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『インクレディブル・ファミリー』が描く男女の対比 “ファミリー映画”としてのユニークさを解説

リアルサウンド

18/8/12(日) 10:00

 近頃、海外映画で扱われるテーマが、日本社会の状況にあてはまると感じる機会が多くなった。『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』(’17)における女性差別や、『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』(’18)で描かれるシングルマザーの貧困と就労困難。これらはまさに、いまの日本が抱える問題でもある。どの国も状況は似たり寄ったりなのだと納得する一方、いままで表面化していなかった社会の歪みと向き合うタイミングなのだと実感させられる。今回取り上げるアニメーション映画『インクレディブル・ファミリー』は、3人の子どもを抱える夫婦が、スーパーヒーローと家族を両立させるというユーモラスな筋立ての作品だが、中心となるテーマは女性の労働であり、またしてもいまの日本を想起せずにはいられなかった。

 『インクレディブル・ファミリー』は、2004年に公開された『Mr.インクレディブル』の続編である。今作で中心となるのは、身体を自在に伸び縮みさせられる特殊能力を持つ母親、イラスティガールだ。前作において彼女は、同じくスーパーヒーローの屈強な男性Mr.インクレディブルと結婚し、やがて子どもが生まれる。やむなくヒーローを廃業した彼女は、主婦として子育てに翻弄される日々を送っていた。続編『インクレディブル・ファミリー』では、一介の主婦として暮らす彼女に、大きなチャンスが舞い込むことから物語が動きだす。巨大資本(通信会社)がスポンサーとなり、ヒーロー業を支援してくれることになったのだ。これまで働きに出ていた夫、Mr.インクレディブルと役割を交代し、妻はヒーローの仕事で家計を助け、夫は家事育児を担当する。人一倍の自立心を持ちながら、家庭のために一度はヒーローをあきらめたイラスティガールだったが、現場へ復帰し、特殊能力を発揮して列車事故を未然に防ぐと、みずからの存在が社会の役に立っているという達成感で全身が満たされ、ますます仕事にのめり込んでいくのだった。

 就労の機会を得て社会に参加し、認められ、働く喜びに満たされる女性の姿。ここで重要なのは、輝かしいポジションを得て活躍するイラスティガールと対比させつつ、慣れない家事育児をしながら、彼女の活躍を蚊帳の外から眺めるほかないMr.インクレディブルの煩悶が描かれる場面だ。夫は、素直に妻の成功を喜べない。テレビをつければ、列車事故をみごと防いだイラスティガールの話題で持ちきりである。夫は、喜びより先に嫉妬や不満の感情ばかりが湧き上がってしまい、妻からかかってきた電話にも、義務的に「おめでとう」と伝えるのが精一杯だった。自分の存在を否定されたかのような屈辱感。妻の活躍を報じるニュース番組を見ながら、夫が苦虫を噛み潰したような表情になる場面で、劇場に来ていた子どもたちがどっと笑うのだが、ここで私は感動させられた。妻の成功を手放しで喜べず、へそを曲げてしまう夫の心の狭さを、コメディとして笑えるだけの理解力を持つ子どもたちがたくさんいる。この場面を笑える子どもは、きっと成長して配偶者を得てからも、相手の活躍を心から応援できる寛容さを持てるようになるだろう。

 思えば、夫であるMr.インクレディブルは、端から見ていて気の毒なほど「男性らしさ」にとらわれたキャラクターであった。強くあらねばならない、自分が外に出て稼がなくてはならないという強迫観念から、彼はどうしても逃れられない。1作目において印象的なのは、ヒーローをやめて保険会社に勤務していた夫が、問題を起こして会社を解雇される場面である。彼は、自分が職を失った事実を妻へ告げることができない。大黒柱はあくまで自分だという自負があるのだ。かくして夫は、妻の失望を怖れて、解雇された後も出勤するふりを続けるほかない。「妻に失職を告げられない夫」とは、『フル・モンティ』(’97)や『トウキョウソナタ』(’08)などの作品にも共通して見られるモチーフである。彼ら男性にとって、職を失い稼ぎのなくなった夫など、あまりに無価値な存在であり、妻にその情けない姿を晒すなどとても耐えられないのだ。だからこそ夫たちは、勤め先などなくとも仕事へ行くふりをしなくてはならない。何と虚しく哀れな習性か。男性らしさへの固執ゆえ、妻が自分より有能であること、妻が世間に活躍の場を見出すことに怖れを感じる。『インクレディブル・ファミリー』がユニークであるのは、女性を抑圧する原因が、男性らしさに固執する心理にあると認めつつ、男性らしさの相対化を目指す点にあるのではないか。

 Mr.インクレディブルは、1作目の冒頭で「何回、地球の危機を救っても、またすぐ危機に陥るだろう。少しは平和のままでいてくれ」と冗談めかして話していた。しかしこの台詞は、男性らしくあることに疲れた者の嘆きであるように思えてならない。世界の危機を救い続けなくてはならない状況とは、男性であることを証明し続ける息苦しさと同意義だ。警察の無線を傍受してまで悪人を倒さずにはいられないMr.インクレディブルは、男性らしさの証明に取り憑かれている。彼と同じ苦悩を、たとえば『シェイプ・オブ・ウォーター』(’17)に登場する軍人、ストリックランドの台詞から読み取ることができるだろう。厳しい仕事で常に結果を求められるストリックランドは、ある任務でミスをした瞬間に思わず「いつまで『まともな男』であることを証明し続けなければいけないのか」と口にしてしまう。彼の嘆きは、男性らしくあることを自分に課し、疲労しつつも、その場から降りることのできない者の悲哀に満ちているのだ。彼らの男性らしさに対する強迫観念は、結果として女性を抑圧する原因になってしまっているのだ。

 かくして『インクレディブル・ファミリー』は、女性を抑圧する「男性らしさ」の空虚さを見すえて批判すると同時に、男性もまた「男性らしさ」によって苦しめられる存在であるという広い視点をも備えたフィルムであると言える。イラスティガールの輝きや充実と同様、Mr.インクレディブルが抱える煩悶、嫉妬にも大きな意味が込められている。こうした複雑なテーマが、ファミリー映画の題材として丁寧に描かれ、子どもたちにも伝わる平易さで物語に組み込まれている点にこそ驚かされる。本作を観て育った子どもたちなら、いずれきっといまよりまともな社会が作れるのではないかと期待しているのだ。(文=伊藤聡)

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