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『虹色デイズ』は青春映画として目を見張る出来栄え “平成最後の夏”に放つ輝きと郷愁感

リアルサウンド

18/7/19(木) 10:00

 プールに飛び込んでプカプカと浮かぶ4人の男子高校生の姿に、好きな女の子が乗る通学電車を自転車で追いかける主人公。そしてフジファブリックの「虹」。主人公たちが“17歳の特権”を振りかざす物語の幕開けを、奇しくも筆者が17歳のときの人気曲で告げられてしまっては、割り切った感情でスクリーンを眺めなければ打ちのめされそうになってしまう。いや、いくら割り切ったところで、この映画が放つ輝きと郷愁感には勝てそうもないと悟ってしまったほどだ。

 たとえば昨年もこの夏の暑い季節に、12年前の高校時代の回想で構築されて難病モノで主題歌がミスチルという『君の膵臓をたべたい』によって打ちのめされてしまったわけだが、こうも続けて昭和・平成をまたぐ世代の心を突き刺してくる青春映画が現れることになるとは。これはよもや、平成最後の夏だからと理由をつけて片付けてしまう他ないだろう。

 現在放送されているNHKの朝の連続テレビ小説『半分、青い。』の中で先日、主人公が少女マンガ家としてやって行く中で、自身の描いたマンガについて「卒業までの半年の話を3年も連載している。あいつら本当は21だ」なるセリフが登場した。学校生活を題材にした青春物語というのは、必然的に3年間以内というタイムリミットが付き物であるが、連載漫画となれば物語と現実の期間に否が応でも不可思議なパラドックスが生まれてしまうものだ。

 こうしたパラドックスを抱える青春マンガを、2時間ほどの映画作品に落とし込むために重要となってくるのは、「どう運ぶか」ではなく「どう終わらせるか」という、作り手が毅然と定める帰結点だ。それにはふたつのパターンがあって、「卒業」という極めて明確な節目にするか。もしくはストーリーライン上のピークでありゴールでもある「恋愛の成就」にするのかだ。

 水野美波が描いた『虹色デイズ』の原作は概ね15巻で物語が完結する(先日発売されたばかりの16巻はエピローグだったので、大筋とは少し離脱しているのだ)。高校1年のクリスマスに物語が始まり、本格的な青春時代と大人になるためのモラトリアムを味わう高校2年間の描写が、2度の文化祭、修学旅行、そして進路の悩みという定番のイベントを通して描かれ、最終的に「卒業」にたどり着いて幕が降りる。

 その過程の中で、なっちゃん、まっつん、つよぽん、恵ちゃんという4人の主人公と、それぞれの恋の相手との関係が緻密に描写されていくわけだが、その2年間を映画の2時間しかない枠の中に描き出すのは極めて困難といえよう。そこで、この“カルテット主演”と銘打った映画版『虹色デイズ』は、佐野玲於が演じるなっちゃんと、彼が想いを寄せる杏奈との「恋愛の成就」に帰結点を定め、そのほかの描写を必要最低限だけ触れて行くという英断を下した。

 原作では緻密に描かれた、まっつんとまりの関係の変化であったり、つよぽんとゆきりんの将来の悩みを、さらりと触れるだけに止まり、答えなりゴールなりをあえて用意しない。さらにまりの兄以外、“大人”と呼べる存在・家族は誰1人登場することなく、彼が登場するのも深く考えてみれば、まっつん&まりの関係の補完ではなく、なっちゃん&杏奈の関係の進展に重要な、まりの心情を具体化するという働きであったといえよう。(もっとも、そういった大胆な脚色によってまっつんの妹・希美が登城しなかったのは惜しい限りではあるが)

 それだけ入念にお膳立てされたなっちゃん&杏奈のストーリーではあるが、この2人のエピソードでも実はもっとも重要な部分が描かれていない。それは2人の出会いの瞬間、いわゆる“ボーイ・ミーツ・ガール”であって、映画が始まった瞬間から2人はすでに出会ってしまっているのだ。原作ではきちんとした運命的な出会いがあった2人ではあるが、映画版においては、偶然の出会いが毎日の積み重ねで必然になってしまう学校という空間の特殊性を浮き彫りにするかのように、綺麗さっぱり省略されたわけだ。

 各キャラクターのディテール、メインカップルの馴れ初めともに不完全でありながらも、何故か青春映画として目を見張る出来栄えになっているのは、「高二、春」から始まるひとつひとつのシーズンのスライスが重ねられ、根本的なコンセプトから折れず、そして過剰に膨らまさないという判断の賜物であろう。

 原作からある、男子高校生の友情と青春に女子たちの視点をきちんと織り交ぜながら、なっちゃんと杏奈の恋愛をひたすらに見守る。そして高校時代の恋愛に特有の、「友情」があって初めて成立する「恋愛」というものを、ドラマティックさよりもリアリティを求めて描き尽くしてくれているのだ。映画に必要なのは説明ではなく、いかにその物語に誘なうかという点にあるのだと、改めて実感してしまう。同じ男4人、女3人で紡ぎ出されたジョージ・ルーカスの『アメリカン・グラフィティ』に匹敵する、誰もが“誰かしら”と自分自身を重ね合わせて観てしまわずにはいられない、完璧な青春群像が出来上がったといってもいいぐらいだ。(久保田和馬)

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