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稲垣吾郎、刺激的な『ばるぼら』主人公役への期待 原作との共通点を考える

リアルサウンド

18/11/26(月) 7:00

 稲垣吾郎と二階堂ふみが、手塚治虫の快作『ばるぼら』の実写映画化に挑む。メガホンを取るのは、手塚治虫の実子で映画監督の手塚眞だ。「初めて父の作品の実写化をする」という手塚と、「このタイミングじゃなければ演じられない役」とコメントした稲垣。そして、「自分の中に眠っている“ばるぼら“を呼び起こされた」(参考:稲垣吾郎、二階堂ふみについて「衝撃を覚えました」 映画『ばるぼら』製作発表で互いの演技語る)と語った二階堂。3人の新境地ともいえる『ばるぼら』は、一体どのような作品になるのだろうか。

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 原作の『ばるぼら』は、1973年から74年にかけてコミック誌『ビッグコミック』にて連載されたもの。芸能界では『スター誕生!』(日本テレビ系)をはじめ、多くの人気者がメディアを賑わせ、一方でオイルショックやハイジャック事件などに揺れた1970年代。混沌とした時代の気分が『ばるぼら』の根底に漂っている。

 「都会が何千万という人間をのみ込んで消化し……垂れ流した排泄物のような女ーーそれがバルボラ」というフレーズから始まる本作。稲垣吾郎扮する小説家・美倉洋介は、耽美主義をかざしてユニークな地位を築いた流行作家で、マスコミは彼を毎日のように記事にした。海外にもファンを持つ彼が抱える人には言えない秘密。それは、異常性欲の持ち主だということだった。

 新宿駅で、まるでノラ猫を拾うかのごとく、ばるぼらを家に連れて帰った美倉。小汚い格好で少年のような口調。どこか浮世離れした存在感を放つばるぼらを、二階堂ふみが演じる。そのままばるぼらは、美倉の家に住み着き、ふたりの奇妙な同居がスタートするのだった。美倉の異常性欲がもたらす官能的で幻想的で怪奇な日々。芸術家の性に、突きつけられる社会の不条理。果たして、ばるぼらが美倉のもとにやってきた意味とは……。

 製作発表されるやいなや、『ばるぼら』のトレーラー映像が公開された。彩度の高いサイケな色使いで描かれた映像美に、原作の持つブラックでバイオレンスでエロティックな香りが漂ってくる。文学や映画、美術をこよなく愛し、ブログでも美しい文章を綴る稲垣は、耽美小説を得意とする美倉役に通じるものがあるように思う。多くの女性が放っておかない色気と、その行動がマスコミの注目の的になるなど、その生き様も重なる点が少なくない。

 エロティックとは、性の描写が生々しいのもそうだが、生への貪欲さがむき出しになってしまうことのように思う。稲垣のように「見せられる自分」をコントロールしている人ならなおさらだ。女性と肌を重ねるシーンはもちろん刺激的なのだが、それ以上に作品を通じて壊れていく姿を見られるのではないかと思うと、見てはいけないものを目撃してしまうようなスリルを感じる。

 以前、稲垣は『7.2 新しい別の窓』(AbemaTV)で、ブログを書くとき“ファンが見たい自分“を意識していると語っていた。“素を見たい“というのは、多くのファンの願いだが、その“素”には“こうあってほしい“という願いが込められている。その願いとリアルとが融合した空間に、アイドルというエンターテイナーは生きているのかもしれない。夢から目覚めた現実なのか、それとも現実のような夢なのか。そんなまどろみの中にいるような感覚が、『ばるぼら』でも味わえることだろう。

 “色気がダダ漏れるエロい稲垣吾郎“という意味では、これまで見たかったと熱望したものが見られるに違いない。一方で、私たちの知る“美しい稲垣とは真逆の姿“を、まざまざと見せつけられる残酷さも孕んでいるだろう。それは、甘くも苦しい水中のキスのようだ。

 「撮影が終わると、もうばるぼらに会えなくなるのかなと寂しくなってしまいました。夢を見ていたような感覚が残っています」。製作発表会での稲垣のコメントは、ばるぼらに魅せられた美倉と共鳴しているようにも聞こえる。稲垣が見た、現実に潜む甘美な夢の世界へ、私たちも早く誘われたい。(文=佐藤結衣)

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