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いま、最高の一本に出会える

沢田研二と書いてロックンロールと読むーー80年代から現在に至るまでの活動を辿る

リアルサウンド

18/11/6(火) 12:00

 この1カ月、沢田研二の名前が、マスコミに何度も大きく取り沙汰された。言うまでもなく、10月17日、さいたまスーパーアリーナにおける「ドタキャン事件」によってである。

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 この件の是非については、ここでは問わない。特に遠方から来られたお客さんにとっては迷惑なことだったろう。しかし、一部報道にあったように、イベンターとの関係など、沢田研二の側にも、それなりの言い分があろう。

 むしろ、私が気になったのは、マスコミがこの事件を取り上げるときの、沢田研二の紹介のされ方である。そのほとんどが「沢田研二という人は、その昔、すごい人だったんだよ」という文脈になっていたのだ。そして、「勝手にしやがれ」(1977年)や「TOKIO」(1980年)の音源や映像を流す。

 そういう報道が繰り返されるたびに、私はこう感じたのだ――「世間の、沢田研二に対する認識って、70年代で止まっているんじゃないか」(ちなみに「TOKIO」の発売は1980年の元日)

 というわけで、ここでは、沢田研二ファンの音楽評論家として、世間の「沢田研二観」に追記したいことを列挙しておく。

 繰り返すが、「ドタキャン事件」ではなく、その「事件」を起こした沢田研二について書く。キャラクターやゴシップではなく、音楽家・沢田研二の凄味について書く。

 まずは、「1980年代の沢田研二」を見つめてほしいと思う。私は、80年代、それも前半の沢田研二をもっとも愛する者である。この時代の沢田研二の音楽を一言で言えば、「大抜擢した若手音楽家とのヒリヒリするコラボレーション」。

 佐野元春、大沢誉志幸、伊藤銀次――80年代に一気に名を成したこれらの音楽家たちは、沢田研二のプロジェクトから世に出ている。これに、編曲家としての後藤次利や白井良明、作詞家・糸井重里らを加えても良い。

 とりわけ佐野元春だ。沢田研二のアルバム『G.S.I LOVE YOU』(1980年)のプロジェクトに呼ばれなければ、佐野元春のブレイクは、少なくとも数年は遅れていたと思う。スタジオの中で自作の歌を狂ったように歌う佐野元春に感化されて、80年代の沢田研二が始まる。

 80年代のアルバムで1枚挙げるとすれば、EXOTICSのタイトな演奏をバックに、沢田研二がのびのびとしたボーカルを聴かせるロンドン録音『S/T/R/I/P/P/E/R』(1981年)。このアルバムに収録されたバージョンの「渚のラブレター」は、ボーカリスト沢田研二の最高傑作の一つだと思う。

 しかし、そんな賑やかな「1980年代の沢田研二」より、ある意味重要だと考えるのが、この10年=「60代の沢田研二」だ。

 「60代の沢田研二」の幕開けは鮮烈だった。2008年11月29日に京セラドーム大阪、12月3日に東京ドームで行われたドームコンサート=『人間60年・ジュリー祭り』。夕方から夜まで、自身の曲を何と80曲も歌い切る壮絶なものだった。

 また、ザ・タイガースの再結成も、「60代の沢田研二」の大きなトピックである。60年代後半のグループサウンズ(GS)ムーブメントのトップを走ったバンド=ザ・タイガース。そのボーカルが沢田研二(ジュリー)。

 タイガースの再結成は、沢田研二の悲願だった。かつてのタイガース時代を偲ぶような歌詞を持つ「いくつかの場面」(1975年)という曲の途中、沢田研二は、スタジオ録音にもかかわらず泣いているのだから。

 その再結成コンサートもなかなかに凄まじいものだった。解散から40数年後の再結成なのに、サポートメンバーがいないのだ。東京ドームに鳴り響く、60代のジジイ(失礼)5人だけによる、ピュアに枯れたロックンロール。

 正直、100点満点の演奏とは言えなかったものの、大物ベテラン音楽家の復活コンサートにありがちな、何十人ものサポートを付けた、護送船団方式の演奏よりも、何十倍も心に沁みる感じがしたものだ。

 「60代の沢田研二」を語る上で、避けて通れないのがメッセージソングの存在である。『人間60年・ジュリー祭り』でも歌われた、憲法9条をテーマにした「我が窮状」に加え、東日本大震災後は、脱原発への思いを込めた曲を多数発表している。それどころか、2016年から17年のツアー『祈り歌 Love Song特集』のセットリストは、メッセージソングがそのほとんどを占めた。

 しかし、このあたりについての本人の弁は、いたって自然で、それでいて生真面目な、実に沢田研二らしいものである――「9条も含めて、売れている頃は、そういうことは考えないようにしていました。考えて何かしようとしても、きっと周囲が止めると分かっていたから。でも、こんな年齢になったから、ちゃんと言っていかないと恥ずかしいよね。集会やデモの先頭に立って、ではないけど。だって自分に無理のない方法でやらないとしんどいでしょう」(毎日新聞2012年3月8日)

 「メッセージソングを歌わなければロックンロールじゃない」とまでは言わないが、判で押したように、メッセージソングに尻込みする若い音楽家より、何にも忖度せず歌いたいことを歌う「60代の沢田研二」の方が威風堂々と見えるのも確かだろう。

 そして、今回のツアーである。厳密にはこのツアーからは「60代」ではなく「70代の沢田研二」なのだが、そのツアー『OLD GUYS ROCK』は何と、沢田研二とエレクトリックギター(柴山和彦)という、たった2人だけの編成で回っているのだ。

 この点、週刊新潮(11月1日号)では「手抜きに見えた」と報じられたが、ある程度の音楽ファンであれば、バンド編成の楽曲を、エレクトリックギター1本にリアレンジして演奏することに、非常に高度な技術を要することが分かると思う。

 このツアーで、さいたまスーパーアリーナ「ドタキャン事件」が起こるのだが、その前の4カ月間に、関東地区だけでも、日本武道館、NHKホール、横浜アリーナなどを回っているのだ。それに加えて、さいたまスーパーアリーナなのだから、これはさすがに無茶だったのではないか。

 以上、「1980年代の沢田研二」と「60代の沢田研二」を見てきた。これらの情報は、今後ももう少しくすぶり続けるかもしれない「ドタキャン事件」報道を見るときに、頭の中で追記してほしいと思う事柄である。

 そして「70代の沢田研二」は――

 好きなメンバーと、
 好きなかたちで、好きな曲を歌う、
 好きな表現手段=ライブにこだわり続ける。

 話を半世紀ほど過去に戻す。「20代の沢田研二」が、タイガース解散後、PYG(ピッグ)というバンドを組んで、今で言うフェスのような催しに出演したとき、「お前らはロックじゃねえ!」「お前らは芸能界の回し者だ!」という罵声を浴びたという。

 そして半世紀後、私は思うのだ――

 「好きなメンバーと、好きなかたちで、好きな曲を歌う、好きな表現手段=ライブにこだわり続ける」――これがロックじゃなくて、何をロックだというのだろう?

 沢田研二と書いて、ロックンロールと読む。(スージー鈴木)

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