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明らかに何かが変? 『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』の隠された魅力を徹底解説

リアルサウンド

18/8/14(火) 10:00

 第1作より22年、6作目となった人気シリーズの新作『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』は、トム・クルーズ自身が生身で演じる、これまで以上のエクストリームなアクションが話題になっている。50代も半ばを過ぎたトムだが、年を追うごとに撮影の危険度は逆に増しているというのが驚きである。

参考:『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』4DXは“アクション娯楽大作”としての真価を発揮!

 「HALO(ヘイロー)ジャンプ」(高高度降下 低高度開傘)と呼ばれる作戦シーンを撮るため、成層圏ギリギリの高さ(約8000メートル)から酸素マスクをつけての超高速スカイダイビングを、トムは撮影のために100回以上も繰り返したというから唖然としてしまう。また、ビルからビルへ飛び移るシーンでは足を骨折し入院、ヘルメットを付けずにバイクを駆り市街をハイスピードですり抜けたり、手がかじかむ極寒の山岳地帯を飛ぶヘリコプターに、実際にしがみついて落下してみたり、自らヘリを操縦し、墜落寸前の危険な飛行を行うなど、常軌を逸する狂気じみたアクションを繰り返している。

 だが本作を見て感じるのは、そのようなアクションから与えられる高揚感だけではないはずだ。この映画には、それだけでは説明がつかない、異様な魅力が背後に存在している。暗すぎる画面、不自然な演出…明らかに何かが変なのである。いったいそれは何なのだろうか。そんな本作『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』の隠された魅力を解き明かすのが、ここでの目的である。じっくりとした考察になるため、通常より長文になったことを許してもらいたい。

【序盤から「不可能作戦」が展開】

 国際的な特殊任務に従事する組織IMF(インポッシブル・ミッション・フォース)のエージェント、イーサン・ハントと、彼のチームに今回下された任務は、ロシアから盗まれ闇の市場へと流れた3つのプルトニウムの回収である。前作に登場した、ならず者スパイ集団「シンジケート」の残党「神の使徒」にプルトニウムを奪われれば、大規模な爆破テロが起きてしまうだろう。アメリカ政府の捜査線上に浮かんだのは、「ジョン・ラーク」という謎の人物だった。彼が武器商人「ホワイト・ウィドウ」とパリで接触するという情報により、急遽イーサンが軍の基地に呼ばれる。

 ラークとホワイト・ウィドウの待ち合わせる時間まで一刻の猶予もない。イーサンは軍用機に乗り、パリ上空からHALOジャンプで集合地点のグラン・パレに降下してパーティー会場へ潜入、ジョン・ラークを確保し、さらにラークのマスクを短時間で作成し、それをかぶってホワイト・ウィドウと取り引きをし、プルトニウム、もしくはその有力情報を入手しなければならない。「そんなことできるのか…?」と思わせられるが、そこがまさに「不可能作戦(ミッション:インポッシブル)」である。

 おまけに今回は、CIAからの“お目付役”として、オーガスト・ウォーカー(ヘンリー・カヴィル)なる腕利きのエージェントが、ミッション中にイーサンに張り付くことになる。本作はイーサンとウォーカーとの緊迫した関係も大きな見どころとなる。果たしてウォーカー、敵か味方か…。

【トム・クルーズとヘンリー・カヴィル】

 ヘンリー・カヴィルといえば、近年のDC映画でスーパーマンを演じていることで有名だが、『007』の主役ジェームズ・ボンド役の候補に選ばれたり、さらに本シリーズと同じく、TVドラマをリメイクしたスパイ映画『コードネーム U.N.C.L.E.』に、ナポレオン・ソロ役として主演した俳優だ。じつはこのナポレオン・ソロ、当初はトム・クルーズが演じるはずだった。しかしトムは、『ローグ・ネイション』の撮影と重なるため、最終的に役を降りていたのだ。

 ということは、役柄は変われど、今回はアメリカのTVドラマを源流に持つ2大スパイを演じる2人が、1つの作品に同時に出演し、反目し合いながら共闘するという設定のなかで火花を散らすことになる。このシチュエーションはアツい。

 ヘンリー・カヴィルは口ひげを生やすことで、見た目の上では、そのスター性は抑えられているものの、よく見ると瞳のキラキラした輝きはトムを凌駕するほどである。この2人のどちらがよりスターとしての魅力があるか。それもまた、本作に緊張感を与えている。

【マッカリー監督はなぜ続投したのか】

 本シリーズは、第1作を撮ったブライアン・デ・パルマ監督が他の作品を手がけるという事情で、第2作から降板するなど、成り行きによって毎回1作のみで監督が代わることが伝統になった。その度に、脚本が監督の持ち味に合わせたものになっているところが面白い。スタイリッシュなサスペンス・スリラー、詩情を含んだ耽美的アクション、TVドラマ風ツイストの連続劇、コメディ要素の強いガジェット・アクションと、それぞれにスタイルが変更し、全く別の映画として見られるところが楽しいシリーズなのである。

 だが本作に限り、前作『ローグ・ネイション』を担当したクリストファー・マッカリー監督が続投している。これは本シリーズのプロデューサーであるトム・クルーズが慰留したためだといわれている。しかし、なぜクリストファー・マッカリー監督だったのだろうか。

 マッカリー監督は、もともと『ユージュアル・サスペクツ』(1995年)で脚光を浴びた脚本家であり、『ワルキューレ』(2008年)、『オール・ユー・ニード・イズ・キル』(2014年)、『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』(2017年)などの、近年のトム主演映画で脚本を担当し、『アウトロー』(2012年)では監督・脚本を単独で務めているように、トムの信任が最も厚い人材の一人だ。

 名だたる映画監督に並んで、『ミッション:インポッシブル』という大ヒットシリーズを手がけるという意味では、大抜擢だったといえる5作目『ローグ・ネイション』は、大方の予想を覆し、シリーズ中でも屈指の出来となった。第1作のような、かつてハリウッド映画が持っていたロマンティックな魅力が作品に宿っている。そして、そのような充実した作品を完成させながらも、マッカリー監督は、トムの意向を最大限汲んでくれるのである。

【トムの要望を叶えられる監督】

 クリストファー・マッカリー本人の話によると、前作『ローグ・ネイション』に引き続き、本作もしっかりとした脚本がない状態で撮影をスタートしているのだという。それは、気分屋のトムが突然に新しいアクションのアイディアを次々に提案してくるためで、それに対してフレキシブルに対応しなければならないからだという。

 第1作は、ブライアン・デ・パルマ監督のサスペンス演出の手腕が充分に発揮された傑作だったが、トムの初めてのプロデュース作品ということもあり、派手な見せ場を作りたがるトムの希望を抑えるのが、かなり大変だったという。水槽を爆破してレストランから逃げるシーンでは大量の水を降らせ、そのときに鳴る劇伴(音楽)にも、もっとトランペットの音を大きくするようにと、トムは指示していた。

 2作目は、ジョン・ウー監督へとバトンタッチされたが、やはりウー監督も、トムが無謀なロック・クライミングをするシーンの撮影では、生きた心地がしなかったそうだ。だがウー監督は、トムの要求する派手なアイディアを支持もしていた珍しい監督でもあった。イーサンが爆風とともにビルの窓から飛び出して、手前に向かって飛び出して来る絵コンテを作らせたりもして、他のスタッフに「これではスーパーマンになってしまう」と説得されるなど、トムの荒唐無稽な思いつきを凌駕するアイディアを出した唯一の監督だといえよう。

 そのため『M:I-2』は、トムの希望を最大限に押し出した、異常にナルシスティックな作品になってしまった。個人的には第1作に次ぐ傑作だと思うが、原作の『スパイ大作戦』とは、あまりにも異なるものになってしまったことは否めない。その後シリーズはチームワークを重視するスタイルに一部回帰していくが、俳優トム・クルーズのプロモーションとしての意味合いはそのまま残っている。本シリーズは、「今度一緒に『トム・クルーズ6』を観に行かない?」と言っても、「ああ、『フォールアウト』のことか」と、何となく通じるような性質のものになってしまったのだ。

 難しいのは、トムがプロデューサーとして要求してくるアクション・シーンをさばききったうえで、シリーズにとっても、映画としても意義のあるものに昇華できるのかという部分である。そこで都合の良いのが、クリストファー・マッカリー監督だったのだ。彼は脚本を単独で書ける腕があるため、すぐにでも脚本変更に対応しつつ、新たなロジックを構築し、さらにそれに合わせて演出プランを変更することが可能というわけだ。つまり要望があれば、彼一人に話を通せば良いのだ。だからトムはマッカリーを手放せなかったのだろう。

【前作『ローグ・ネイション』とは異なった作風】

 だがマッカリー監督も、制約の中で自分のやりたいことを通していくことを忘れていない。『ローグ・ネイション』ではクラシック映画へのあこがれを作品につめ込んだが、本作ではそれに加え、現代的な構成に挑戦している。それはアクションを含めて、従来とは異なる、アクションとドラマ部分を同じように撮影し、全編を並列的に、流れるように撮っていくという手法である。そのため、撮影監督を含めてスタッフを刷新したという。

 アクションの見せ場が多すぎるということで、削った部分も多い。例えば、グラン・パレのパーティー会場の屋根からイーサンがぶら下がり、ダンスする群衆のなかに落下しそうになってしまう描写が存在していたはずだが、最終的にカットされている。“お約束”の宙づりシーンではあるが、これを残していたとしたら、むしろ凡庸な印象を与えていたかもしれない。

 代わりに引き立っているのが、そこに続くトイレのシーンだ。暗闇のなかから白い空間に入る瞬間、画家クロード・モネの光の処理のように、ざらついた質感の荒い粒子が、画面いっぱいに広がっていく。それは精細な美しさを持つ画面よりも、なぜか観客の心をざわめかせてくれる。その後、ホワイトウィドウの邸宅に到着するシーンでも、その映像的な魅力が妖しく光っている。しかし、これらのように暗い場所で照明を多用せず、一部でコントロールを放棄し、偶然性を呼び込むような撮影というのは通常、本作のような大作では行われ得ないものである。

 『ローグ・ネイション』も暗い雰囲気のある作品だったが、本作はもっとダークで内面的な印象がある。それは、イーサン・ハントが何度か見る、予知的な悪夢や、惨劇のイメージに代表されている。そういう作風に呼応した音楽も、基本はオーケストラによって奏でられているものの、部分的に暗い旋律が、内省的なエレクトロニック・サウンドと交わっていく。そのあたりが、テーマ曲を中心としてトゥーランドットなどの要素を分かりやすく乗せていた、ひたすらクラシカル志向の前作とは異なるところだ。

【マッカリー監督作の秘密は“二段熟成”】

 偏執的ともいえるマッカリー監督の映画への取り組み方は健在だ。例えば、『アウトロー』という作品では、アルフレッド・ヒッチコックの『裏窓』(1954年)、 『大いなる西部』(1958年)、『夜の大捜査線』(1967年)など、クラシック映画のオマージュが随所に見られるように、彼は古い映画の魅力を自作の中にとり入れることで、「映画らしさ」を確立しようとする作家性を持っている。そもそもマッカリーの出世作となった『ユージュアル・サスペクツ』も、そのタイトル自体が『カサブランカ』(1942年)のなかに登場する名台詞から引用されたものだ。

 『ローグ・ネイション』でも、モロッコのカサブランカを舞台とし、ヒロインに「イルサ」と名付けるなど、やはり『カサブランカ』のオマージュを行い、オペラの暗殺シーンでは、ヒッチコックの『暗殺者の家』(1934年)の演出を引用し、さらに作品全体にはオペラの『トゥーランドット』のストーリーをからませている。ここに登場する謎めいた女性スパイ・イルサは、『カサブランカ』と『トゥーランドット』が重ねられた、重層的存在なのである。焼酎や醤油は、二段熟成させると味が深くなるというが、『ローグ・ネイション』にも、このように意図的に熟成された深い味わいが存在しているといえよう。

 本作『フォールアウト』が下敷きとしたのは、古代ギリシア、ホメロスの叙事詩『オデュッセイア』である。これは、劇中でわさわざ書籍を登場させてまで明示してくれている、分かりやすい引用元だ。『オデュッセイア』の主人公である英雄オデュッセウスは、2人の女性を愛する男であり、数々の苦難を経験し、旅を終えて妻のいる場所へと帰還するというのが大ざっぱな内容だ。例によってマッカリー監督は、そこに複数の映画作品のイメージを重ねていく。

【奇妙な符合、偶然か必然か】

「この映画の撮影はパリで行う予定。脚本はまだありません」

 ミュージカル映画『ラ・ラ・ランド』で、女優のタマゴである主人公が、ある作品のオーディションに出たときに、審査担当者に説明されるセリフだ。

 脚本が不十分な状態で、パリで撮影を始める映画といえば、古い映画に詳しい観客ならば、それは名作映画『カサブランカ』の当初の製作状況に酷似した状況だということが理解できるはずだ。『ラ・ラ・ランド』では、そのシーンの前に『カサブランカ』についての言及があるので、意識してないわけはないだろう。つまり、オーディションの作品は『カサブランカ』同様に伝説的な人気作品となり、主人公がその試験に受かるならば、彼女のハリウッドでの成功は約束されるだろうことが、そこで暗示されているのだ。

 脚本が未完成の状態で撮影され、パリを舞台にしたハリウッド映画といえば、本作『フォールアウト』もそれに該当する。もちろんこの符合は、狙ったものというよりは、偶然にそうなってしまった可能性の方が大きい。しかし、前作に引き続いて本作まで『カサブランカ』と不気味に類似してしまっていることは事実だ。そして、その不気味さは『カサブランカ』のみに収まらない。

 本作では、第1作に登場した武器商人「マックス」の娘も登場する。マッカリーはこれらの仕掛けについて、「ただのイースター・エッグではない」と語っている。だからここでマックスの娘が語る「遺志を引き継ぐ」とは、ブライアン・デ・パルマ監督による第1作の何かを本作が引き継いでいることの意思表示なのではないだろうか。それは例えば、「サスペンス映画の神」と呼ばれるアルフレッド・ヒッチコックのオマージュを繰り返してきたブライアン・デ・パルマの作風のことだとしたらどうだろう。

 ヒッチコック監督の後期代表作に『めまい』(1958年)がある。刑事が屋根の上を飛び移りながら犯人を追跡していると、滑って落下しそうになる。彼は足に怪我を負い、高所恐怖症になってしまう。その後、刑事を辞めた男は、ブロンド・ヘアーの美しい女性と恋に落ちるが、その女性は不遇の死を遂げるという考えに取り憑かれており、夢で見たという村の教会にある、高い鐘楼から身を投げて死んでしまう。男は高所恐怖症のため、彼女を助けることができなかった。しかし、しばらく経つと、男の前に彼女に瓜二つの女性が現れる。外見上で異なるのは、ブロンドではなくブルネットだという点である。

 本作で、負傷するイーサンへ2人の女たちがそれぞれに感謝するという、少々冗長ともいえる不可解なシーンがあった。彼女たちは、やはりブロンドとブルネットである。グラン・パレの宙づりシーンや、ヘリとトラックが衝突寸前となるシーンは削除しても、ここはじっくりと描写する必要があったのだろう。

【なぜ狂気に身をゆだねるのか】

 前述したように、トムはビルから飛び移るシーンにおいて足を骨折している。そしてそれは、ロンドンでの最初の撮影であったらしい。その後数か月の間トムは入院し、マッカリー監督はその間に脚本を練り上げ、全体の整合性をとることができたのだと語っている。ロンドンで塔をらせん状に上っていく表現も、『めまい』のイメージそのままだといえよう。「ある女性を登場させてほしい」というのはトムからの要望であったが、そこから本作は『めまい』の「ダブルイメージ」に引き寄せられていったのではないだろうか。『めまい』と大きく違う部分があるとすれば、本作の主人公が高所恐怖症のわけがないという点である。

 ここでの符合が偶然にせよ必然にせよ、マッカリー監督が複数のオマージュによって、ハリウッドの記憶とつながり、過去の亡霊を呼び出そうとすることで作品を補強する映画監督であることは間違いない。マッカリーが、劇中のマックスに言わせたスピーチは、まさに過去の遺志を継ぐことで、より良い作品を目指していくという決意表明である。

 さらにマッカリーは本作において、実験的な映像をとり入れつつ、トム・クルーズの狂気の要求に応えながら、それを行っているのである。これもまた一種の常軌を逸した作品づくりだと思える。本作『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』に隠されているのは、このように作り手によって折り重ねられた狂気であり、狂気を帯びることで過去の自分を超えて、才能を極限まで発揮することを選び取った者の覚悟だといえるのではないだろうか。そう、だからトム・クルーズとクリストファー・マッカリーは、相性が良いはずである。(小野寺系)

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