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初のiモード搭載機種となったNTTドコモ「F501i」(富士通、1999年2月発売)。iモード対応機種の出荷台数は登場からわずか1年で560万台を突破する。

平成の音楽史 第3回 胎動する21世紀の音楽たち

ナタリー

19/5/2(木) 18:15

30年続いた平成の時代に音楽シーンは激変した。この先、音楽はどのように進化していくのだろう。「平成の音楽史」3回目となる今回は1998~2005年。98年以降CDの売り上げが減少し始める一方で、音楽配信や音楽フェスなど、今に至る音楽インフラが次々に産声を上げていく。20世紀から21世紀へと変わったこの時代、音楽もまた次のフェーズへと進化を遂げたのだ。そしてその節目を象徴するようなアーティストとして、ひとりの少女が登場する。

ディーヴァブームと小室時代の終焉

時代はまさに世紀末。21世紀の到来を間近に控え、ノストラダムスの予言が奇妙なリアリティを持つようになり、2000年問題に対する不安が各所で呟かれていた。

携帯電話とインターネットを通じた音楽の楽しみ方が一般層にまで広がってきたのもこの頃のことだ。1999年にはNTTドコモがiモードのサービスを開始。携帯電話でのインターネット網への接続が可能となると、他社もその動きに続いた。ADSL回線でのインターネット接続が主流になった2001年は“ブロードバンド元年”とも呼ばれ、02年には「着うた」が登場。04年頃からは従来の着メロ市場を侵食しながら急速な発展を見せていく。02~05年の間は「Deep Love」を契機とする第1次ケータイ小説ブームも巻き起こった。そうした環境の変化と共に、97、8年にピークを迎えていたCDのセールスは少しずつ減少へ転じていく。

本連載の1回目(1989~93年)において、J-POPというジャンル(もしくは概念)の誕生におけるJ-WAVEが果たした役割について触れたが、90年代半ばから後半にかけて、J-WAVEなどのラジオ局のプッシュによってとあるブームが巻き起こった。それが“ディーヴァブーム”だ。ディーヴァとは平たく言うと“歌姫”を意味しており、女性のソロシンガーを指す。90年代初頭から成功を収めていたCHARAや、95年にシングルデビューを飾っていたUAという先行例もあったが、ブームの火付け役となったのはやはり98年にシングル「つつみ込むように…」でデビューしたMISIA。この時期、アメリカの現行R&Bを参照した新時代の日本語ポップスが多数リリースされたが、ゴスペルを聴いて育ち、アフロアメリカンからのボイストレーニングを受けたという謳い文句と共に華々しく登場したMISIAは、そのブームを象徴する存在でもあった。

【98年2月リリース、MISIAの1stシングル「つつみ込むように…」。(YouTube MISIAオフィシャルチャンネル)】

ただし、そうしたディーヴァブームの際にリリースされた諸作品はアメリカの最新R&Bをそのままトレースするのではなく、あくまでも“R&B風味の日本語ポップス”を生み出すことに軸足が置かれていた。その意味で、その試みはCHEMISTRYを挟み、近年のEXILEまでつながっていると言えるだろう。

またこの98年には、浜崎あゆみや椎名林檎、aikoなど、のちのビッグアーティストが数多くデビューを飾っている。その一方で、90年代半ばから栄華を極めていた小室哲哉はこの年、シングル売上上位30位の中に1曲もプロデュース曲を送り込むことができなかった。そんな時代の分岐点を象徴する存在が、98年12月に「Automatic」で本格的なデビューを飾った宇多田ヒカルだった。

宇多田ヒカルの登場が終わらせたもの

【1998年12月、宇多田ヒカルの1stシングル「Automatic」。デビュー当時、わずか15歳であった。(YouTube 宇多田ヒカルオフィシャルチャンネル)】

小室は2015年4月に放映されたフジテレビ系「水曜歌謡祭」において「ヒカルちゃんが僕を終らせたって感じですね」と話している。欧米のダンスミュージックをどのように再解釈し、日本のマーケットへと投下していくか。常にそうした実験を続けてきた小室にとっては、物心つかないうちからアメリカのポップミュージックに触れ、現行R&Bのなんたるかを半ば無意識のうちにつかみ取っていた宇多田の登場は脅威以外の何物でもなかったのだろう。

ただし、宇多田の場合はR&Bのニュアンスを参照しつつも、あくまでも日本語の歌としての普遍性も併せ持っていた。その最初の頂点は99年4月のシングル「First Love」であり、同作を収録した1stアルバム「First Love」だった。その歌世界は近年ますます純度を高め、昨年も「初恋」という傑作を発表したのはご存知の通りだ。

【99年4月にリリースされた宇多田ヒカル3枚目のシングル「First Love」。(YouTube 宇多田ヒカルオフィシャルチャンネル)】

そしてその一方で、また新たな動きも始まりつつあった。90年代末、“小室 VS つんく♂”という構図があったことを覚えている方も多いだろう。彼ら2人が競い合うようにしてアイドルグループや女性シンガーを次々とプロデュースしていた番組が、テレビ東京で放送されていた「ASAYAN」だ。

もともとモーニング娘。は、その番組内で行われた「シャ乱Q女性ロックボーカリストオーディション」の落選者の中から選ばれた5人で結成されたグループだった。彼女らはつんく♂のプロデュースのもと、98年1月の「モーニングコーヒー」でメジャーデビュー。小室もまた同番組でdosや鈴木あみ(現在は鈴木亜美)をデビューさせる。そして99年9月、モーニング娘。は「LOVEマシーン」でミリオンセールを記録する。

【99年9月9日という9が並んだ日にリリースされたモーニング娘。7枚目のシングル「LOVEマシーン」。(YouTubeモーニング娘。’19オフィシャルチャンネル)】

その後もつんく♂は松浦亜弥(01年デビュー)、Berryz工房(04年デビュー)、℃-ute(06年デビュー)を送り出し、AKB48登場以前の時期に一大アイドル王国を作り上げることになる。昨年18年3月に公開されたORICON NEWSのインタビュー記事において、彼は当時の状況をこう分析している。

「80年代後半から90年代半ばのバンドブームがあって、世の中からアイドルがあまりいなくなる。アイドルは大ヒットしないと食えないイメージがあったから長続きしないんですね。アイドル=かっこ悪いになって、やりたい子も減ってくるんですよ。そういう時期があって、小室さんの時代がやってきた。アーティストみたいなアイドルになった。そこでカッコいいガールズグループができた。モーニング娘。をやるときは混沌としてアイドルっていうものがなくなっていた」

平成の最初の10年を踏まえたうえで、どのようなアイドル像を打ち出すことができるのか。ある種の“カッコ悪さ”もそのまま曝け出しながら、テレビの視聴者とリスナーを巻き込んでいくモーニング娘。のアイドル像は、その後のアイドル戦国時代を用意するものでもあった。

音楽配信と野外フェス時代の始まり

また90年代後半は、音楽や映画コンテンツの海賊版データがインターネット上に飛び交うようになり、CDやアナログレコードといった音楽ソフトの未来が危惧され始めた時期でもあった。

まず2000年4月には日本でも音楽業界各社出資のもと、音楽配信ポータルサイトとしてレーベルゲートがオープン。01年1月にAppleがiTunesをリリースし、03年4月にiTunes Store(当時はiTunes Music Store)が海外でオープンすると、05年8月には日本でもサービスが開始された。冒頭でも触れたように02年にスタートした「着うた」をはじめ、携帯電話向けの着信音声も定着するなど、視聴環境の変化がこの頃から加速し始める。音楽配信時代の幕開けである。

また、90年代末から2000年代初頭にかけては、現在まで続く巨大フェスが各地で始まり、野外フェスが一般化した時期でもある。「FUJI ROCK FESTIVAL」がスタートしたのは97年、「RISING SUN ROCK FESTIVAL」は99年、「SUMMER SONIC」と「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」は00年、「朝霧JAM」は01年。それまでもローカルな野外イべントや屋外レイブは各地で行われてきたが、規模が爆発的に拡大し、各フェスが独自のファン層を獲得したのはこの時期以降のことだ。そうした中で、音楽を“聴く”だけでなく、音が鳴る場そのものを“体験する”ことに意味や意義が見出されるようになっていく。

そして00年代初頭は、メジャーとインディーズの垣根がなくなっていったことでさまざまなロックバンドが躍進を遂げた。00年にはHi-STANDARDを中心に企画された大規模ロックフェス「AIR JAM 2000」が千葉マリンスタジアムで開催され大きな成功を収めたほか、01年9月にリリースされたMONGOL800のアルバム「MESSAGE」がインディーレーベルからのリリースながら200万枚以上の売上を記録。00年にはBUMP OF CHICKENが、03年にはASIAN KUNG-FU GENERATIONがメジャーデビューを果たし、その一方で、02年にはNUMBER GIRLが、03年にはTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTが解散と、シーンの顔ぶれはめまぐるしく入れ替わっていく。

CD売り上げのピークを過ぎて21世紀に入ったばかりのこの時代、まさに次の時代を担う役者がそろったような感じだ。さらにそれに加えて、03年には音楽やエンタメに特化したSNSであるMyspaceがアメリカで設立され、一方の日本では04年2月にmixiがサービス開始。こうして好きな音楽を軸にオンライン上、あるいはそのオフ会で、人とのつながりを形成できる環境が整っていく。

同時に00年以降インターネットの定額制(常時接続)が普及したことから、料金を心配せずに自由にインターネットへアクセスすることができるようになった。つまり、誰もが手軽に自身の表現を世界に向けて発信できるようになったということだ。こうしていよいよ05年4月23日、全世界で初めてのYouTube動画が投稿される。

【一番最初のYouTube動画「Me at the zoo」】

次回は、それらの影響がより表面化していった05年から11年までの6年間にスポットを当ててみたい。

<つづく>

(参考文献)
「山あり谷あり!平成から学ぶ ツンデレ経済学」(Money VIVA)
「つんく♂、伸びるアイドルは『こだわりのない子』 生き様が「ファンの心をつかむ」(ORICON NEWS)
「音楽産業の歴史と発展~レコード・CD・MP3・ストリーミング~」(XERA)
「日本のレコード産業2019」(日本レコード協会)

文 / 大石始 編集 / 木下拓海

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