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ブラッド・バード監督が見せつけた“格の違い” 『インクレディブル・ファミリー』のすごさを解説

リアルサウンド

18/8/10(金) 10:45

 『アイアン・ジャイアント』(1999年)をはじめとする、規格外の傑作ばかりのフィルモグラフィーが示すように、群を抜く才能で「天才アニメーション監督」の名を欲しいままにしてきたブラッド・バード監督。彼はアカデミー賞・長編アニメーション映画賞受賞作『レミーのおいしいレストラン』(2007年)を最後に、『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』(2011年)、『トゥモローランド』(2015年)を監督するなど、実写映画に活躍の場を移し、10年以上も監督として劇場アニメーション作品を発表してこなかった。

 そんなバード監督がついに手がけた、アニメファンにとって「待望」というにはあまりにも待たされた新作『インクレディブル・ファミリー』は、やはり“格の違い”を見せつける、おそろしいまでに傑出した作品だった。

 円熟期に入った天才の仕事。その圧倒的な演出の冴えと、漂う風格と余裕には、もはやため息が出るばかりだ。それでは、本作『インクレディブル・ファミリー』は何がどのくらいすごいのか。作中の描写などから徹底的に解説していきたい。

参考:『インクレディブル・ファミリー』プロデューサーを直撃! 14年ぶりに帰ってきた理由を聞く

■圧倒的な充実感はどこからもたらされる?

 本作は、ピクサー映画『Mr.インクレディブル』(2004)の14年ぶりの続編だ。スーパーヒーローとしての能力を持った家族が、ヒーローに風当たりの強くなった現代の世間の目から逃れながら、悪者と戦う姿が描かれた。ヒーロー映画とファミリー映画が融合したところに新味があった作品だ。ここではヒーローの活躍と、家族の問題が同時に描かれている。

 『インクレディブル・ファミリー』は、そんな前作の結末の直後から物語が開始される。絆を強め、悪と戦う一家となったインクレディブル・ファミリー。彼らを含めたヒーローたちは、悪の打倒のため、街に甚大な被害を出してしまう。またもやヒーローに非難が集中することで、一家も人々から隠れ、安モーテルに生活することを余儀なくされる。

 そこに救世主として現れるのが、新たなパトロンであるディヴァー兄妹だった。兄のウィンストン・ディヴァーはヒーローの大ファンであり、通信会社を経営する大富豪だ。彼は一家にゴージャスな邸宅を与え、インクレディブル・ファミリーのママ、ヘレンこと「イラスティガール」の活躍による、ヒーロー復活計画を持ちかける。普段は一家の主婦だが、身体をゴムのように自在に伸縮させる能力を持つイラスティガールは、ウィンストンの妹イヴリンが開発した最新鋭の装備を得て、ゴム人間としてのパワーを活かしながら、新たな悪を単独で追いつめていく。

 ここまでの展開は、続編の脚本としては典型的ともいえ、大きな驚きは少ないかもしれない。だが、そんな何でもないはずの物語は、余裕ある大人の演出によって、きわめて美学的に表現され、常に目を楽しませ、充実感を与えてくれる。

■実写映画の魅力が加わった円熟のスタイル

 例えば、ディヴァーからの誘いを伝えに、Mr.インクレディブルの親友のヒーロー「フロゾン」が一家の潜むモーテルに訪ねて来るシーンが素晴らしい。手前にボブ(パパ)とヘレン(ママ)の後ろ姿を配置し、観客は話をするフロゾンの表情だけに視線を誘導され、注目させられる。両側からは青と赤の照明があてられ、静かな興奮と不穏な予感を同時に漂わせる。ただこれだけの演出なのに、このカットを眺めているときの満足感はどうだ。

 ここで行われているのは、意識された“情報量の抑制”である。CGアニメーションは、やろうとすればどこまでも画面を豪華に彩ることは可能だし、自分のカラーを出したいと焦る映画監督は、どうしてもオリジナリティを感じさせる要素を付け加えようとしてしまうが、ここでは必要なものを必要なだけ配置し、作品にとって有用かつ効果的なことしかやっていない。むしろここでは、そのスマートさやダンディーさこそが、一種のオリジナリティとなり、洗練された「スタイル」となっているのである。

 そこに突出した味わいを見いだそうとするなら、ハリウッドの40、50年代におけるフィルム・ノワールやロマンティック・コメディなどの匂いを感じさせるクラシック趣味が存在するところだろう。この主張は、ウィンストン・ディヴァーという新キャラクターの、異様にクラシカルな造形からも伝わってくる。とくに派手なアクションを行わなくとも、「スター」と呼ばれる俳優たちの一挙手一投足が、優雅に画面を支配し、観客にため息をつかせていた時代の雰囲気が、本作の多くのシーンで再現されているように感じられるのだ。そして、それがアニメーションで表現できるという事実にも驚嘆させられてしまう。ブラッド・バード監督の過去作には、ここまでの登場人物の存在感はなかったということを考えると、やはりバードが実写映画を撮っていたということに大きな意味があったのではないだろうか。

 そのような表現が達成できたのは、3DCG作品ならではともいえよう。どれほど描写力のある手描きのアニメーターであっても、CGのような立体感や、正確なライティング(光があたる表現)を行うことは難しい。表現がリアルな方向に傾くほど、どうしても平面的な印象や違和感を与えてしまう場合も多い。本作では、そんなキャラクターに立体感、実在感を与えるCGという手法を、きわめて効果的に使用し、実写映画風の魅力が作品に備わっている。しかも、各キャラクターの造形を見れば分かるとおり、漫画的なデザインや魅力を、しっかりと保持したままで、だ。

 これは、日本の手描きアニメーションが、写真と見まがうような精細な背景を描くなどして、実写的な感覚を獲得しようというねらいとは、全く異なる発想である。そして、写真のような絵を描くことで漫画的な面白さや自由さという魅力を一部失い、背景と動画の絵柄の落差という問題を背負ってきた近年の日本の多くのアニメーション作品は、本作のような優れた成功例と比較してしまうと、道を見失っているところがあるのではないかという気すらしてしまう。

■ファミリー映画・育児映画としての面白さ

 さて、一家のママが「イラスティガール」として、外で悪と戦いを繰り広げている間、インクレディブル・ファミリーは「生活」をしていた。2人の子どもたちは学校に通い、まだ赤ん坊のジャック・ジャックは、パトロンに与えられた邸宅で1日を過ごす。それは、ヘレンに代わって家事を任されたボブにとって、平穏で静かな時間…なのかと思いきや、実際は全く違っていた。

 日頃の家事そのものも激務だが、最も大変なのが子どもたちのケアだった。長女ヴァイオレットは、初恋の男子との関係がうまくいかず、イライラや落ち込みがピークに達しており、複雑な年齢ということもあって、繊細な対応を要求される。長男ダッシュは算数の宿題に四苦八苦しているが、いまの学校教育の内容は高度になっており、新しく勉強し直さなければ教えることができない。きわめつけは、生まれながらにして数々の強力なスーパーパワーを持ちながら、それらを日常的に使い続けるジャック・ジャックの育児である。

 好き勝手にパワーを発揮してしまうジャック・ジャックの好敵手は、ゴミ箱を漁るために、森からやって来るアライグマだ。念動力、火炎攻撃やアイ・ビームなど、様々なスーパーパワーと対峙しながら、アライグマが意外に善戦するシーンは観客に大受けであった。こういう、アニメ本来のスラップスティックな要素を受け持つのが、末っ子ジャック・ジャックのキャラクターとしての役割なのだ。

 彼のやりたい放題の行動はまさに、力を持て余した赤ん坊や幼児のそれであり、面倒をみる親の苦労というものが、騒動を見ることだけでも自然に観客に伝わってくる。スーパーヒーローなのにも関わらず、育児によって次第に疲弊、憔悴していくボブの姿も、悲壮かつコミカルに表現されている。

 恋愛に悩み情緒が不安定になるヴァイオレット、思春期の入り口で反抗期に入り始めたように見えるダッシュもそうだが、彼らの悩みや課題は、幅広い観客の持つ、またはかつて持っていた問題とリンクしているはずだ。そして、主夫業に専念するようになったボブは、「一家の主(あるじ)」の座から転落することに危機感と寂しさを感じ始める。それは、「男が一家を経済的に支えねばならない」という、旧弊な考えに彼自身がとらわれていることを示している。

 だが、寝る時間さえない激務のなかで、ボブはそれでもそこに、やり甲斐と達成感を感じ始めていく。そう、外で悪党と戦うことも大変に違いないが、育児や家事をこなしながら家庭を守ることも、「英雄的」行為なのである。

■新しい時代へのメッセージ

 本作は、家族とヒーロー両方のドラマを描きながら、「本当のヒーローとは何か」ということを考える作品である。自分以外の人間を、力を尽くして助ける存在がヒーローの条件なのだとしたら、最大限の力を発揮して家族を守る両親という存在は、ヒーローになり得る役柄なのである。そしてインクレディブル・ファミリーは、そんな献身的な愛情を受け取った子どもたちもまた、親を助けるために奮闘することになる。これは、様々な立場の観客に向けた、「誰もがヒーローになれる」というメッセージだ。

 ブラッド・バード監督は、描くべき物語ができるまで、『Mr.インクレディブル』の続編は作らないと公言してきた。今回、彼自身が生み出した物語は、旧来より男女によって分けられてきた役割から脱却する、新しい家族のあり方と、それを維持していく努力の尊さである。そしてそれは家族や、あらゆるコミュニティーを構成する人々、一人ひとりの内なるヒーローに委ねられているのだ。

 その力強いメッセージを、本作の物語や魅力ある演出は効果的に支えている。本作を観ることで、アニメーション表現とは、ここまでの完成度へと到達することができるのかという感銘を受けてしまう。ピクサー・アニメーション・スタジオの能力を最大限に引き出す、ほぼ完璧といえる指揮と、アニメーション表現への深い理解、脚本・演出に文句のつけようがない才能を発揮したブラッド・バード監督、やはりおそるべしである。(小野寺系)

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