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ボーカルが作詞をしないバンドから考える、“バンドのボーカルと歌詞”の関係性について

リアルサウンド

19/2/4(月) 8:00

 基本的にバンドはボーカルが曲を書くことが多いと思う。もちろんバンドによっては、作詞・作曲・編曲にバンド名をクレジットすることも少なくない。作り方だって、バンドごとに大きな違いがあるだろう。

 けれど。

 作詞という部分に焦点を当ててみると、多くのバンドは、ボーカルが手がけているように思う。サザンオールスターズやMr.Children、スピッツ、エレファントカシマシ、BUMP OF CHICKEN、RADWIMPSなどなど名前を挙げたらキリがない。なぜ、そのような傾向があるのか。理由はバンドの数だけあるだろうが、その歌を歌う人が歌詞を書くべき、自分が書いた歌詞を歌うからこそバンドの世界観が表現される、という認識を持っている人が多いように感じる。また、バンド音楽を愛好する人の多くは、音楽そのもの以上に、ボーカルが作り上げる世界観に耽溺しがちだし、ボーカルのキャラクター性やそこにまつわる物語を需要する傾向が強いように思う。ボーカルが自作自演をすることに、必要以上に価値を見出している人が多いように感じるわけだ。

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 しかし、ボーカルはあくまでも「歌う」という形で曲に関わる人であり、本来的には他の楽器と「立場」は変わらないはずだ。少なくとも、ボーカルより作詞が「得意」な人がいるならば、その人が積極的に作詞を行ったっていいはずだし、歌う人が歌詞を書かなければ、メッセージが伝わらないということもない。ライブの照明は照明のプロが行うし、MV撮影は映像チームのプロが行うのだから。であるならば「作詞」という領域だって、その道のプロが行う選択肢があっていいはずなのだ。ボーカルが注力すべきなのは「歌う」という表現であり、それにより歌詞に新たな息吹を込めたり、その歌詞の解像度を上げることが大切なのではないか。言葉そのものは別に「自分発信」である必要はない。実際、ボーカル以外のメンバーが作詞した歌詞を歌っているバンドの中には、ボーカルが作詞を行うバンドよりも、作家性が強く出て、バンドのカラーが明確になっているケースが多いように感じる。

 UNISON SQUARE GARDENはそういうバンドの代表格だろう。作詞はベースである田淵智也が行っている。田淵はおそらく「歌詞に明確なる主張を宿らせる」タイプの作詞家ではないし、単なる自己表現という部分から離れたところで歌詞を書いているように感じる。しかし、ボーカルが紡いだ言葉ではなく、自己表現としての作詞ではないUNISON SQUARE GARDENの歌が、メッセージ性のない、言葉の弱い、空虚な作品になっているかといえば、そんなことはまるでない。斎藤宏介というボーカルが「歌う」という表現で、田淵の歌詞に新たな色を与え、(おそらくは)自分なりの解釈で歌詞に感情を宿らせることで、聴き手に奥深い歌詞世界を堪能させている。もし、ボーカルだからという理由で、斎藤が作詞を担当していたら、ユニゾンというバンドは、いまのようなアイデンティティを持たなかったかもしれない。ボーカルが歌詞を書くという選択をしないことが、結果的にバンドのアイデンティティを強いものにした例である。

 ネクライトーキーも、「作詞」という観点からみると、UNISON SQUARE GARDENと近い性質を持ったバンドのように感じる。このバンドは、ギターの朝日がほとんどの歌詞を手がけており、ボーカルのもっさは朝日の書いた歌詞を歌う、という構図になっている。つまり、朝日が書いた歌詞を、もっさが解釈し直して「歌う」ことで、その歌詞を自分なりに表現している、ということになる。ボーカル以外の人間が紡いだ言葉を、ボーカルが再度表現し直す。これにより、歌詞の独自性が明確になるとともに、バンドとしてのネクライトーキーの個性も決定的になっているように感じる。

 制作を分業化していき、ボーカルが必要以上に役割を担わない方が、結果的にそのバンドのキャラクター性を明確にするケースがあるというわけだ。ボーカルが「歌うこと」以外の自己表現をしないことが、逆に、そのバンドのボーカルとしてのキャラクターをも明確にする。少なくとも、UNISON SQUARE GARDENやネクライトーキーはそういう類のバンドである。

 King Gnuもそういう資質を持ったバンドである。曲を書いているのはギターボーカルである常田大希であり、いわゆるボーカルが「自作自演」をするタイプのバンドだが、普通のバンドとは少し構成が違う。このバンドにはもう一人ボーカルがいて、ツインボーカルという体裁を取っているのだ。これにより、歌う人間が単にメッセージを込める、というところからは少し離れ、他のバンドにはない歌詞世界を生み出すことに成功している。また、作詞とボーカルはイコールではない、ということを強く打ち出したのは、初期のチャットモンチーだ。このバンドはボーカルが作曲を行なっていながら、作詞は別の人間が行う稀有なバンドだった(曲にも寄るが)。これは、「作詞」が得意な人間が作詞を行い、より良い言葉を届けたいという意識があったからこそ生まれた分業だと思う。そして、この分業を行っていたからこそ、チャットモンチーの歌は、歌詞が印象的なものが多い。

 歌詞は人格と結びつきやすく、メッセージと結びつきやすく、バンドのカラーそのものとも結びつきやすいため、バンドの心臓となるボーカルが歌詞を書く傾向にある。けれど、作詞が重要だからこそ、バンドの表現領域の一部として分業しているバンドが、バンドの世界観もカラーもしっかり打ち出せているように思う。ならば、仮にバンドメンバーの中で作詞が得意な人間がいないのであれば、映像を作る場合に外注するのと同じように、グッズを作る場合も外注するのと同じように、作詞においても「その道のプロ」に外注することだってアリなのではないか。むしろ、そのようにして、その道のプロが書いた歌詞を、ボーカルという「歌うこと」のプロが解釈し直して表現する方が、結果的にバンドの作家性やカラーを強く打ち出せる可能性がある。少なくとも、そういう発想が、選択肢としてもあっても良いのではないかと筆者は考える。(ロッキン・ライフの中の人)