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『ジュリアン』全員が救われうる選択肢はあったのか? DV問題の告発にとどまらない重層的な語り

リアルサウンド

19/2/25(月) 10:00

 『ジュリアン』は、一見、DV問題の実態を告発するストレートな社会派映画です。

 11歳の少年ジュリアンの両親は、父の暴力が理由で離婚し、ジュリアンと姉は母と暮らしています。しかし、父は共同親権を盾にジュリアンと2週に1度面会交流を行うことを主張し、裁判所もそれを許可します。母は新しい住所を父に隠し必死に逃げますが、ジュリアンを道具に使って元妻に執着する父の行動はだんだん暴走していき、ついに『シャイニング』ばりの恐怖に至る――。そもそも、父アントワーヌは初登場時のルックスから「いかにもDVを振るってそうな粗暴で暗い男」として描かれています。

 しかし、『ジュリアン』はそんな社会問題に対する一面的な解釈を訴える映画ではありません。『ジュリアン』は「答え」ではなく「問い」を突き付けてくる、もっと開かれた映画です。

 この映画は93分とコンパクトですが、その中で決して短くない尺を割かれているのが、ジュリアンの姉で、もうすぐ18歳の誕生日を迎えるジョゼフィーヌのストーリーです。彼女のために割かれた時間の長さに違和感を覚える人もいるかもしれません。少なくとも筋書き的には、姉のストーリーは最後まで弟と交わらず、投げっぱなしで終わるからです。でも、このジョゼフィーヌのストーリーこそ、この映画の鍵です。

 18歳になれば成人として親権に服さなくてもよくなるため、ジョゼフィーヌは父との交流も強制されません。ジョゼフィーヌには遠くの町に暮らす恋人がいますが、彼女が学校をさぼってまで恋人と会うことを母は快く思っていません。明示はされませんが、作中、彼女は恋人との子を妊娠したようです。やがて迎えた18歳の誕生日、恋人を招き、会場を借りて大規模な誕生パーティーが開かれます。パーティー終了後、最後まで残った2人は、翌日片付けのために来るはずの母親あてに書き置きと鍵を置いて、会場を後にします。

 そこで彼女のストーリーは終わります。その夜に自宅で起こる悲劇にも、彼女は立ち会いません。ジュリアンともDVとも無関係なこのストーリーは一体何を意味するのでしょうか。

 まず、最後の彼女と恋人の行動が「家出」であることは間違いありません。

 書き置きと鍵を置いて出る直前、パーティーで、2人はCCRの1969年のヒット曲「プラウド・メアリー」を歌い喝采を浴びます。

「町でのいい仕事を辞めたんだ
 ボスのために昼夜問わず働いてた
 ろくに眠る時間もなく
 過ぎたことばかり気にしてた」

「あんたも川まで来れば
 きっとそこで暮らす人たちに会えるはず
 金がなくたって悩むことはないよ
 川の人たちは気前よく恵んでくれるさ」(※筆者訳)

 「プラウド・メアリー」からは、都会の暮らしを離れミシシッピ川を下る外輪船「プラウド・メアリー号」に乗り込む陽気な解放のイメージ、ハックルベリー・フィン的な南部アメリカの「冒険」「逃避行」のイメージが鮮烈に伝わってきます。それを歌うのがフランスの若者で、「自由で豊かな国・アメリカ」への憧れまでプラスされれば、なおのことです。

 18歳になり、親権に服さなくても良くなり、そして自らも親になる(かもしれない)ジョゼフィーヌは、家を出ることにした。その心情は、セリフで語られなくても、音楽が雄弁に語っています。

 父が凶行に及ぶ直前、ジョゼフィーヌは無事に親の許から逃げ出した。親権下に留まらざるを得ないが故に悲劇に巻き込まれたジュリアンと、そこを離れたが故に無事だったジョゼフィーヌ。子に害をなす親の支配からは逃げ出すべき、という話とも思えます。

 しかし、この映画がこの曲に託したイメージはもっと重層的です。

 「プラウド・メアリー」はもともとCCRの曲ですが、オリジナルよりも有名なのはアイク&ティナ・ターナーのデュエットによるカバーでしょう。この映画で歌われるのもこのバージョンです。ソロシンガーとしても高名なティナ・ターナーと、アイク・ターナーの夫婦によるデュオは、華やかに見えた活動中、実はずっとアイクがティナに暴力を振るっていたことがよく知られています。ティナは最終的にアイクの暴力を理由として離婚訴訟を提起し、2人は離婚しています。夫の妻に対するDVが主題の映画で、DVが原因で離婚したことで有名な夫婦の曲が、若い恋人たちによって歌われているのです。

 この背景を踏まえると、この曲は、今は愛しあっている2人の未来について何かを暗示しているようにも聞こえます。似合わないポニーテールを編んだ、いかにも生活力のなさそうなボーイフレンドの佇まいは、2人の今後に不安を抱かせるのに十分です。でも、2人の可能性は未来に向かって開かれており、必要以上に暗いイメージを読み取るのは不当でしょう。

 ここでイメージとして読み取るべきは、若い2人に過去の父と母が重なる、ということです。

 父アントワーヌは、映画の始まりから終わりまで酷いDV野郎で、いいところは1つもありません。母ミリアムがなぜあんな男と結婚し子どもを2人もうけたのか。それは映画の中では語られません。しかし、今は幸せなジョゼフィーヌとボーイフレンドの姿を見ると、かつての2人も、今の若い2人と同様に愛しあっていたのではないか、と思えてきます。その頃、アントワーヌだってきっとずっとマシな男だったのかもしれない。

 この映画は、アントワーヌを擁護も共感もしようのない男として描きます。でも、このような重層的な語りを通じて、アントワーヌという男がなぜこうなってしまったのか考えざるを得ないような方向に気が付けば観客を誘導していくのです。

 この映画は、フランスでは離婚後も父母双方が子に対する親権を持つ、いわゆる離婚後共同親権制度であることが前提になっています。問題のある父であっても、親権者だから、2週に1度は一緒に過ごさざるを得ない。

 アントワーヌの行動は、いわゆるストーカーそのものです。日本の警察の統計では、ストーカー加害者の半数以上は元配偶者もしくは交際相手であり、面識がない相手は1割にも満たない。別れたことに納得がいかず、「貸した金を返せ」「別れる理由を説明しろ」「無礼を詫びろ」等の自分の中では正当な理由を持ち出して相手との接触をはかるというのが、ストーカーに多く見られる行動パターンです。アントワーヌにとっての「自分の中では正当な理由」が、この映画ではジュリアンです。彼は実は、息子との面会交流には関心を持っていません。息子を通じて元妻に執着しているだけです。

 「共同親権」は元配偶者・現ストーカーにとっての体のいい口実になる危険性がある。それはその通りです。

 一方、日本は、離婚後は父母のどちらかのみが親権者となる、いわゆる離婚後単独親権です。この点はこの記事に詳しくまとめられています。

 父母が離婚したからといって、親と子の関係が切れてしまうわけではありません。そういう意味では、共同親権は本来の「あるべき姿」といえるでしょう。実際、フランスだけでなく多くの国は離婚後共同親権です。一方で、日本では、離婚後共同親権を導入することについて、関係者の間では慎重論が根強いです。その根拠となるのは、まさにこの映画におけるアントワーヌのような「有害な元配偶者」が一定数存在することです。有害な元配偶者を遠ざける必要がある際に、共同親権では関係を断ちきれない、という訳です。

 この映画も、その文脈において共同親権の問題点を描いた映画だという意見がありますが、筆者はそのような見方には賛成できません。

 その理由の1つは、アントワーヌのような凶行に及ぶ元配偶者はあくまで一部だからです。彼のような例外的に危険な人間が存在するからという理由で、その他大多数の有害ではない元配偶者から親権を奪うことを正当化するのは難しいはずです。有害な元配偶者の存在と、離婚後の親権を誰が持つべきかというのは、無関係ではなくても、やはり別の問題です。

 もう1つの理由は、この映画自体が、そのような単純な図式化を許していないからです。

 この映画は、悪役であるアントワーヌが凶行に及んでしまう、その内面について想像力を巡らすように観客を誘導していきます。

 アントワーヌはミリアムに捨てられたと感じ、被害者意識を抱いています。

 ミリアムが彼の許から逃げたのは、彼の暴力が理由であり、暴力を振るった側が被害者意識を抱くのはちゃんちゃらおかしい。それはその通りです。

 一方で、100%自業自得であっても、彼が「周囲から拒絶された」ことはやっぱり事実なのです。彼の被害者意識は不当ではあっても、妄想ではない。そして、彼が被害者意識を募らせ、がさつな行動に出るほど、周囲はさらに強く彼を拒絶する。そして被害者意識がさらに募っていく。完全な悪循環です。拒絶される相手が、ジョゼフィーヌとそのボーイフレンド同様、かつて愛しあっていたであろう元配偶者ならなおさらです。

 では、アントワーヌが破滅的な行動に出ないようにするには、どうすればよかったのか。アントワーヌが親権を失い、ジュリアンとの面会交流も実施されなければ、この悲劇は防げた。それも1つの答えです。でも、ジョゼフィーヌの物語との対比を通じ、彼にも少なくとも有害ではない配偶者であり、親であった頃があったことは暗示されています。もしそうであるなら、もっと前のどこかの時点で、アントワーヌが負のスパイラルに陥ることを防ぎ、全員が救われうる他の選択肢だってありえたのではないか。

 ジュリアンはそんな鋭い「問い」を突きつける映画です。(文=小杉俊介)

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