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奥山玲子を通して見るアニメーション業界の黎明期 『なつぞら』奥原なつとの共通点は?

リアルサウンド

19/4/16(火) 6:00

 NHK連続テレビ小説『なつぞら』が快調なスタートを切った。初週の平均視聴率は22.1%と過去5年の朝ドラの中で最高の数字を記録。戦災によって過酷な境遇に置かれた主人公・奥原なつ(広瀬すず。幼少期を演じるのは粟野咲莉)の健気な頑張りと、彼女を取り巻く人々とのあたたかな交流は、いかにも100作目らしい“王道の朝ドラ”を見ている気分になる。最近はストレートに“草刈おんじ”とも言われるようになった柴田泰樹(草刈正雄)の存在感も素晴らしい。

 『なつぞら』は、成長したなつがアニメーションの世界へと飛び込む物語だ。すでによく知られているように、主人公のモデルは実在したアニメーター・奥山玲子だと言われている(2007年に70歳で逝去)。ここでは、日本の女性アニメーターの先駆者だった奥山の足跡をあらためて振り返ってみたい。

【写真】なつ、天陽、雪次郎……9年後を演じるのは?

■「漫画映画」の世界に飛び込んだ女性

 奥山は昭和11(1936)年生まれ。なつは昭和12(1937)年生まれという設定だから、ほぼ同じ年と言ってもいいだろう。

 宮城県仙台市の教育に厳しい家庭で育った奥山は、東北大学の教育学部に入学するも、中退して家出同然で上京。絵が好きだったため、外国語大学を受験するまでのアルバイトとして、設立されたばかりの東映動画に応募。「動画」を「童画」と間違えて、絵本の仕事ができると勘違いしていたという(朝ドラのヒロインっぽいエピソードだ)。そのまま働きはじめた奥山は、結局、大学受験を取りやめて社員として入社する。昭和32(1957)年のことだった。

 東映動画とは、現在の東映アニメーションの前身で、昭和31(1956)年に設立された。初代社長は親会社・東映の社長だった大川博氏。『なつぞら』では「東洋動画」として登場する。社長の名前は大杉満である。

 奥山は日本最初の長編アニメ(当時は「漫画映画」と呼ばれていた)『白蛇伝』(58年)に動画スタッフとして参加した。『白蛇伝』の予告には大川社長が登場し、完成したばかりの東映動画のスタジオを紹介、そこで働くスタッフの様子が映し出される。この中に奥山がいたのかもしれない。『白蛇伝』の原画はアニメーターの大工原章氏と森康二氏がほとんど2人で描いていたという。動画には奥山のほか、後に『ルパン三世』などを手がける大塚康生氏、『ドラえもん』などを制作するシンエイ動画の創立者・楠部大吉郎氏が含まれていた。

 『白蛇伝』を観て感動してアニメの世界を志し、東映動画に入社したのが宮崎駿監督。『なつぞら』でアニメーション監修を担当し、タイトルバックや本編のアニメーション制作を行うササユリ代表の舘野仁美氏は、宮崎駿氏、大塚康生氏が手がけた『未来少年コナン』を観てアニメの世界を志してアニメーターになり、その後、スタジオジブリで活躍した。こういうつながりも面白い。

■アニメーションにおける女性の地位を高める

 昭和34(1959)年、東映動画に『アルプスの少女ハイジ』などを手がけ、後に『スーパーマリオブラザーズ』などのキャラクター監修を務めたアニメーターの小田部羊一氏、『かぐや姫の物語』などで知られるアニメ監督の高畑勲氏が入社する。大塚氏は奥山の先輩、小田部氏、高畑氏は後輩だった。後に奥山と結婚した小田部氏は『なつぞら』でアニメーション時代考証を務めている。宮崎駿氏が入社したのは昭和38(1963)年のこと。先輩、後輩たちとの奮闘ぶりは『なつぞら』でも克明に描かれるだろう。

 奥山は仲間たちとともに、たくさんのアニメをつくっていった。高畑勲監督『太陽の王子 ホルスの大冒険』(68年)では原画を、TVアニメ『魔法使いサリー』(66~68年)や『ひみつのアッコちゃん』(69~70年)などでは作画監督も務めた。『アンデルセン童話 にんぎょ姫』(75年)では、長編アニメにおいて女性初となった作画監督を単独で務めた。

 夫の小田部氏によると、奥山は「負けず嫌いで反骨精神のある自立した女性」だったという(FRIDAY DIGITAL/3月31日)。当時、東映動画の女性スタッフは「結婚したら退職します」という誓約書を書かされていたが、奥山は猛反発したという。また、大川社長の死後(1971年)、赤字部門だった東映動画の縮小削減が行われつつあったが、労働組合が激しく反発。その先頭に立って舌鋒鋭く会社側を糾弾していたのが奥山だった。先輩アニメーターの大塚康生氏は奥山について「アニメーションにおける女性の地位を高めるために戦って来た一面」があると評している(高畑勲・宮崎駿作品研究所「追悼 奥山玲子さん」)。

 東映動画を退職後は、日本アニメーションへ移って『母をたずねて三千里』(76年)のメインスタッフを務めた。1985年からは東京デザイナー学院アニメーション科で教鞭をとるかたわら、銅版画家としても活躍した。

 『なつぞら』の脚本家、大森寿美男氏は、なつの人物像について「自分の意思を貫いて生きていくヒロインではないと思いました」「人の心に流されながら、出会いと関わりのなかで、人生を見いだしていくヒロインだと思ったんです」と語っている(『なつぞら』公式サイト)。この発言から推測すると、『なつぞら』では奥山の激しかった部分はあまり描かれないのではないかと思う。小田部氏は当時を知る人から「これは奥山さんとは違う!」という指摘が相次いでいると笑い、「奥山の伝記じゃなくて、『モデル』というか『ヒント』なんです」と語っている(FRYDAY DIGITAL/3月31日)。

 奥山玲子さんという時代を切り開いた一人の女性がいた。彼女の姿を通してアニメーション業界の黎明期を描きつつ、同時に奥原なつという主人公が家族や仲間たちとのかかわりの中でどのような人生を切り開いていくかを描く――それが『なつぞら』というドラマなのだと思う。そういえば、完全に創作部分の第1週、第2週は“開拓者”たちのお話だった。

(大山くまお)