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『生きてるだけで、愛。』は“愛と理解の両立”を問いかける 趣里と菅田将暉が通じ合う一瞬の尊さ

リアルサウンド

18/11/21(水) 10:00

 「愛」に関する物語や、「愛」という字をタイトルに冠した作品は数多くある。この『生きてるだけで、愛。』は、劇作家にして小説家でもある本谷有希子の作品の、映画化3作目である。『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』(2007)、『乱暴と待機』(2010)と、エッジの効いた世界観に描かれるエキセントリックな女性たち。つい笑ってしまうブラックユーモアは本谷作品の特徴でもあるが、本作はどうにも笑えない。映画化に際してそういった点が控えめになっているというのもあるが、やはりこの物語の主人公の「愛」を求める姿があまりに切実だからである。活字を追うことで読者おのおのが立ち上げていた主人公・寧子のイメージは、女優・趣里の身体を通して具体性を獲得した。彼女(寧子=趣里)の全身全霊をかけての訴えを、本作が長編デビュー作となった関根光才監督が、16mmフィルムに焼きつけている。

【写真】劇中の菅田将暉と趣里

 寧子は合コンで知り合った津奈木(菅田将暉)という男と成り行きで同棲しているが、彼女は躁うつ病を理由に引きこもっている。働きもせず、夜遅くまで働く津奈木が買ってきたコンビニ弁当などに頼ってばかりだ。しかしその津奈木には、ほとんど難癖をつけているとしか思えないような接し方しかできない。それは見ていて、はなはだ不快なものである。この津奈木という男は週刊誌の編集者で、じつに淡白な印象の男だ。発する声には抑揚がなく、表情も乏しく、寧子の理不尽な要求にもあっさりと従っていたりする。なんとも熱量の違うカップルだ。

 寧子はつねに何かが不足している女である。タバコ、チョコレート、ライターの火……欲しいと思ったときにかぎって、それらをいつも切らしているのだ。これは原作以上に強調されている描写であり、繰り返し示されるそれらはやはり印象に残る。ここで分かるのは、“ない”ということは、それだけ彼女が消費した証でもあるということだ。それらを彼女はどれだけ得ても、足りないのである。

 客観的に見ていると、これは津奈木の素朴な優しさや、やがて寧子が働くことになるカフェバーの人々の、彼女を理解しようという態度にも同じことが言える。それらを彼女はどれだけ得ても足りず、満たされない。すなわち、飢えを感じているのである。寝ても寝ても足りない睡眠時間は、それをもっとも良く表しているだろう。

 もう一つ印象的なのが、寧子たちの住む部屋でたびたび落ちるブレーカーである。一般的にブレーカーとは、使用できる電力の許容量を超えたときに落ちてしまう。彼女は一度に多くの電力を使いすぎているのだ。当然ブレーカーが落ちれば、電気は消え、部屋は真っ暗となる。つまり、足りない足りないと、必要以上に得ようとしたときに、パッと状態が変わるのだ。それはまるで、躁うつ病である彼女自身のようでもある。ここにも彼女の“飢え”の表象が見られるのだ。

 ところで先に触れたように、寧子はひょんなことから、とあるカフェバーで働くこととなる。彼女の性質を知った上で受け入れ、理解を示そうとする店の人々に、寧子は「やれるかも」と手応えを感じる。そんな自身の感情の変化を仄かに感じ、津奈木に報告するわけであるが、いつも飢えている彼女を満足させる返事など、この淡白な男には期待できない。

 ここで本作が原作小説とは違い、寧子だけでなく、津奈木側にも寄り添う視点を取り入れているということが大きな意味を持ってくる。彼もまた、他人の無理解にさらされている人なのである。たびたび挿入される寧子の知らぬ津奈木の姿によって、彼も周囲からの理解を得られないでいる人間だというのが分かるのだ。

 寧子が働くカフェバーの人々は、彼女が遅刻をしようが、無断欠勤しようが理解を示そうとする。“大丈夫”、“なんとかなる”、“家族みたいなものだよ”……寧子に向けられる言葉の数々は、押し付けがましい善意のようにも思えるが、それに対してポロポロと涙をこぼす彼女はどうやら安心しているようである。つまり、はっきりとした「理解」が欲しかったのだろう。

 しかし、身もふたもない問いかけになるが、彼らの善意に「愛」はあったのだろうか。理解したつもりになるのは容易いが、まったくの他人を本当に理解しようと努めることは難しい。鴻上尚史の戯曲『ピルグリム』にある、“愛のない理解よりも、愛のある無理解のほうがいい”というセリフが頭をよぎる。「愛」と「理解」の両立は不可能なのだろうか。

 本作における「理解」とは、“相手の中に自分を見つけること”のように思える。物語のクライマックスで、寧子が津奈木の中に自分と近いものを見つけたとき、ふたりは一瞬だけれども「理解」を交わし合う。そしてそれを介在させる視線と声からは、ある切実な感情が溢れているのだが、それこそまさに、「愛」だと呼んでもいいのではないだろうか。そんな尊い一瞬が、この映画には収められている。

(折田侑駿)

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