や幸福が思い通りに得られないところも、何も変わっていないでしょう。

 叶わぬ恋と知りながら、好きな上級生の男の子をただ眺める山田の視線のように。そんな彼に素っ気なくされながらも諦められない田島カンナ(森川葵)の執着心のように。ハルナを追いかける観音崎が、ルミとしてしまう激しいだけの性交のように。

 誰でも表と裏の顔を持っている、という単純な事実だけではなく、人が心の底から充足する出来事は、自分が望んでいるものや、人からは、なかなか訪れません。

 ハルナと山田は河にかかる橋の上で、どうしようもない気持ちになって、UFOを呼ぼうとします。どうしようもない日常に特別なことが起きるように。本当にあるのかすらわからない平和や充足感や幸福が、目の前に現れるのを祈るように。

 1993年、バブル後の虚脱感と、2018年、オリンピック前のこの虚無感は、似ているのでしょうか。バブル後がオリンピック前に変わっても、若者たちの不安は変わっていません。

 岡崎京子と小沢健二は今日もかけがえのない友人で、背伸びをする少年のように無邪気に跳ねていた小沢健二の声は、変わらないようでいて、少しだけ大人の渋さが顔を覗かせていました。

 時間はいつでも、何も変わっていないようにも、何かが変わってしまったようにも流れていきます。

 ハルナは生きることを感じることだと話しました。私たちはこの、代わり映えしない平坦な戦場を生きていくために、痛みや悲しみを覚えて忘れて思い出して、なるべく笑っているしかないのです。(姫乃たま)