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ポール・ドレイパー、Mansun時代の苦悩とソロ活動の喜び「“音楽”という大きな流れの中にいたい」

リアルサウンド

19/4/1(月) 18:00

 90年代後半のブリットポップ末期に登場し、百花繚乱状態だった当時のUKバンドの中でも強烈な存在感を放っていたMansun。とりわけ1998年に発表した意欲作『SIX』は、その前衛的なアプローチがRadioheadにも影響を与えたことで知られている。一時はUKロックの未来をも踏まえた怜悧な音楽観を見せていたにもかかわらず、本国のメディアには冷遇され、所属レーベルとの不和やメンバー間の軋轢などもあってバンドは2003年に解散。その不遇ぶりにファンは歯がゆい思いをしたものだ。

 その後、フロントマンだったポール・ドレイパーはソロとなったわけだが、それとて決して順風満帆だったわけではなく、初のフルアルバム『Spooky Action』を完成させるまでには14年もの歳月がかかってしまった。そしてこの度、ついにその『Spooky Action』を携えて、ポールが実に19年ぶりの再来日を果たした。Mansun時代からのファンにとっては、まさに待望を越えた熱望、悲願のツアーと言ってもいい。

 現在の相棒、ベン・シンクと共に2本のギターとボーカルだけで織り成すアコースティックショーは、ソロの楽曲に加えて「Wide Open Space」「Legacy」「Dark Mavis」といったMansunのレパートリーも交え、いくつかの曲では合唱も起こる盛り上がりぶりだった。

 かつてのポールには人を寄せ付けない、寡黙な印象があったけれど、「日本のビール、大好きなんだ」と言ってサッポロ黒ラベルをグイグイ飲み、観客と言葉を交わしながら和やかにライブを進めていく様子には、時が経ったことをしみじみ実感。憂いを帯びていた佇まいも、貫禄のついた体躯のおかげか、はたまたたくわえた髭のおかげか、随分と柔らかなものになった。 

 およそ20年の歳月はいろいろなものを変えたが、研ぎ澄まされた楽曲とパフォーマンスに漂う妖気は相変わらず。往年のファンはもとより、新規の若いファンの姿も沢山見受けられ、彼のセカンドキャリアはこれからが本番だと感じる素晴らしいライブだった。

 初日を終えたポール・ドレイパーに対面した。(美馬亜貴子)

昔のまんまじゃ仕方ないだろ(笑) 

ーー19年ぶりに日本に来てくれて嬉しいです。当初は一夜限りのはずが、結局は追加公演を重ねて計5日間のツアーになりました。初日の盛り上がりも最高でしたね。

ポール・ドレイパー(以下PD):アコースティックライブだから静かなものになると思っていたけど、とても盛り上がったね。どんな雰囲気になるのかはやってみないとわからなかったけど、予想外にアップな感じで、とても良かったよ。

ーー長らくあなたのことを待ってたファンの熱気、感じてくれました?

PD:うん。昔、バンドでパンキッシュなギグをやってたときはお客さんとバトル状態というか、ステージからどんどんけしかけて、それにお客さんが返してくれることでエネルギーが生まれていくという図式だった。昨日はアコースティックギグだったけど、演者と観客、共に作り上げていく温かさを感じたよ。若い頃の僕は「観客とともにポジティブなものを作り上げる」なんて、そんなおとぎ話みたいなことは信じなかったけど(笑)。

ーーライブではソロの曲とMansun時代の曲を織り交ぜながら演奏していましたね。Mansunは後味の悪い終わり方をしてしまったけれど、かつての楽曲に、あなたが誇りを持っていることがわかりました。

PD:うん。自分が書いた曲だから、やらないって選択肢はないよ。ポール・ウェラーだってThe JamやThe Style Council時代の曲をやってるだろ? 実際は、いまだに抵抗のある曲というのもいくつかあって、そういうものは演奏していないけどね。

 最初にアコースティックのショウをやろうと思った時、これは自分にとって挑戦だな、と考えたんだ。ソングライターとしても、ボーカリストとしても。自分がアーティストとして独り立ちした状況で、やるべきだとも思ったし。例えば「Until the Next Life」のようにレコーディングはイマイチだったけど、曲そのものはよかったというものや、4作目のアルバムに入る予定だった「Keep Telling Myself」のように、今まで自分が書いた曲の中でもベストソングの一つだと思うものを新しい形で提示したいという気持ちもあった。で、ソロでやるなら内容も尺も、それなりの形でやりたい。そうなると必然的に過去のレパートリーも入ってくるというわけさ。それで『Attack of the Grey Lantern』の20周年の時は、アルバムを丸ごと演奏するという形をとってみたんだけれども、あのアルバムに収録されている曲は、アコースティックセットでお客さんとオーディエンスが一つになれる感覚を味わうにも格好の曲が入ってると改めて思ったんだよ。

ーー今回のパートナーであるベン・シンクとのコンビネーションも素晴らしかったです。アコースティックギターとエレキギターで、非常に緻密なアンサンブルを生み出していました。よく練られたアレンジでしたね。

PD:確かにリハーサルはかなりしたよ。ベンとはもう8年の付き合いになる。ロンドンのとあるジャムナイトで出会ったんだけど、彼はドラムもベースもギターもキーボードもできるんだ。その上ミュージックテクノロジーも勉強しているということだったんで、「じゃあ、僕のスタジオに来て一緒にやってみる?」ってことで作業をするようになったんだ。ちょうどその頃、僕は他の人のプロデュースをしていたので、ベンにThe Anchoress(ジ・アンカレス)のエンジニアをやってもらって、それからちょくちょくベンにエンジニアリングを頼むようになったのさ。その後僕がソロで動き出した時に一緒にやってもらうようになった。以来、パートナーとして、そして旅の友として、良い関係を築いているよ。

ーーお客さんに話しかけながらライブを進めたり、ビールを飲んだり、ファンにサインしたり、笑顔で写真を撮ったりと、かつてのあなたからは考えられないくらい楽しそうな姿が印象的だったんですけど、自分でも自分が変わったと思います?

PD:最初は自分一人でやるということで、どうなるかわからなかった部分も多かったけど、昔よりはリラックスしているね。やっぱり歳を取ると、自分のことをそこまで深刻に考えることはなくなった。Mansunがあまり良い終わり方をしなかったにもかかわらず、今、こうして音楽ができているのはボーナスみたいなものだと思っているんだよ。まあ、喋ったりジョークを言ったりはしているけど、ひと度曲に入ったら、100パーセント全力投球することに変わりはない。今はヒゲを生やしてニコニコしているけど、昔のまんまじゃ仕方ないだろ(笑)。今回はアコースティックだけど、フルバンドで戻って来られたら、また違った感じのライブになると思うよ。

ーー「一緒に歌って!」というあなたの呼びかけに応えてオーディエンスが合唱していた光景、凄かったですね。「Negative」や「Legacy」など、Mansunの曲ってキーが高くて歌うの大変なのに(笑)。

PD:ああ、だから僕自身みんなの助けが必要だったんだ(笑)。

ーーあんなにもたくさんのオーディエンスが歌詞を覚えていて歌えるんですから、どれだけ熱いファンが多いかわかったでしょう?

PD:ステージに出る前はファンの人が歌ってくれるかどうかわからないものだけど、やっているうちにこれはいけるな、と思ったよ。もちろんライブの度に状況は変わるけど、日本のファンの忠誠心は凄いよね。もし、今回のアコースティックショーが成功したら、今度はフルバンドで戻って来たいなと思っているよ。

ーーところで、約20年ぶりの東京はいかがですか? あの頃はなかった東京スカイツリーに行ってきたとか。

PD:うん、地下鉄で行ってきたよ。とてもよかったね。今回はホテルが渋谷でライブ会場も渋谷なんで、主に渋谷をぶらついているんだけど、帰るまでには皇居に行って巨大な鯉を見たり、新しい機材を探しに秋葉原にも行きたいな。

ーー街の雰囲気は変わったでしょうか?

PD:進化したと思う。ニューヨークのタイムズ・スクエアはいつ行ってもタイムズ・スクエアって感じだけど、渋谷はまた新しいビルが建って、壮観な摩天楼になってるね。ただ、東京のジェントルな雰囲気は変わらない。歩いてる時、フクロウ・バー(カフェ)なんて妙なものも見つけたけど、酒がうまいのも変わらずだし、食べ物も最高だし。あと、空気が多少キレイになった気もする。タバコや車の排ガス、スモッグが減ったのかな。

ーーあなたはこの間に大きな病気(注:指に出来た悪性腫瘍のため、しばらく療養していた)もしましたが、もう体調は大丈夫?

PD:うん、もう大丈夫。全力でできるよ。

ーーその他、個人的な変化はありました? 結婚したり、子供ができたりとか。

PD:いや、僕はいまだに独身だし、子供もいない。身辺で起こった一番の変化といえば、自分のスタジオを作ったことかな。『The Kitchen』っていうんだ。普段はここで作業をしているよ。

個人のアーティストとして自分らしく活動をしていくだけ 

ーー2003年からソロ活動を始めて、ようやく『EP ONE』という作品になったのが2016年。一時はこのままプロデューサーになってしまうのでは? と思っていました。あなたは元々裏方志向とのことですが、昨夜のような楽しい時間が持てるのであれば、人前でパフォーマンスするのもなかなか良いものでしょう?

PD:ああ、僕は元々Mansunの作品をプロデュースしていたけど、Mansunの終わり頃にはThe StrokesやThe White Stripesのような新しいバンドが出てくるようになったんで、心がざわつくようになったというか……そもそも自分はスタジオの仕事をやってた人間なので表舞台にいることがしっくりこなくて、裏方に引っ込んでいったんだ。それでウエスト・ロンドンにスタジオを作って、その流れでThe Joy FormidableというウェールズのバンドやSkin(Skunk Anansie)の作品をプロデュースしたら、そうした作品がベストプログレアルバムとかベストウェルシュアルバムに選ばれたりして『サンデー・タイムズ』や『オブザーバー』で評価されて、結果的に、そこで僕の名前がまた表舞台に上がってきたんだ。それら一連のことがソロ活動をする後押しになったと思う。

 実は2ndソロアルバムも4分の3ほどできているんだ。この後、中国をツアーするんだけど、帰ったらあと3カ月くらいで完成するんじゃないかな。今は他の人のプロデュース仕事は入っていないので、しばらくはソロに集中してやっていくつもりだよ。

ーーかつてのあなたは音楽界全体を見渡して、それに対してどのような創作を行なって行くべきか、ということを考えていたと思うのですが、今はどうでしょう? 

PD:今の音楽業界は、僕のようなアーティストにとってはかえっていいんじゃないかな。なぜなら、自分だけの世界の中で活動していくことが可能だから。かなりの数の人が僕のSNSをフォローしてくれていて、僕は自分のやり方でファンと直接交流している。今は必ずしもレコード店で作品を売る必要がないしね。

 ソーシャルメディアのチームには、Facebookを運営してもらってる。ファンからのメッセージが毎日来るから、それに返信することを心がけているよ。インスタはポール・ドレイパー個人のものの他に、Mansunのアカウントもある。『SIX』がリイシューされることもあって、今でもMansunの動向を追い続けているファンが大勢いるから、そちらにも情報を出しつつ……という具合に、今はアーティストが自分だけの世界の中で十分活動できる状況がある。それが昔との最大の違いだよね。もうポップチャートに上がる必要はない。ただ、個人のアーティストとして自分らしく活動をしていくだけだ。実際、僕はソロでもアメリカ、フランス、ベルギー、日本、中国をツアーしてるわけで、次のセカンドでは香港や台湾、ヨーロッパの他の国も回ったりできればと思ってる。マンサン時代からのファンと改めて繋がると同時に、新しいファンの掘り起こしもしているけど、それが大きなメディアに出なくてもできるというところが昔とは違うんだ。

ーーそれでは、今は何かと闘ったり、もがいたりしている感覚はないですか?

PD:ないね。若い頃は怒りに満ちていたけど、いつまでもそうだったらおかしいだろ。今はマイルドにハッピーだよ(笑)。1995年にツアーを始めて、もう24年こういう生活をし続けることができている。そのこと自体がラッキーだって実感しているから。怒りに燃えることで惨めになるのではなく、感謝することを覚え始めたんだ。

ーー感謝といえば『Spooky Action』のCDのクレジットには、ものすごくたくさんの名前が連なっていますね。

PD:ああ、そういうのも昔はやってなかったね。

ーー中には「敵たちへ。君たちを赦すよ。愛が答えだ」と書いてあって驚きました。やはり紆余曲折あったことで、何かを悟った感覚はありますか?

PD:あれは前のバンドのメンバーと、一部の業界人のことを指しているんだ。昔のことは、過ぎたこととして受け止めているし、全てが思い通りにはいかないまでも、今、自分は音楽をやって生きていくという希望を叶えている。それだけでもありがたいことなんだ。例えばゆうべのように素晴らしいコンサートができた時は、心から幸せを感じる。そういうことがあると、これまでの道のりは無駄ではなかった、やってきた価値があったな、と思えるんだよ。

ーーそうですか。でも長年のファンとしては、あなたの音楽はまだまだ正当な評価を受けていないという気持ちもあるんですよ。昔から時代に早すぎたり、マニアックだったりと、一般的にはとかく「不遇」というイメージがあるんですが、自分ではその辺り、どう思っていますか?

PD:うん、そうかもね。ただ「時代に早過ぎた」って自分で言うのは生意気だから「時代に合ってなかった」と言おう(笑)。ただ、今またMansunが受け入れられる時代になってきたのかもしれないとは感じているよ。『Attack of the Grey Lantern』を再発したらUKチャートに入ったし、ラジオでもいまだにかけてもらえる。『SIX』もリイシューされて評価を得ているしね。

ーーええ、実際、ゆうべのライブにも若い人、沢山来てましたよね。

PD:(嬉しそうに)そうなんだよ! 僕のソロからかつてのバンドを知った人もいるだろうし、バンド時代からファンでいてくれてる人もいるだろう。そんな風に新旧のファンがミックスされてるのはとてもいいことだよ。自分でも若いファンが多いのに驚いたけどね(笑)。

ーーこれは答えるのが難しいかもしれませんけど、バンドが長く続いていくには何が必要なんだと思いますか? Mansunが続けていけなくなった一方で、The Rolling Stonesみたいに長寿のバンドもいるでしょう? 

PD:バンドを保てなかった僕がそれに答えていいのかな(笑)。

ーーだからこそ、あなたが実感したことを聞きたいんですよ(笑)。

PD:そうだな。まず基本、友達同士であるに越したことはない。Mansunは友達じゃなかった……と言うつもりはないけど、『バンドをやろう』という呼びかけのもとに集まった人間のグループだったんだ。まずバンドありきだったから、成功し始めるとパワーバランスがおかしくなってきてしまい、そこに金の問題も絡んできたりしてダメになっていった。問題が起こったところでメンバー同士が話し合いの時間をもって解決しようとすればよかったのかもしれない。でも、僕は嫌気がさしてしまって、それで4作目の途中で脱退してアメリカに渡ったんだ。幕引きをきれいにできなかったことに後悔はあるよ。

 結局、バンドをうまく回すのは、いいマネージメントなのかもしれない。良き友達と良きマネージャー、もしくは友達じゃなくても人として相性がよければうまくいくんじゃないかな。

ーー以前「マンサンの再結成はThe Beatlesよりも難しい」と話していましたね。元メンバーとも会っていないそうですが、あなたの中にMansunというバンドに対する未練は全くないのでしょうか? 実際、4作目が未完成ですけど、他にやり残したなと思うことはありますか?

PD:そうだね。Mansunは過去のものだ。ただ、作品は別で、今でも直したいと思うところが結構あるので、その作業もしているよ。一連のリイシューが終わったら未完のままの4作目を完成させようと思っているし。『Kleptomania』に入ってるデモを、適切な形で仕上げるんだ。あと、気に入ってない『Little Kix』も、もう一度自分の手でプロデュースし直したい。あの時は外部のプロデューサーに頼む形になってしまって不本意な部分がたくさんあるから、自分のプロダクションで完成させたいんだ。それから、ライブの映像も撮ってあるから、フルコンサートの映像を映画館で特別上映みたいな形で上映しようとも思ってる。デモ音源もまだたくさんあるし、EPやアルバムのヴァイナル、本……出すものはたくさんあるから、向こう10年かけて少しずつ出していくよ。そうしたアーカイブを作ることで、Mansunを正しい形で知ってもらいたいと思うんだ。

ーーこれからまだまだリリースは続くんですね。その制作のモチベーションというのはどこからくるのですか?

PD:金じゃないことは間違いないね。なぜなら金になってないから(笑)。「自分の中でうごめいている何か」としか言いようがない。振り返ってみれば僕は、ポップスターだった時期があって、そこから裏方になって、ソロアルバムを作ってソロで活動するようになって……状況は変わるけれども、この『音楽』という大きな流れの中には常にいたいな、と思っているんだ。純粋に楽しんでいるという意味では、職業というより趣味と言ってもいいかもしれないね。

ーー最後に、4分の3はできているという2作目のソロについて聞かせてください。

PD:次のアルバムはもう少しヘヴィなロック寄りのアルバムだよ。今、イギリスではポストロック的なものが主流になっているんだけど、僕は90年代風のシンセサイザーを使ったロック、そういうテイストのものが20年経っても好きなんだよね。それが僕らしさってことなんだと思う。Facebookをやっている人は「Paul Draper Appreciation Society」っていうファングループを見てもらえば、新しいアルバムに収録される曲がいくつか聴けるよ。さらにダークでヘヴィなサウンドになってるのがわかると思う。

ーーそれを聴く日が待ちきれないです。それからフルバンドでの再来日も。

PD:ああ、僕自身も楽しみだよ。また会おう。

(取材・文=美馬亜貴子/通訳=染谷和美)

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