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w-inds. 橘慶太×NONA REEVES 西寺郷太 対談【前編】 楽曲制作への目覚めと活動原点振り返る

リアルサウンド

19/2/2(土) 12:00

 3人組ダンスボーカルユニット・w-inds.のメンバーであり、作詞・作曲・プロデュースからレコーディングにも関わるクリエイターとして活躍中の橘慶太。1月からはKEITA名義で12カ月連続シングルリリースすることを発表するなど今年も積極的な音楽活動を行っている。そんな彼がコンポーザー/プロデューサー/トラックメイカーらと「楽曲制作」について語り合う対談連載「composer’s session」の第4回ゲストは、マイケル・ジャクソンや80年代音楽シーンの愛好家・研究家としても知られるNONA REEVESの西寺郷太。バンドでダンスミュージックをやることが難しかった青春時代の苦悩や、橘とマイケルの歩みに見出した共通項など、過去と現在を照らし合わせることで新たな発見を得ることができた有意義な時間となった。【前編】(編集部)

(関連:w-inds. 橘慶太×Yaffle(小島裕規)対談【前編】 楽曲制作におけるアレンジの重要性

■二人の“楽曲制作”への目覚めは幼少期?

橘慶太(以下、橘):西寺さんが楽曲制作に興味を持ったきっかけはなんだったんですか?

西寺郷太(以下、西寺):僕は今、45歳なんですけど、最初に作曲し始めた時から音源が残ってるんですよ。それが10歳なんですけど。

橘:10歳!

西寺:インターネットもなく、まだカセットしかない頃の話で。当時マイケル・ジャクソンを好きになって、「Billie Jean」という曲がきっかけでした。あの曲はシンプルだけどグルーヴィーなドラムと繰り返されるベースラインの鳴りが特徴的で、それまでテレビの歌番組とかで聴いていた歌謡曲に比べると曲の構造がわかりやすかったんです。日本で愛される歌謡曲っていうと、音数が多くて豪華絢爛な、お弁当に例えるとたくさんのオカズが入ってる「幕の内弁当」みたいなサウンドが多いんですけど(笑)。「Billie Jean」の「音数の少なさ」は子供心に衝撃でした。ドラム、ベース、ギター、すべての楽器が把握しやすくてキャッチーで。それもあって、僕は最初に作り始めた頃から頭の中に「全体的な演奏」が鳴っていました。歌メロだけじゃなくて、あくまでもイントロから最後までのトータルなサウンド。その「自分の頭で鳴ってる音」をどうやって録音したらいいのか、そうしないと人には聴かせられないですからね。

橘:最初はカセットテープに。

西寺:そう。曲を作っても忘れたりすることがあるから、これは録っとかなきゃいけないなと。それでカセットに録り始めたところから始まってます。端折って話すと、そこから4トラックのMTRを買ったりしながら、1995年、大学3年生でMacを買い、徐々にDTMにハマってゆくと。最初はVisionというソフトを使ってたんですけど、途中でなくなってしまって(笑)。15年前くらいからLogicになって今に至る感じですね。

橘:子供の頃に録っていた音楽に関心があるんですけど、カセットにメロディを歌って録ってたということですか?

西寺:最初はメロディを歌ってたんですけど、いわゆる主メロだけが好きだったわけじゃなかったというか。例えばマイケル・ジャクソンの「Billie Jean」だと、やっぱり一番かっこいいのってイントロのドッチタッチといったドラムや、ドゥンドゥンドゥンドゥンといったベースラインなのに、「クッ!」とか「アッ!」とか歌のメロディだけ歌って録音してもなんのこっちゃわからないじゃないですか(笑)。

橘:なるほど、最初から興味はビートやインストゥルメンツの方に向いていたんですね。

西寺:そうです。ただ近くに曲を作っている大人もいなかったし、ネットもないしググれない(笑)。一人で思い悩んでどうしようかと。ある日ふと思いついたのが、持っていたラジカセとウォークマンを使う方法。例えば、The Isley BrothersをカバーをしたThe Beatlesの「Twist & Shout」のような曲が思いついた場合、まずラジカセでメインのメロディ〈shake it up,baby〉を歌って録る。その録った〈shake it up,baby〉をラジカセのスピーカーから流しながら、ウォークマンに向かってコーラスの(sheke it up,baby)を歌うと、「俺が2人いるやんけー、やったー」って(笑)。そうやって2トラックを録音する方法を少4の時に思いついて、そこからその歌を流しながらギターやドラムのパートも歌って重ねていく歌の空中ピンポン録音をするようになりました。ただ、カセットに自分で作った歌を歌って録音するという行為が、人に日記を見せるみたいなものでちょっと恥ずかしいことだと思ってたので親にも隠れてやってました(笑)。

橘:それはすごい(笑)。

西寺:そのテープが今も残ってて、『タモリ倶楽部』で何年か前にみうらじゅんさんや伊集院光さんたちと昔若い頃に作ったテープを皆で聞こうという回に出て、その時に日の目を見たんですけど(笑)。そういう時代なんですよ。だからこの連載のKREVAさんとの対談で楽曲制作のきっかけの話でMPCが出てきていて、そういうの使えるようになったの随分後だったなぁ、俺、と思って(笑)。

橘:MPCもない時代。

西寺:さらに、小学生時代にひとりで作詞作曲して録音してるから「歌詞カードを見て歌う」っていうことも思いついたのだいぶん後で(笑)。「めっちゃ、いい歌詞書けた、イエイ!」と思うんだけど、歌ってるうちに二番とか来たら歌詞を忘れちゃう(笑)。それで何カ月か経って、「あれ? これ紙に書けばええんちゃうの?」って気づいたり(笑)。

橘:もはや文明を切り開くみたいな(笑)。

西寺:そう(笑)。そこからカセットの4トラックとか16トラックとかを持つようになって、お小遣いでギターを買い、ベースを買い、ドラムマシーンを買い、高校の時にブラスバンド部でドラムをやって。バンドはもちろん組みたいんだけど、昔からやってきたように自分一人で作ることもしたい。それを解決してくれたのがDAW、Visionを少し使った後の Logic なんですよね。今は本当に助かってるというか、よかったーと思って生きてますね(笑)。

橘:ということは、Logicが出た時には楽曲の構造を理解できてたってことですよね。僕が子供の頃は分かれたトラックが組み合わさって曲ができているなんて考えたことすらないですもん。最初にLogicを触った時もその理論がよくわからなかったし、本当にゼロから曲作りを始めたので。

西寺:慶太くんが曲を作りはじめたのはいつぐらいですか?

橘:曲作りを始めたのは大人になってからです。でも最近思い出したことがあって、MOTIFっていうヤマハのシンセサイザーを中学校3年生の時に買ってもらっていて。

西寺:その時はもう、w-inds.としてデビューしてました?

橘:デビューするちょっと前ですね。今思えば、僕の音に対する興味はそのシンセで「ドラムの音も出るんだ」みたいなところから始まっているのかなって。でもそこではまだ曲を作ろうというところまでは至ってなかったですね。それで今のメンバーと出会って、まだw-inds.というグループ名もない頃、よく路上ライブをやってたんです。既存の曲を使ってダンスをするんですけど、他の人たちのパフォーマンスを見ていたら曲が繋がってるなということに気づいて。どうやって曲を繋ぐんだろうと思っていた時にMDコンポで編集ができることを知ったんです。そこから「じゃあこの曲と似てる曲を探して繋げてみよう」みたいな、それこそDJのようなことをし始めて。

西寺:へぇー、それをMDで。

橘:はい。だから曲作りへの関心はそこから始まってるんだと思います。そういうことが楽しいと思いつつ、デビューして歌って踊ることをずっとやってきて。それで、2008年くらいに日本の音楽と海外の音楽の音圧、聞いた感じの差に違和感を持ち始めるんです。絶対何かが違うと思っていろいろソフトを買ってみたり、いろんな人にお話を聞いたりして、そこからちょっとずつ知識を入れていって、自分で曲を作るようになっていきました。

西寺:子供の頃はどういう音楽が好きだったんですか?

橘:子供の頃好きだったのはEarth, Wind & Fireですね。僕の母親が福岡でラジオDJとディスコで回すDJの両方をやっていたんです。母が80s好きだった影響でそういう曲ばかり聞いていました。チャカ・カーンとかZhaneとかもそうですね。失礼な話ですけど、日本の音楽を聞いちゃダメだと言われて育てられました(笑)。

西寺:めっちゃ極端(笑)。子供の頃に自分で意識して買った音楽は?

橘:ほとんどないですね。

西寺:ということは、親御さんが持っていたソウル系の音楽を聴いていたってことですか?

橘:そうです。その母が繋いだカセットテープを車の中とかで「あなたが聞くのはこれです」みたいに渡されて(笑)。小学生の僕としてはアニソンも聞きたかったし、当時は嫌々聞いてたんですけど……成長して自分が年を取っていくにつれてどんどん好きになっていった感じですね。

■橘慶太とマイケルの歩みに見出した共通点

西寺:なんか、さっきから色々初歩的な質問ばっかりで申し訳ないんだけど、慶太くんのデビューのきっかけはどういう感じだったんですか?

橘:デビューも母がオーディションに勝手に応募して。

西寺:日本の音楽を聞くなって言ってたのに(笑)。めっちゃ面白い(笑)。

橘:本当ですよね(笑)。もともと音楽をやることが夢だったんですけど、その夢を子供に託そうと思ったみたいで。4人兄弟全員オーディションを受けさせられてました。福岡でそれこそThe Jackson 5みたいなグループを組まされてましたし。

西寺:The Tachibana 4(笑)。兄弟の構成はどういう感じなんですか?

橘:兄、僕、妹、妹ですね。

西寺:The Jackson 5は男の子だけだけど、女の子も入ってるならどちらかというと、De bargeですね(笑)。

橘:(笑)。その時は人の歌のカバーをステージでやっていて。途中兄弟以外の人が入っていたこともありました。そうやって子供ながらにいろいろなことをやってきて、本当に突然2008年くらいに自分のグループの音楽を自分で変えたいと思い始めたんです。

西寺:慶太くんのキャリアはまさに、マイケル・ジャクソンの歴史と近いものがありますね。

橘:そうなんですか?

西寺:この話始まったら長いですよ(笑)。マイケルも最初のThe Jackson 5ではパフォーマーというかアイドルでした。でも、70年代半ば、徐々に自分で曲を作りたくなるんですよ。デビュー当時所属していたレコードレーベルのモータウンは、黒人音楽界の名門でした。「いい曲」や「いい演奏」に恵まれていたし、会社からは何が不満なんだとも言われていたけれど。でもどうしてもマイケルを含む兄弟は自分たちで曲が作りたいと。で、移籍したところから、自分たちで曲を作る歴史が始まるんです。その時は周囲に無謀だ、絶対無理だって言われてたんですけど。

橘:叩かれるんですか、そういう時って。

西寺:叩かれるというか、やっぱりチャイルド・スターだと思われていたので、あんまり期待されなくなってきたって感じだったと思う。飽きられて、だんだん「あの人は今」みたいになるんじゃないかって。それくらいデビュー時の爆発はすごかったから。当時のモータウンにはダイアナ・ロス、スティーヴィー・ワンダー、マーヴィン・ゲイ、The Temptations、本当にすごいアーティストがいっぱいいて、集まった職業作詞家、作曲家も天才的。かつワンマン社長のベリー・ゴーディ・ジュニア自身も天才ソングライターだったんですよ。マイケルの先輩にあたるスティーヴィーやマーヴィン・ゲイがキャリアを重ねてしばらくすると社長のゴーディと音楽作りの主導権を巡ってめっちゃ喧嘩して(笑)。結局、二人は社長に自分で曲を作ることを認めさせて、『Talking Book』や『What’s Going on』などで大成功したんですよね。それで当時子供だったマイケルも、スティーヴィーやマーヴィンみたいになりたい、自分で曲を書きたいと主張するんですけど「いやいや彼らは特別なんだ、と。お前には無理だから、今まで通り、歌とダンスに専念しろ」と社長や会社は言ったんですね。ある種の親切心もあったと思うんですけどね。でも結局そこで無理だと言われたことが、最大のモチベーションになってマイケルや兄弟に火がついたというか。さすがにマイケルは慶太くんみたいにミックスまではしないけど(笑)。

橘:(笑)。

西寺:w-inds.もいろんなことを飲み込んでメタモルフォーゼ、進化していってるのはすごいなと思います。ご本人もそうだし、周りの環境もそうだし。でも改めて考えてみると、マイケルや、*NSYNCだったジャスティン・ティンバーレイク、そういう人たちが歩んできた道と近いのかなと。

橘:たしかにそうかもしれません。自分でもあまりに音楽制作が好きすぎて、いつ辞めてしまうのかとドキドキするくらい夢中になってます。なんでも火がついたら止まらないんです。そういえば僕、一時期すごい筋トレをしていた時期があったんですけど。

西寺:え、その言い方だとやめたんですか? 筋トレ。

橘:やめられました。っていうのもおかしいですけど、10年ぐらいやめられなくて。

西寺:おもろ過ぎる(笑)。確かにムキムキな写真見たことありますよ。でも、どうなるんですか? やめた後の身体って。ちょうどいい感じになるんですか?

橘:ちょうどいい感じになりますね。

西寺:慶太くん、最高(笑)。

橘:鍛えすぎた体は踊りには悪影響だったんですけど、その時もやっぱり火がつきすぎちゃって。仕事に対するメリットはひとつもなかったはずなのに。

西寺:かっこいいっていう人もいたでしょ。

橘:1人もいなかったです。

西寺:1人も!(笑)。

橘:僕がどんどんでかくなっていくことに対して反対の声しかなかった(笑)。

西寺:それで逆にまた、やってやろうじゃねーかと火がついちゃった(笑)。

橘:そうなんです。だから僕も反対の声は意外と好きなのかもしれない。曲を作り始めた時も、「そんなことやっても無駄だ」みたいなことを言われたりもしましたし。

■西寺郷太、バンドブームの中で過ごした暗黒の10年

橘:西寺さんは最初1人で音楽をやりたいと思っていたんですよね。そこからバンドを組むまでは自然な流れだったんですか?

西寺:いや、大変でしたね。音楽的に孤独な十代のことを思い出すたびに泣きそうになりますよ(笑)。僕はマイケルと同時にプリンス、Wham!とジョージ・マイケル、それからTears for Fears、Scritti Politti、といったいわゆる「80年代洋楽」のデジタルとアナログを融合させたバンドが好きになって。高校生くらいになると日本は当時バンドブームで、BOOWY、X JAPAN、ユニコーン、ブルーハーツなどが全盛で。日本だとむしろ田原俊彦さん、松田聖子さん、少年隊のようなクオリティの高い歌謡曲・アイドル音楽が好きだったんです。でも学校にいるバンドが好きなやつらは、みんなそういう曲は聴かないんですよ。だからみんながコピーバンドをやり始めて、ドラムとか参加するんですけど、すごく仲が良くても、クラスメイトと一番好きな音楽の話はできなくて。それが10代の自分の悩みでしたね。身近に音楽に詳しい人もいないし。

橘:それはつらい。

西寺:例えばベースにしても、僕が本当にかっこいいと思うのはシンプルでも同じフレーズを繰り返していくようなファンクネス。でも当時の中高生にはわからないんですよ、運指が難しかったり速弾きしないとやり甲斐ない、みたいな(笑)。それこそDaft Punkの「Get Lucky」じゃないけど、ブルーノ・マーズ「Uptown Funk」も含めて2010年代の感性だと伝わる気がしますけど。

橘:たしかにそうかもしれないです。

西寺:それで大学生になって、上京して。今もバンドのメンバーの小松(シゲル)やKIRINJIの千ヶ崎(学)っていうすごいベーシストに出会ったりするんですけど。今思い返せば、たまたま僕が行ってた早稲田大学の色んなジャンルの音楽サークルにはすごい人が集結してて。GALAXYっていうヒップホップサークルにちょっと年上でしたけど、RHYMESTERのメンバーがいてStreet Corner Symphonyていうアカペラ好きのサークルにはゴスペラーズのメンバーがいましたし、シンガーの土岐麻子さんも歳下ですが僕らの隣のサークルにいました。ただ、僕個人で言えば「バンド」が組みたかったのに結局、大学時代も音楽的にはうまくいかないことの連続だったんです。諦めてソロでやるしかないか、くらいに自暴自棄になってた卒業間際に、「え?」っていうくらい最高のメンバーが揃ったのが、1995年。それが、NONA REEVESで。

 だから僕が曲を初めて作った10歳から、10年以上は暗黒時代。大学生の頃はNirvanaとかRed Hot Chili Peppersが全盛で、みんなカート・コバーンに憧れて「死にたい」みたいな歌を作ってるんですよ。大学三年生の春にカートが亡くなって。スタジオのバンドのメンバー募集の掲示に「Nirvanaみたいな音楽やりたい。当方孤独で人生に絶望しているギター・ボーカル」とかいうメッセージと、下だけピッて切れるようになってる電話番号を貼っていて、それがバンバンちぎられてて。スタジオから楽しそうに歪んだギターと爆音のドラムで「誰もわかってくれない、寂しい、死にたーい」みたいな曲が漏れてくるんです。「お前らめっちゃ共感されてるやん、めっちゃ仲間いるやん」って羨ましかったですね(笑)。

橘:ちなみにw-inds.メンバーにも1人Nirvana大好きな人がいますよ。カート・コバーンが大好きで20歳くらいの口癖は「僕は27になったら死ぬ」でした(笑)。

西寺:(笑)。でも誤解されると困るのは、Nirvanaそのものは最高なのよ。大好きだし僕も。その時の自分が卑屈になってたから、楽しそうなNirvanaのコピーバンドを勝手に憎んでいただけで。カート・コバーンは天才だし、Nirvanaは本当にいい。自分はどちらかというと、リフとかリズム主体で曲を作っていくタイプなので、キーボーディストとかギタリストのコードワークに強い人、今だったらギターの奥田(健介)がそうなんですけど。そういう人が相棒に欲しかったんですけどね。だけどそれを見つけるのにものすごい苦労したって感じかなぁ。

橘:今はどう思います? ファンクとかソウルとかって、昔よりJ-POP、ポップスの中で市民権を得ているのかとか。

西寺:それはだからもうw-inds.のおかげで。

橘:いやいや(笑)。

西寺:ま、でも海外のトレンドに普通に対応しながら日本の芸能界のど真ん中で独自のサウンドを展開してる、それも自分自身で慶太くんがクリエイトして、ミックスまでしてるわけですからね。ちなみに、2009年6月にマイケル・ジャクソンが亡くなったんですけど、そこから彼の再評価が様々な影響を与えたと僕は思ってます。2000年代末にレディ・ガガが出てきて「Just Dance」が流行った時、生前のマイケルが「次のスターはレディ・ガガだ」って言ったんですよね。ブルーノ・マーズもちょうどマイケルと入れ替わるようなタイミングでデビューして。一番彼の曲で好きなのは、2ndの『Unorthodox Jukebox』に入ってた「Treasure」。ジャクソンズ的な楽曲でバンドやメンバーも踊って、本当に最高ですよね。w-inds.も全部細かく聴いてきたわけじゃないんですけど、もちろんすごいなと思っていつも見てましたし。2010年代の作品だとDaft Punk『Random Access Memories』は人生ベスト10に入るし、Calvin Harris『Funk Wav Bounces Vol. 1』とか、Thundercatとかも大好きですね。

橘:本当に増えてきましたよね。

西寺:フュージョン、ソウル、デジタルと生演奏を組み合わせたダンサブルな音楽はすごく好きだし、2010年代は本当に楽しい。このムードはもう変わらないんじゃないですかね。だから自分も今はようやくやりやすくなりましたね。

(後編に続く)

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