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『グリンチ』はなぜシンプルな構成になったのか? 大人のための楽しみ方を指南

リアルサウンド

18/12/24(月) 12:00

 日本でも人気のキャラクターとして定着した「ミニオン」たち。彼らが登場する『怪盗グルー』シリーズで知られる、イルミネーション・エンターテインメントが、クリスマスシーズンを皮切りに贈るアニメーションが、絵本を原作とする『グリンチ』だ。

参考:『怪盗グルー』“スラップスティック”でアニメ界に新風 幅広い世代を虜にする魅力を考察

 世間と交わらない孤独な存在として悪事をはたらき、純粋な子どもと出会うことで変化を見せていく「グリンチ」は、まさに「怪盗グルー」の原型ともいえる共通点を持ったキャラクターといえる。なのでイルミネーションと『グリンチ』の組み合わせは、原点をたどるという意味では納得するところがある。

 だが日本の観客にとって、本作は拍子抜けするところがあるかもしれない。『怪盗グルー』シリーズ級の予算をかけた大作ながら、ストーリーにはそれほど起伏がなく非常にシンプルな構成となっているからだ。これは現在の、目まぐるしい展開が続いていくような多くの作品とは明らかに異質だ。さらに、ディズニーやピクサー作品が近年見せている、既存のおとぎ話風の世界を一部否定しているようにすら感じさせる、一種の過激なアプローチというのも、ここにはない。

 なぜ本作は一見、時代と逆行すると思えるバランスになっているのだろうか。ここでは、『グリンチ』の内容や背景について述べながら、作品の意味について解説していきたい。

 原作者は、ファンタジックな物語や、可愛らしい絵柄に特徴のある、アメリカの著名な絵本作家、ドクター・スースである。『ホートン/ふしぎな世界のダレダーレ』(2008年)や、『ロラックスおじさんの秘密の種』(2012年)など、近年アニメ映画化された作品もあり、1991年に死去した後も、その作品は根強く愛されている。

 なかでも最も知られているのが、1957年に発表された『いじわるグリンチのクリスマス』(”How the Grinch Stole Christmas!”)だ。『ホートン/ふしぎな世界のダレダーレ』や、その原作になった『ぞうのホートンひとだすけ』(1954年)に登場する、小さな妖精のような人々のコミュニティーである「フーの村(フーヴィル)」が舞台となっている。

 グリンチは、フーの村の北にそびえる険しい山にある洞窟に住んでいて、家族も友達もない孤独な生活を送っている。そんなグリンチは、人々が楽しそうに歌い、幸せに過ごすクリスマスの時期が嫌いで、その象徴となるクリスマスツリーやプレゼントを、フーの村のすべての家から盗み出し、クリスマスを奪おうとする。だが、小さな女の子シンディー・ルーとの出会いや、悲しみのなかでも合唱する人々の姿を見て、グリンチのひねくれた狭量な心は変化を見せ始める。

 「グリンチ」という存在が何なのかということは、とくに言及されていないが、源流になったと思われるキャラクターはいくつかある。例えば、イギリス文学で最も古いといわれる伝承作品『ベオウルフ』に登場する、沼地に住む「グレンデル」。宮殿で宴をひらく人々に怒りを覚え、深夜に襲撃に来る怪物だ。

 そして、イギリスの作家チャールズ・ディケンズによる『クリスマス・キャロル』(1843年)に登場する、心を閉ざした金持ちの老人、スクルージ。彼はクリスマスシーズンに3人のゴーストに会い、人を思いやる優しい心を取り戻していく。おそらくこれらの有名なキャラクターのイメージが、ドクター・スースによる、より子ども向けの優しい世界観のなかに投影されたのがグリンチということになるだろう。

 原作『いじわるグリンチのクリスマス』は、ジム・キャリー主演による実写映画化もされているが、とくにアメリカでよく知られている映像化作品は、ドクター・スースも協力したTVアニメ版『いじわるグリンチのクリスマス』(1966年)であろう。監督には、『ルーニー・テューンズ』の伝説的なエピソード『オペラ座の狩人』(1957年)を手がけたチャック・ジョーンズ、俳優のボリス・カーロフがナレーションとグリンチの声を務め、また、コーンフロストのCMで「グーレイト!」と叫ぶタイガーの声で有名なサール・レイブンズクロフトが劇中歌、「You’re A Mean One, Mr Grinch」を歌っていて、この曲は本作でも踏襲されている。

 このTVアニメ版は、20数分のなかで過不足なく原作の魅力を引き出した「決定版」といえるものとなっていて、多くのアメリカの視聴者も繰り返し見ているはずである。そして「グリンチ」というキャラクターが、アメリカ人の間に浸透してるのも、この映像作品があることが大きい。そういうものがすでにあるなか、また新たにアニメーションを作るというのは、作り手にとってはかなりのプレッシャーだ。

 そこで考えられるのは、現代的な解釈によって、キャラクターや物語、舞台となる場所、テーマなどを大胆に変化させるという試みだ。それによって、既存の作品と競合せず新しい価値を創出することができるはずである。

 しかし、本作はその方法をとらなかった。確かにグリンチをいくぶん愛らしく、シンディー・ルーを活発なイメージに変え、さらに上映時間にあわせてエピソードを追加してはいるものの、それらはあくまで背景を豊かにしたり、原作のテーマを補強するようなものにしかなっていないのだ。グリンチは、孤児院で育ち孤独な生活を送ってきたことを描くことで、そのつらい気持ちが観客により伝わるようになっているし、シンディー・ルーも、日頃から自分のために忙しく働いている母親を想うエピソードがあることで、彼女の優しい気持ちが分かるようになっている。

 大きな改変をせず、そのままの要素をより活かそうとするのは、クリスマスを祝うアメリカ人が「グリンチ」という存在、作品を深いところで愛していることが影響しているだろう。そして、親が子どもにクリスマスの精神を教えるのに、このエピソードが完成された教材として機能するからでもある。

 日本では、クリスマスは恋人たちのロマンスを演出するものとしての役割が定着してしまっているが、ヨーロッパやアメリカなどでは家族が集まり、また困窮する人たちに手を差し伸べることが、クリスマス精神だと教えている場合が多い。

 劇中に描かれるように、クリスマスツリーやプレゼントを奪われてなお人々がクリスマスを祝おうとするのは、その精神こそが大事だということが分かっているからだ。そして、そんな人々の姿を見ることや、シンディー・ルーの優しさを感じて改心するグリンチもまた、クリスマス精神を発揮する。そして、心を開いたグリンチを人々が受け入れることもまたクリスマス精神である。この善意のやりとりによって、世界はあたたかく暮らしやすい場所になっていくはずである。

 クリスマスは宗教的な行事ではあるが、人を思いやるという心を持つこと自体は、世界のどんな国でも通用する、尊い考え方だ。そのことを伝える作品は、何度作り直されようと意味がある。

 イルミネーション・エンターテインメントが、近年のディズニーやピクサーと違うのは、より子どもに向けた内容を提供してきたという部分だ。複雑な展開や新しい価値観を伝えるというよりは、直球で楽しませ、より分かりやすいメッセージを伝えようとする。その分、大人にとっては物足りなく感じる場合もあるかもしれない。しかし、このような大きな規模で、まっすぐな作品を作るということも、やはり必要であるはずなのだ。だから、大人の観客は童心に帰って純粋な気持ちで観るということが、本作の楽しみ方なのである。

 そして、イルミネーション作品には、やはりミニオンたちが欠かせない。同時上映の短編『ミニオンのミニミニ脱走』は、刑務所を舞台にしたドラマ『オレンジ・イズ・ニュー・ブラック』のパロディーがあったり、『手錠のままの脱獄』(1958年)、『網走番外地』(1965年)を部分的に想起させられる、裏切りや皮肉な展開が待っている脱獄劇である。このあたりの要素が、大人のエンジョイするポイントであろう。(小野寺系)

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