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チャゼル×ゴズリングが繋いだ“月とキッチン” 『ファースト・マン』深い悲しみと向き合う物語に

リアルサウンド

19/2/24(日) 10:00

 ジャズ・スタンダードとして知られる「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」がヒットしたのは1962年のこと。当時、ソ連と宇宙開発競争を繰り広げていたアメリカは、ソ連に先駆けて人間を月に送り込むアポロ計画を発表したばかりで、「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」はアポロ計画の応援歌のような役割も担っていた。<私を月に連れて行って 星たちの間で遊んでみたいの>。そんなロマンティックな歌と裏腹に、宇宙飛行士たちは厳しい訓練に明け暮れていたのだ。そんななかで初めて月に降り立ったニール・アームストロングとは、どんな男だったのか。その素顔に迫るのが、『ラ・ラ・ランド』のデイミアン・チャゼル監督による最新作『ファースト・マン』だ。

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 物語はニール・アームストロング(ライアン・ゴズリング)が空軍のテスト・パイロットだった頃、1961年から始まる。アームストロングの幼い娘、カレン(ルーシー・ブロック・スタッフォード)が重い病気を患い、アームストロングと妻のジャネット(クレア・フォイ)は懸命に看病するが、二人の願いは叶わずカレンは亡くなってしまう。最愛の娘を失ったアームストロングは、その悲しみから逃れるように、NASAのジェミニ計画(アポロ計画の前段階のプロジェクト)に応募。宇宙飛行士候補生として厳しい訓練をこなしながら月を目指す。

 本作の企画がチャゼルに持ち込まれた時、チャゼルは宇宙に興味を持っていたわけではなく、アポロ計画のことやアームストロングのことはほとんど知らなかったという。しかし、アームストロングの自伝を読んだことで、いかにアポロ計画が無謀な試みだったのかを知り、同時に英雄のイメージとはかけ離れた物静かな男、アームストロングに興味を持った。そこでチャゼルが大切にしたのがリアルさだ。彼は現代の乗用車にも及ばないテクノロジーで月を目指す人々の物語をドキュメンタリー・タッチで描き出し、狭いロケットのコックピットに押込められている宇宙飛行士たちの息苦しさも伝わってくる。そういった生々しい感覚を観客にも味わってもらうため、できるだけCGは使わずセットを作って撮影。宇宙のシーンでは、ロケットの窓の外にLEDでNASAの資料映像を映し出し、ライアンはその映像を実際に見ながら演技をした。そんな風にニールの視線やリアリティにこわることで、チャゼルは月への旅を疑似体験させてくれる。

 そして、チャゼルは壮大なミッションに向き合うアームストロングの苦難の日々を描く一方で、家庭人としてのアームストロングにも焦点を当てる。初期の段階から本作に関わっているライアンは、チャゼルに「月とキッチンを繋ぐような作品にしよう」と提案したとか。「キッチン」とは家庭のこと。本作ではジャネットや子どもたちとの関係が、「月」パートと同じくらいしっかりと描かれている。アームストロングは口数が少なく、感情をあまり露わにしないので、「キッチン」パートで彼の素後や人間性を垣間みることができるのだ。ライアンは抑制された演技で、アームストロングのなかに潜む勇気や不安を表現。なかでも、娘を失った悲しみがアームストロングの人物像を組み立てるうえで重要な要素になっていて、アームストロングのどこか悲しげな眼差しが印象的だ。

 そして、アームストロングの感情を引き出すための重要な役割を担っているのが妻のジャネットだ。アームストロングが月だとしたらジャネットは太陽。家庭をきりもりしながら、アームストロングをしっかり支える。そんなジャネットの感情が爆発するシーンは、クレア・フォイの見せ場のひとつだ。アームストロングが月へ飛び立つ日が迫るなか、それがどれだけ危険なことなのかを子どもたちに直接説明してほしい、とジャネットはニールに迫る。愛する人を、子ども達の父親を失うかもしれない。そんな恐怖が彼女を突き動かす、エモーショナルで緊張感に満ちたシーンだ。

 それにしても、少女の死から始まる本作には、つねに死の影が見え隠れしている。ニールの仲間達は次々と訓練中に事故で死亡。アポロ内部で火災が発生して、乗組員3人が座席に固定されたまま焼死する事件を描いたシークエンスは、ヘタなホラーよりも恐ろしい。アームストロング自身もドッキング訓練で事故が発生して、死の一歩手前で生還する。映画を貫く張りつめたような空気は、アームストロングの気持ちを反映しているかのようだ。そんなアームストロングがついに月面に降り立つシーンでも、物語がドラマティックに盛り上がることはなく、そこにあるのは別の種類の感動だ。

 映画は16mm、35mm、IMAXの3種類のフィルムで撮影されていて、家庭やロケット内のプライベートな空間は16mmの映像を使用しているが、月面のシーンは細部までクリアに見えるIMAXを使用。草花や生き物の気配がまったくない、岩だらけの月面は死の世界のようだ。そんななか、アームストロングは亡くなったカレンのことを思い出すのだが、カレンの映像は16mmで温かな色彩に彩られている。そして、アームストロングは、地球から持って来たカレンの遺品のブレスレットを静かに月面に置く。数々の死と向き合ってきた彼が、その悲しみに自分なりに折り合いをつけたような美しくも切ないシーンだ。アメリカ本国では、アームストロングが月面にアメリカ国旗を立てるシーンがなかったことで批判を浴びたが、国旗ではなく娘のブレスレットを描いたことが、この物語の大切なところであり、チャゼルとライアンが目指した「月とキッチン」の融合なのだろう。『ファースト・マン』はタフな英雄の物語ではなく、深い悲しみと命懸けで向き合った男の再生の物語なのだ。

(村尾泰郎)

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