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ぴあ

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第3回

荒木経惟 写真に生きる 写真人生の出会い

陽子との出会い。俺を写真家にしてくれたのは陽子。

全11回

19/2/6(水)

電通勤務時代の
今は亡き妻、陽子との出会い

荒木が電通の企業案内誌の写真を撮るために様々な部署をまわり、総務局文書部和文タイプ室に勤務していた陽子と初めて出会う。1968年撮影。

 陽子と初めて会ったときの写真だね。電通の、これは和文タイプ室かな。ローライで撮った。電通の案内誌を作るときに、それに載せる写真を撮るっていうんで、いろんな部署をまわったんだ。ここには若い女の子が集まっていて、陽子に会った。陽子がセンターにいるだろ。意識的じゃないけど、無意識的に真ん中に陽子を置いて、他の女は脇役だね。でも内緒だけど、もう一人、気になるのがいて、すかさず俺、ナンバーツーを脇に座らせて(笑)。陽子の隣に寄りかかってる正座の女がいるだろ? なっ、そう言われるとわかるだろ、俺の好みが。ワハハハ。その時のあれがバレちゃうんだよ(笑)。

  陽子は白鴎高校を出てたんだ。俺は上野高校だろ。陽子は最初にね、俺に声かけられた時は、下駄履いて赤いTシャツで電通に来ているからこの人何だろうって思ったらしいよ。「これ終わったら俺のスタジオがあるから来い」なんて言うしさ。スタジオを自由に使えたからね、うちら。あの頃の電通は懐がでかいから(笑)。そこで、パッと、どさくさにさ、「俺はモディリアーニが好きだけど、そんなふうには撮らないから。〈アラ〉キスリングに撮るから」って言うと、通じるんだよ。そんでね、向こうが安心したのが、単なる不良じゃないってこと。「え?上野高校?」って。その頃はさ、白鴎の女と上野高校の男っつうのがコンビなんだから、高校時代はね。だから、向こうが驚いてた。「ええっ?上野高校?」って(笑)。生まれも俺ん家の三ノ輪に近い千住だった。

 『ベルサイユのばら』を描いた漫画家(池田理代子)いるじゃない。あれと同期だよ。市川染五郎(現・松本幸四郎)の結婚式で会ってさ。陽子の、高校の頃の話を聞いてね。気にしてたみたいだよ、お互いに。白鴎高校って、当時は下町では女の子の一番頭がいい子が行く高校。男は俺の上野高校だけど(笑)。格が違うんだ。向こうのほうがちょっとランクが上でね。でも俺のところも下町では一番なんだよ。白鴎高校ってそのころ有名で、いい女優とか出てるよ。

 よくデートしたねえ。これは「夏の終わりの日曜日」って言ってさ、杉並の方南町で撮った陽子だね。1日だけで1冊作っちゃうのが好きだった。ひと夏に撮った写真で1冊とかね。

「Sunday 夏の終わりの日曜日」。1969年撮影
「愛のプロローグ ぼくの陽子」より。1968-1971年撮影

 結婚記念日は7月7日。陽子とは、別れても、毎年この日には必ず会おうと約束したんだよ。(荒木は青木陽子と3年間の交際期間を経て、1971年7月7日に青学会館で挙式。披露宴で新婦のヌード写真がスライドで上映された。)

 披露宴でさ、陽子のヌードを上映したら、寝込んじゃった、おばあちゃんが。あんなものはダメッ!って言ってさ。ところがだよ、その晩だかその次の日に、NHKに出たんだよ、俺。それで、信用された。NHK出たんだから偉い、ちゃんとした人だって。平塚のおばあちゃんかな、確か。その頃、NHKってものすごい効果的だったんだよ(笑)。

 そういう始まりが多いんだよね。お袋はさ、「もう、なんで運送会社なんかに就職するの」って。うちの前を丸通(マルつう)ってかいてあるマークのトラックが通っているの見ているからさ。車の運転もできないのに、なんでノブは運送会社に就職するのかって(笑)。お袋がそうなんだから親戚のおばあちゃんたちだってそういう感じで。電通って言ったって、その頃まだ知られてないけど、みんな就職したいところなんだ。そんで、NHKなんて言ったら全国放送だからさ。信用できるって。いやあ、いい人なんだって(笑)。でも、ヌードのスライド上映は、ちょっとまずいよなあ、ワハハ。結婚式の披露宴じゃなあ、ちょっとなぁ。後で聞いたけど、俺のほうの親戚も、あんたのとこの子は!って言ったらしいけど。NHKの後はね、ガラッと、対応がよくなったんだ(笑)。

1971年7月7日、荒木と陽子が結婚。青学会館にて挙式。1971年撮影(「センチメンタルな旅」より)

 結婚式をした青学会館は、陽子が探してきたんだよ。俺が東京で一番安い場所を探せって言ったんだ。そんで、俺は浄土〈写〉真宗だけどって言ったら、大丈夫だって言うんだ(笑)。あそこキリスト教なんだよ、青学って。今きれいになったらしいよね。陽子がここでやりたいっていうのも、うっすらとあったのかもしれないけど。俺の気持ちとしては、ホテルとかそんな大げさな場所じゃなくて、そこらでいいんだからって言ってさ。でもそこらで集まってお茶飲むだけっていうのもいやじゃない、本人は。陽子に気遣いしてんだよ、俺(笑)。この写真も気い遣ってさ。ここの専属の写真館のヤツに、悪いけどここで一発撮らせてくれって言って撮った。普通は写真館のヤツが撮るだろ。向こうのが売れなくなっちゃうわけだよ。これは一番弟子に撮らせた写真なんだけど、やっぱりこれがいいんだよ。

陽子と出会い、陽子との結婚から
「センチメンタルな旅」は始まった

 挙式後、京都、柳川、長崎を巡る4泊5日の新婚旅行に新幹線で出発。新婚旅行を撮影した私家版写真集『センチメンタルな旅』を自費出版。写真集を新宿の紀伊國屋書店に置いてもらおうと頼みに行き、当時4階にあった自費出版コーナーの責任者に文章を添えるように勧められ、読者への手紙形式の文章を書く。「(略)この『センチメンタルな旅』は私の愛であり写真家決心なのです。自分の新婚旅行を撮影したから 真実写真だぞ! といってるのではありません。写真家としての出発を愛にし、たまたま私小説からはじまったにすぎないのです。もっとも私の場合ずっと私小説になると思います。私小説こそ もっとも写真に近いと思っているからです。(略)」 。

「センチメンタルな旅」表紙と序文

 結婚式の後に、すぐに新婚旅行に行ったんだよね。その旅行を撮影したのが『センチメンタルな旅』。この文章は左手で書いたんだよ。こんなこと書くなんて恥ずかしいからさ。タイトルと「1000部限定 特価1000円」という文字は陽子が書いた。そこに文字で書いたから合作じゃなくて、もう撮ること自体が共作だからね。被写体になることと撮る人は。二人で作るものなんだから、写真って。

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