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『ヴェノム』はなぜ批評家と観客の間で評価の違いが生じたのか? 『ブラックパンサー』と比較検証

リアルサウンド

18/11/12(月) 10:00

 マーベル・コミックのスーパーヒーロー「スパイダーマン」の宿敵の一人である、生物の身体に乗り移るスーパーヴィラン(超人的悪役)「ヴェノム」。そのヴェノムと、乗り移られた男を主人公に、次々に降りかかる災難や壮絶なバトルを描く実写映画が、今回紹介する映画『ヴェノム』だ。本作をめぐり、じつは興味深い現象が起きている。

参考:『ヴェノム』大ヒットスタート! 「日本で当たるアメコミ映画」と「日本でコケるアメコミ映画」

 まず公開前のアメリカでは、批評家の反応が良くなかった。「最高の俳優トム・ハーディの無駄遣い」、「ひどい脚本」などなど、批評を集めたレビューサイト「ロッテントマト」によると、7割以上の批評家によるネガティブな、ときに過激なまでに強い物言いの意見が多く見られたのだ。これは制作費100億円級の大作としては無視できないダメージになるはずだった。しかし蓋を開けてみれば、公開後の『ヴェノム』は多くの観客を集め大ヒット。いきなり90億円ほどを稼ぎ出し、週末興行成績においてアメリカの歴代10月公開作のなかで成績トップという新記録を樹立。日本でも初週ナンバーワンヒット作品となり、観客の評判は上々だ。

 なぜ批評家と観客の間でここまで評価の違いが生まれたのだろうか。ここではその原因を探りつつ、映画『ヴェノム』の描いたものを考えていきたい。

 観客が本作に魅了された要因の一つは、「ヴェノム」の凄まじいビジュアルにある。映画『スパイダーマン3』に登場した後、何度もヴェノムを主役としたスピンオフ映画の企画が検討されてきた。このキャラクターは、アメリカンコミックのヒーロー作品におけるヴィランのなかでも、とくに人気が高く、実写映画版が待ち望まれていたのだ。

 おびただしい数の真っ黒な蛭(ヒル)が集まったようなおぞましい姿と、そんな生物に身体を蝕(むしば)まれることを代償に超人的な能力を得ようとする人間が組み合わさった存在は、それが醜く背徳的だからこそ、逆説的に妖しげな美しさを持つ。本作のCGアニメーションによる、ぬめぬめとした質感とスピーディーな形態変化、とくにクライマックスで見せた、水しぶきのように細かく散乱する精緻なヴェノムの肉体表現については、批評家からもほとんど文句が出てこないほど、観客の期待に応えていたように思える。

 支持されるもう一つの要因は、とくに近年、重厚感のあるシリアスな役を演じることが多かったトム・ハーディが、意外なことにコメディ・タッチで、ヴェノムに身体を乗り移られる主人公エディ・ブロックを演じていたことだ。彼は『ブロンソン』(2008年)で演じたような凶悪さと、『レジェンド 狂気の美学』(2015年)で演じた一人二役のスキルによって、ほぼコントのような、エディとヴェノム両方のかけ合いを一人で行っている。その、一歩間違えればくだらないだけの描写になりかねないシーンが、コメディ映画『ゾンビランド』(2009年)のルーベン・フライシャー監督による軽快な演出だからこそ、そして演じるのがトム・ハーディだからこそ、大画面で成立していると感じられる。

 このヴェノムとエディの、肉体を共有した共同生活や友情は、ある種のエロティックさをも発散している。同性のキャラクター同士の関係性は、ネット上で多くのファンアート(観客による二次制作)を生み出すほど、一部の観客を楽しませることにもなった。

 だがこれは、賛否を呼びかねない作風でもあるように思える。おぞましいヴェノムを、コミカルな部分のある愛すべきキャラクターに設定したことで、原作の持っていた本来のダークさが薄れていき、既存のヒーローとそれほど差がない存在になってしまったのだ。しかしそれは、制作側があえて切り捨てた部分であるだろう。批評家の反応が悪いのは、このあたりの思い切りの悪さに起因している部分も大きいはずだ。

 しかし、これだけではまだ批評家たちの極端な態度の説明はつかないだろう。ここで例に出したいのは、先ごろ、やはり大ヒットを果たしたヒーロー映画『ブラックパンサー』(2018年)だ。カーアクションやライバルとの戦闘など、アクションや見せ場だけをとり出せば、『ヴェノム』にほぼ似通った作品である。にも関わらず、『ブラックパンサー』は「ロッテントマト」で9割以上の批評家の支持を受けているのである。これはさすがに露骨すぎる結果であるように思える。

 批評家というのは往々にして、脚本がどんなメッセージを伝えるのか、アクションにどんな意味が込められているのかというところに、敏感に反応しがちな性質を持っている。例えば、ブラックパンサーのスーツは衝撃を受けると、反動を相手に返すつくりになっているが、それはアメリカ国内で長い間迫害を受けてきたアフリカ系の人々の、耐え続けてきた歴史が反映しているように感じられる。こういう描写に比べると、同じようなものを描いても『ヴェノム』の方が軽薄に思えてしまうということは考えられる。

 では、『ヴェノム』は本当にメッセージ性が希薄なのだろうか。たしかに、エディ・ブロックが貧富の差や、悪徳企業の非人道的行為を報道する記者であり、彼がヴェノムと協力して企業の悪を退治するという内容は、あまりに類型的であるように感じてしまうし、この要素がアクションやクライマックスに向けてうまくつながっていない印象があるのも理解できる。

 しかし本作のテーマが、ヴェノムとエディの関係のような「共生」であると考えれば、作品に描かれた様々な要素はまとまりを見せるはずだ。本作に登場する大企業の経営者のように、能力の劣った者や力を持たない者を排除し、世界の人々を分断しようとする流れに対し、じつは「負け犬」であることを自認する、弱い立場のヴェノムやエディが、お互いに様々な問題を持ち、気に入らない部分を妥協しながら共闘する姿は、その流れに反していると思える。

 近頃のアメリカは、移民を排除しようとする動きや人種差別行為、さらに貧富の差の拡大など、市民の分断が問題となっている。それは同時に、世界的に進行している現象でもある。ヴェノムたちのように譲り合い妥協しながら、何とかかんとかやっていくことで、「分断」される未来でなく「共生」する未来へ進んでいくこと。これが『ヴェノム』のベースにある思想である。それは、身体に乗り移る能力を持つ異星生物と、人間のコンビという設定を持つ本作だからこそ、強く描くことのできるテーマではないのか。

 描かれるテーマにおいて、『ヴェノム』と『ブラックパンサー』に、批評家の極端な判断程の差は無いのではと感じられる。批評家一人ひとりによって評価のポイントは異なるだろうが、今回の事例のように、ことにアメリカの批評の傾向は、ときに一つの流れに向き過ぎる場合があると感じられる。『ヴェノム』における批評家の反応と観客の動向のアンバランスさは、その状況を暴き出しているのではないだろうか。また、この現象は同時に、批評家の意見が観客に及ぼす影響が低下していることを意味しているかもしれない。(小野寺系)

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