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異色の朝ドラ『半分、青い。』とは何だったのか? 秋風羽織の“3羽の鳥”に込められていたもの

リアルサウンド

18/10/3(水) 6:00

 『半分、青い。』(NHK総合)が終わった。新しい朝ドラ『まんぷく』(NHK総合)はもう始まってしまったが、ネット上で様々な賛否両論を巻き起こし、話題を呼んだ問題作『半分、青い。』とは何だったのか。

参考:『半分、青い。』はなぜ新しい朝ドラとなったのか インタビュー&コラムからその軌跡を振り返る

 不思議なドラマだった。28歳の漫画家という夢の挫折以降、異色の朝ドラヒロイン・鈴愛(永野芽郁)は何かをやってみてはすぐに挫折する行程を繰り返した。回り道に回り道を繰り返し、自由奔放で直情的な彼女と、どんどん増えていく個性的な登場人物たちと、唐突な時間経過に当惑したことは何度となくあった。だが、『半分、青い。』から目が離せなかった一番の理由は、このドラマが皮肉にも「何かを失う」瞬間、それこそ朝ドラ史に残るのではないかというほどの力のある、凄まじい光景を見せつけてきたからだ。その最たるものは、才能が枯渇した27歳の鈴愛が足掻きつくし、周囲を攻撃して回る時の狂気を帯びた表情だったわけだが、それから多くの死とそれに向き合う登場人物たちの姿が描かれ、最終週の裕子(清野菜名)の死に行き着いてしまった。

 裕子の死の予兆は、第144話でボクテ(志尊淳)と共に揃って白系の服を着て鈴愛と律(佐藤健)のオフィスに唐突に現われるところから始まっている。「一度息の根を止めてしまった作品を生き返らせよう」とするボクテは生に向かい、一方の裕子は、彼女がこれまでずっと求めていた「居場所」を見つけたと話し、その一方で「私を繋ぎとめてよ、私を生きる世界に連れ戻して」と「生きる塊」である鈴愛に対して呼びかけるのである。もう既に死の世界へ足を踏み入れようとしているかのように。

 最終週の序盤は、いささか詰め込みすぎのようにも感じた花野(山崎莉里那)のいじめ問題だったが、これは単にいじめ問題を扱うためだけではなく、花野と鈴愛の転校を巡る話し合いで「逃げていいの?」「違うよ、かんちゃん、逃げるのではない」と会話することに意味があったのではないのか。裕子もまた「逃げて」よかったという可能性を、物語はそこで密かに呈示している。だが彼女は逃げなかった。震災当日、患者たちを上に上げ、自分は寝たきりの人や集中治療室にいる人など動けない患者に寄り添い、亡くなった。裕子の話は、単なる美談で終わらせられない何かがある。

 裕子の死は2度目の夢の終わりだったのだ。鈴愛が、第81話の海辺で缶ジュースをマイク代わりに「You May Dream」を歌い踊る鈴愛と裕子とボクテの場面を1人で反芻することからわかるように。そして再び、第81話で秋風の元から飛びだっていったイラストの3羽の鳥が飛びだっていった。

 裕子が「私はここにいてはいけない」と漫画家の夢を断念し、結婚することを決めた時、「君、がんばれよ。私の分までとは言わない」と言うことで彼女は漫画家の夢を半分鈴愛に託し、その夢を終わらせた。その後看護師という新たな夢を見つけた。

 裕子にとっての「夢」は、秋風(豊川悦司)が以前言っていたように自分の居場所を見つけることだったのだとしたら、優しい夫と子供のいる家庭に居場所がなかったのかという疑問は残る。だが彼女はその居場所を病院で自分を切実に求めてくれる人たちに見出し、そのために今度は逃げないという方法を選んだのだろう。だから、生ではなく死を選ばざるを得なかった。そして、鈴愛に「私の分まで生きてくれ、そして何かを成し遂げてくれ」と今度は完全に自分の夢と想いを託した。

 鈴愛、裕子、ボクテの関係が、律でさえ踏み込めないほど特別であるのは、同じ時期に同じ夢を追いかけた戦友だからだ。秋風塾を裏切ってでも漫画家デビューを渇望したボクテは今も漫画家としての居場所があり、才能の枯渇に抗えなかった裕子と鈴愛は、新しい居場所を模索した。その結末が、「自分の代わりに何かを成し遂げて」という無念ささえ滲む台詞とともに死を選ぶしかなかった裕子と、様々な紆余曲折を経て、ようやく何かに行き着いたかのように思える“生きる塊”鈴愛のラストだったのだろう。

 『半分、青い。』にはたくさんの飛べない鳥がいた。祥平(斎藤工)の自殺未遂もまた、1つの「飛べない鳥」の隠喩だった。天才である秋風羽織を空高く飛ぶ鳥に例えた鈴愛は、自分のことを、それを見上げて歩く飛べない鳥だと言った。だが、秋風にとっては逆だったのではないのか。秋風自身は動かない。旅立っていく弟子たちを自分の元から飛び立っていく3羽の鳥のイラストで表現した。飛べない鳥は飛べる鳥を羨む。

 生きていればいいこともあるが、苦しいことも多い。だから人は想像力を駆使し、何かを創造しようと志す。でも、創造することで生まれる絶望や憎しみ、夢を勝ち取るために必要なズルさもしたたかさも、このドラマはシビアに描く。「タフでなければ」何かを成し遂げることはできない。夢への渇望は命がけで、死はいつも隣り合わせだ。

 鈴愛と律の2人がようやく、視聴者が最初に想定していただろう展開、つまり“運命”の2人が結ばれ、そよ風の扇風機を完成させるという結末に行き着くには、ドラマの括りにおいては半年必要で、物語においては40年の歳月を必要とした。私たち視聴者は、神様のように、空の上から、なかなか気づかない2人の道筋があっちにいったりこっちにいったりするのをやきもきしながらただ見ているしかなかった。

 でも、人生とはそういうものなのかもしれない。自分の居場所も運命も簡単には気づけない。神様は常に明確な道筋を示してくれるわけではない。すぐに自分の進むべき道を見つけることができたらラッキーだが、人生の道筋にたくさんの選択肢がある現代を生きる私たちは、運命の人も、自分の居場所を見つけることさえ難しい。

 それでもいつかは見つかる。生きてさえいれば、いつかは辿りつくことができる。想像することを忘れさえしなければ。最後の「雨のメロディー」はそんなことを教えてくれたような気がした。(藤原奈緒)