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リズムから考えるJ-POP史 第5回:中田ヤスタカによる、“生活”に寄り添う現代版「家具の音楽」

リアルサウンド

19/5/18(土) 8:00

 いまやPerfume、きゃりーぱみゅぱみゅをはじめとしたアーティストのプロデュースを手がけ、DJとしてもさまざまなイベントに引っ張りだこのプロデューサー、中田ヤスタカ。エッジーなダンスサウンドをためらうことなくマーケットに投入し、なおかつ成果を上げ、2010年代のJ-POPを牽引した重要人物の一人だ。彼の活動においては、ボーカルを務めるこしじまとしことのユニット・capsule(2013年秋より大文字のCAPSULEに表記を変更しているが、本稿で扱う作品の年代の都合上、小文字での表記に統一しておく)が中心的な位置を占めている。

(関連:リズムから考えるJ-POP史 第4回:m-floから考える、和製R&Bと日本語ヒップホップの合流地点

 初期、具体的にいえば2ndアルバムの『CUTIE CINEMA REPLAY』から6作目の『L.D.K. Lounge Designers Killer』でエレクトロハウス色を強めるまでのcapsuleの楽曲には、インテリアやファッションが登場する。4作目に至っては、その名も『S.F. sound furniture』だ。そして、家具と音楽といえばエリック・サティの「家具の音楽」だろう。とすれば、capsuleの音楽を「家具の音楽」と呼んでみるのも面白いのではないだろうか。

 これは単なる思いつきや洒落ではなく、後にブライアン・イーノによって“アンビエント”として改めてコンセプトを練り直される「家具の音楽」に通じる要素を、一時期のcapsuleの音楽は持っていたのではないかという仮説だ。

 とはいえサティ=イーノ的な“家具”とcapsuleの“家具”はもちろん同一ではない。その内実については追って検討するが、まず重要なのは、音楽を“家具”になぞらえて捉えることで、音楽は生活を変容させるさまざまな変数のひとつになるということだ。ポップミュージックをそのように位置づけるならば、ポップミュージックの形を変えていくことは生活を変えていくことにパラフレーズできる。

■音楽至上主義へのアンチテーゼ
 capsule流の「家具の音楽」を一段階かみくだけば、音楽好きのための音楽ではなく、生活の中に位置づけられる音楽である、ということができる。中田ヤスタカはキャリアの初期から自分の音楽を家具のほかにも雑貨や服になぞらえてきた。かつそれは、音楽好きが形作る音楽観へのアンチテーゼとして、やや強烈な主張にも見える。

「[…]つまり生活雑貨ですよね、僕にとって音楽は。こういう価値観がオーソドックスになったらいいなって思います。音楽が偉過ぎたんだと思うんですよ、今までが。もちろん、すごい影響力のある人が音楽で良いメッセージを伝えるのであれば素晴らしいとは思うんですけど。単純に音楽自体を楽しむことを考えれば、自分の生活に合う音楽がいいと思うんですよね。」
(『MARQUEE』2003年6月号、p.4)

 同時代のcapsule評には、渋谷系をはじめとした“過剰なまでに知っていること”を前提とする音楽観への反動のように、“知らない”ことによる“素朴さ”“無邪気さ”に焦点があてるものが数多い。しかし、中田ヤスタカの発言はそうした“素朴さ”よりもむしろ、音楽を中心とした音楽観に対する問題提起のように思える。生活の形を作り出す“家具”のような音楽、生活雑貨のような音楽、という中田のアイデアはその延長線上にある。しかしここで言う“家具”は、物言わず環境に溶け込んでしまう、生活という“図”に対する“地”ではけっしてない。むしろ、生活を自分が望むようなあり方に変えていくために選ばれ、使用される(=聴かれる)ものである。

■「サンプリング」からDAW以降のエディット/カットアップへ
 では、それは彼の音楽に具体的にどういう形で現れているのだろうか。中田ヤスタカの音楽を現代版「家具の音楽」として、生活を作り出す要素のひとつに見立てる姿勢を、彼のエレクトロニックなポップミュージックとつきあわせたらどのようなことがわかるだろうか。

 重要なのは、1990年代におけるサンプリング、ないしDJ的な感覚から、DAW上でのエディットやカットアップへの転換であると考える。サンプリングはサウンドを元の文脈から切り離すという側面と、新たな意味を紡ぎ出す側面をあわせ持っている。この二重性こそ多くのミュージシャンを惹きつけ、技法の普及を後押した。しかし、オリジナルの著作者との権利関係のクリアランスがアメリカの音楽産業を中心に問題化されると共に、現実的にはサンプリングは音楽活動の障壁を生み出す諸刃の剣ともなった。

 こうした事情から、2000年代に入る頃には、サンプリングを得意としていたミュージシャンが方向性を変える例が相次いだ。その最たる例がCorneliusだろう。既存のサンプルを組み替え、サウンドとしても意味としても過剰さに溢れていた1997年の『FANTASMA』から、自身の演奏を含めた音源をPro ToolsなどのDAW上でエディットする2001年の『POINT』へと変化した。

 サンプリングからエディットへ。絶え間ない意味の解体と生産というサイクルから、カット、コピー、ペースト、エフェクトによる加工といった諸々の操作の産む効果への注目へと着眼点が移っていったのが、2000年代初頭。capsuleがデビューしたのはまさにこの時期だった。

 もともと中田ヤスタカはリスナー的、DJ的な感性とは遠いタイプのミュージシャンだった。そのかわりに彼が関心を抱いたのは音楽を“掘る”ことよりも、“つくる”ことだった。いきおいその音楽は意味への関心は希薄で、サウンドの選択やエディットが生む快楽により重心をおいたものとなる。かつそれは、音楽を中心とした知の体系から距離を置き、“生活”に寄り添おうとする中田の姿勢から見ても必然性があった。

 その状況を端的に著しているのはサウンドの加工の単位の微細化である。これはそのまま、リズム構造へも影響を与える。生々しいドラムによるフィルインのかわりに、16分、32分、64分……に至るサンプルの反復や、あるいは2分の1拍、4分の1拍挿入される唐突な無音が、楽曲の節目節目で新たな展開を知らせるのだ。

 たとえば、2ndアルバム『CUTIE CINEMA REPLAY』の3曲目、「キャンディーキューティー(feat. Sonic Coaster Pop)」の34秒ごろ、イントロとAメロの間に挿入される無音は、バンドサウンドや生楽器ではありえない休止の感覚を唐突に挿入して、感情の起伏を盛り上げる。続くアルバム『phony phonic』の9曲目「idol fancy」の頭サビの末、9秒ごろでタイムストレッチ(もしくはスタッター)がかけられるこしじまとしこのボーカルや、その直後の無音は、サウンドが加工されている様子をあからさまに強調する。そもそも、メインボーカリストの声をこのように大胆に変調させるということ自体、小西康陽がピチカート・ファイヴではあまりやらない手法だ。エレクトロハウス色がいっそう色濃くなる『S.F. sound furniture』でも、4曲目「宇宙エレベーター」のサビ、1分42秒ごろからボーカルにかぶさるスタッターや、2つ目のヴァースに入る直前、2分2秒のあたりに入るエディットと無音が印象的だ。

 連続する音の流れ(スネアドラムを連打するフィルや、クレッシェンドやデクレッシェンドのような音量操作)によって楽曲全体の“グルーヴ”やリズム構成の変化を準備するのではなく、逆に断絶によって新たな“グルーヴ”に対する姿勢を準備する。capsuleで中田ヤスタカが当然のように用いているこうした手法は、渋谷系~ポスト渋谷系との断絶を如実に示している。

■トラックに同化してゆく声、主役からしりぞく“うた”
 ところで、先程ちらりと言及した、ボーカルを加工するか否かという問題。中田ヤスタカの音楽を考える上で、とりわけPerfumeでの仕事を考慮に入れるならば、これは必須の論点だ。とはいえ、Perfumeにおけるオートチューンの使用を「テクノポップ」とか「ロボ声」、「非人間化」、あるいは初音ミクのような「キャラクター化」の文脈に含みこんでしまうと、中田のほかの仕事との関係が見えなくなってしまう。というかそもそも、中田は何度もくりかえし、あっけらかんとその意図を説明している。

「[…]まあ、もともとピッチ補正をウリにしているわけでもない……Auto-Tuneを使うための音楽をやっていたわけじゃなくて、普通の声だとなじまない音楽だったので、オケに合わせるためにボコーダーとかAuto-Tuneを使うようになっただけ。いかにオケと声の一体感を出すかというだけで、ディレイやリバーブと一緒の感覚なんですよね。」
(『サウンド&レコーディング・マガジン』2010年4月号、p.31)

 つまり、声とトラックをなじませる以上の意味はない。「それ以上の意味があるはずだ」と深読みしたくなる一方で、そうまとめることで見えてくるものも多い。そもそも芯がそれほど強くなく、ややハスキーでウィスパー気味のこしじまとしこのボーカルは、矩形波やノコギリ波といったむきだしの電子音と難なく馴染む。その声質の選択から、すでにシンセを選ぶような感覚があったとも思える。また、オートチューン以外にも声にためらいなくかけられるカットアップやモジュレーション(ピッチ、音質、タイムストレッチ等々)の多くも、声をサウンドの中心にせず、リスナーの関心を声とトラックに平等に向けさせるという効果をたしかに持っている。

 その点で興味深いのは『S.F. sound furniture』だ。2曲目の「GO! GO! Fine Day」で1分5秒ごろから登場する「Go! Go!」というコーラスに施されたエディットも特徴的だし、3曲目「ポータブル空港」では、こしじまとしこのボーカルがキーボードのように用いられている。要所要所でのこうした声のエディットは、徐々に全体としてのサウンドへと注意を拡散させてゆく。

 中田ヤスタカのこうした試みはごく長いスパンで実践されてきた。Perfumeでボーカルのピッチ加工が当たり前になり、きゃりーぱみゅぱみゅではナンセンスな語呂だけのフレーズが“うた”をやめてキャッチーなサウンドロゴのようにサビを飛び跳ねる。時代を2000年代から一気に飛んで、2017年のきゃりーぱみゅぱみゅ「原宿いやほい」や、あるいは同年にPerfumeがリリースした「If you wanna」では、もはやかつてサビであった部分には“うた”も“声”もほとんどない。あるのはダイナミックに左右のスピーカーを行き来しながら鳴り響くシンセサイザーの音響と、その隙間を縫うように配置された掛け声だけだ。次なる展開を予感させ気分を煽る“ビルドアップ”のパートを経て、低域を中心としたシンセサイザーなどの音響で一気にテンションを高揚させる“ドロップ”に突入する手法は、EDMと呼ばれた2010年代のダンスミュージックに特徴的なものだが、それがJ-POPに導入されたのだ。

 これが明確にオートチューンと声をめぐる中田ヤスタカの問題意識の延長線上にある発展であることは、2015年のこんな発言からも裏付けられる。

「[…]今はEDMの奥行きも広がって面白くなっている。例えば、歌の後のインスト部分がサビみたいな曲も普通になってきましたよね。あれって、実はCAPSULEではずっとやってきたことで、それこそインスト部分を間奏と言われないように作っていた……そういうことがやっと認められるタイミングになったなと。2~3年前だったらドロップで盛り上がることなんて無かったけど、それが徐々に変わってきた。」
(『サウンド&レコーディング・マガジン』2015年3月号、p.21)

 ここから実際にポップスにドロップを持ち込むまでには2年余りかかっていることになる。実際には、Perfumeのいくつかのシングル曲ではアルバムバージョンでドロップによるサビを実践していたのだが、シングルで使ったのはこの時期が初めてだ。J-POPのサウンド、ひいてはそのサウンドがつくりだす構成やリズムのあり方を、中田ヤスタカは想像以上に長いスパンのなかで形作ってきたことがわかる。

 2001年にcapsuleとしてメジャーデビューを果たしてから20年が経とうとする今に至るまでの彼の音楽の変化は、スタイルを柔軟に変えながらも、じっくりとひとつの理想を形にしえた、長い道のりとして考えられる。かつそれは、J-POPという環境に対して地道に働きかけ、環境を編成しなおしてきた成果であり、ひいてはリスナーと世界の関わり方をある面で作り変えているかもしれない。(imdkm)

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