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三浦大知、ポップスターが追求した“表現者としての深化” 『球体』における取り組みの意義を紐解く

リアルサウンド

18/6/28(木) 19:00

 三浦大知が、7月11日に新アルバム『球体』をリリースする。

参考:三浦大知、フォーリミ、ミセス、CHAI、あいみょん……“大躍進”遂げた5組をピックアップ

 『球体』は、ボーカル×ダンスパフォーマンスの可能性を追求する三浦大知と音楽家・Nao’ymtによる実験的かつ未体験のプロジェクト。アルバムにはNao’ymtプロデュースによる断片的かつ群像劇的短編小説のような17楽曲を収録。また、三浦大知自身が演出、構成、振付し、ひとり歌い踊り、アルバムの物語を体現する同名の独演会も開催された。

 日本を代表するエンターテイナーとして様々な場で活躍している三浦大知。『球体』では、そんな彼の表現者としての新しい一面が体現されている。今回、すでに同アルバムを聴きNHKホールでの独演会(6月17日公演)を鑑賞したレジーによる寄稿文を掲載。三浦大知の実験的な取り組みとキャリアにおける『球体』の意義を紐解いてもらった。(編集部)

■「あまのじゃく」な三浦大知の新たなチャレンジ、『球体』

「自分は結構あまのじゃくなので、ベスト盤っていうある意味で王道の作品を作ったことに対する反動がものすごく来ると思うんですよね。「これ、ほんとに形になるかな?」っていうようなことを思いつくかもしれないですが、そういうものにこそちゃんとチャレンジしていきたいと思っています」(参考:三浦大知が語る、ソロデビュー13年の変遷と未来 「日本の音楽の面白さが世界に伝わったら」)

 3月にリリースされたベストアルバム『BEST』に関するインタビューでのこの発言が強く印象に残っていたので、三浦大知の新たなプロジェクト『球体』が発表されたときには「なるほど、こうきたか」という感想を抱いた。

 盟友でもあるNao’ymtとともに時間をかけて練られたアルバムと映像作品、そしてホールでの独演会によって構成される『球体』。一言で言ってしまうと、この一連のプロジェクトは「考えさせるエンターテインメント」である。そこで歌われているのは、わかりやすいラブソングでもなければ、特定の社会問題を啓発するタイプの楽曲でもない。前述したインタビューにおける「誰かにとっての気づきになるようなエンターテインメントを作りたい」という発言ともつながるアウトプットである。

■ポップスターであるために必要な「表現者」としての側面

 大ブレイクしたここ数年の動きにせよ、それより前の期間にせよ、三浦大知の根底には「自身のビジョンに様々な人たちを巻き込んでアウトプットを作る」「間口を狭めず広く音楽を届けようとする」という「ポップスター」としての資質とでも言うべきものがあった。

 一方で、彼が『球体』で見せてくれるのは、これまでの流れとは対極に位置するような「孤高の表現者」としてのあり方である。自身の内面に深く潜り、その姿を鑑賞してもらう。直接的に巻き込むわけでなく、受け手の心に静かに染み込んでいくような表現が志向されている。

 もちろん、これは「この先三浦大知は心を閉ざしていく」というような話では決してないだろう。ポップスターとして輝く人たちの多くは、あるタイミングで何重にも意味が積み重なった作品を産み落とすことで、自身の表現にさらなる深みを加えていく。たとえばちょうど新譜をリリースしたばかりの宇多田ヒカルは、「Automatic」など10代の心の機微を捉えたラブソングで大きな共感を得た後に、『DEEP RIVER』で遠藤周作の小説をモチーフにしながら死生観や宗教観といった大きなテーマと対峙した。先日サブスクリプションサービスへの音源解禁が発表されて大きな話題を呼んだMr.Childrenは、ブレイク後の絶頂期にダークなムードのコンセプトアルバム『深海』を作った。

 自身の内面とじっくり対話するプロセスは、その先に改めて大衆と向かい合う際の大きなエネルギーとなる。三浦大知の『球体』も、今後彼がさらなる求心力を獲得するうえで大きな意味合いを持つ作品として位置づけられるはずである。

■『球体』の世界を読み解く

 『球体』に関して三浦大知はその表現の意図を明かしていないし、おそらくこの先も明かすことはないだろう。そういった前提を踏まえたうえで、本稿では筆者なりの「こういう解釈もできるのでは?」という視点を示したいと思う。ここに書かれた内容を鵜呑みにするのではなく、この先作品やライブを楽しむうえでの一つの参考となれば幸いである。

 『球体』において特に重視されているのが、日本語へのこだわりである。普段以上に押韻が意識された歌詞が全編にわたって印象的なのに加えて、ライブにおいても言葉の意味とリンクするかのようなダンスが展開される。「ビートに乗る」というよりも「言葉に乗る」とでも言うべき流麗なダンスは、高いダンススキルを誇る彼ならではの表現である。

 音楽的なレンジについては、これまでの彼のオリジナルアルバムと同様に、バラードからダンスナンバーまでとても幅広い。特にここ数年のR&Bのトレンドを咀嚼した「対岸の掟」や雄大なボーカルが楽しめる「世界」あたりは、個別に切り出しても普段のライブにすんなりと馴染むようなものになっている。通して聴くことでアルバムとして完結する構成になっているのが『球体』ではあるものの、個々の楽曲に関してもしっかりクオリティが担保されていることは指摘しておきたい。

 『球体』全体のテーマに関しては、「そもそも“球”とは何か?」という観点から3本の補助線を引いてみたいと思う。キーワードは「地球」「輪廻転生」「並行世界」。

 最初に着目したいのが、「地球のメタファーとしての球体」である。今作には様々なタイプの自然音がSEとして導入されているが、地球全体の大きな営為の中で生命が育まれていく様を『球体』全編を通して感じ取ることができる。

 次に、球という形状は「明確に始まりと終わりのない(たとえば三角形のような“頂点”のない)物体」である、ということも本作のテーマとつながっているように感じた。一度起こった何かが形を変えてまた眼前に登場する、全ての物事はずっと続いていく、そんな「輪廻転生」的な価値観が『球体』には通底しているように思える(ライブにおいても「終わりが始まりになる」というような演出も登場する)。ちなみに、『球体』においては「水」に関する表現が重要な位置づけを占めており、〈海原〉〈水滴〉〈雨粒〉〈湿った風〉など水が形を変えて存在していく様子を表す言葉が多数使われている。こういった「終わりというものがなく、形を変えて存在していく」というメッセージは、音楽家によって産み落とされた作品がリスナーの心の中で永遠に生き続けることのメタファーと読み解くことも可能である(また、もちろん水は「生命の源」であり、最初のテーマともつながっている)。

 最後に、球という形状には「どこから見ても同じように見える」「光の当て方によっては全く違う見え方になる」という対照的な性質を持つことも、今作を楽しむうえで考慮すべき点のように思える。〈海水を目指す淡水魚〉という表現やクライマックスに配された「世界」「朝が来るのではなく、夜が明けるだけ」で歌われる真逆の世界のあり方など、「今は違うけど、もしかしたらこうだったかもしれない」という考え方が『球体』ではたびたび提示される。単純な二元論に収斂しがちな現代社会において、視野を広げるための投げかけとしても機能するメッセージである。

 地球と生命、生き続ける音楽、世界の見方。そんな様々なレイヤーが折り重なった複層的な表現が今回の『球体』の肝となっている、というのが筆者の見解である。ただ、繰り返しになるが、この解釈はあくまでも「いちリスナーが『球体』と向き合った結果」でしかない。それぞれのリスナーがいろいろなことを考えられることこそに、『球体』の存在意義はあるのだと思う。

 大ブレイクを経て発表された今回の『球体』プロジェクトが、リスナーの心にどんな印象を残すのか。そして、三浦大知の今後のアウトプットにどんな影響を及ぼすのか。まずはこの深遠な世界を堪能しつつ、次なる作品を楽しみに待ちたい。(レジー)

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