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いま、最高の一本に出会える

2018年、日本映画はニューフェーズへ(後編) 『カメ止め』は夢の映画か、脱・映画か

リアルサウンド

18/10/23(火) 10:00

・『カメ止め』が見せた下克上の論理

 映画と社会の関わり、ということを考察するなら、ここで1本の話題作に触れないわけにはいかない。2018年の日本映画をめぐる最大のトピックとしては、カンヌ映画祭パルムドールに輝いた是枝の『万引き家族』と並んで、圧倒的大多数の人が上田慎一郎(1984年生まれ)の『カメラを止めるな!』を挙げるはずである。

 まさに映画の枠を超え、社会現象的なヒット商品としても今年有数のビッグタイトルとなった本作のハネ具合――異例どころか前代未聞の興行的成功についてはもはや説明するまでもないだろう。監督・俳優の養成スクールであるENBUゼミナール製作・配給の、ワークショップを基盤とした完全な自主映画でありながら、都内2館からSNSによる口コミと、「口コミで話題」と報じるメディアが連鎖して全国のシネコンへと拡大公開。本稿執筆時(2018年10月)の時点で興収20億円を突破している(製作費は公称約300万円)。

 このハリウッド的、もしくはアメリカン・ドリーム的な驚異の現象面だけ取ってみれば「ついに出た!」と大喜びするところだ。というのも筆者は『SR サイタマノラッパー』公式本(角川メディアハウス刊)に寄せた論考などで「メジャーとインディーズの液状化」が現代の日本映画シーンに敷かれるようになった土俵とし、新自由主義化した競争社会のハードさをポジティヴに捉えるならば、どんな低予算の自主映画でも出来が良ければ同じスクリーンで上映されるし、ハリウッドや国内大手メジャーとも闘える。もしかすると勝てるかもしれない、という下剋上の論理を説いたからだ。

 それは松江哲明の『童貞。をプロデュース』が最初の回路を開き、入江悠の『SR サイタマノラッパー』シリーズの健闘――特にティ・ジョイが配給に付いたことで最初からシネコン映画として世に出た『SR サイタマノラッパー2~女子ラッパー☆傷だらけのライム~』(2010年)が果敢な歩みを見せたゆえの可能性なのだが、同時に満足な結果にまでは届かず、惜しくも果たせなかった悲願の夢でもあった。

・『カメ止め』 の文体は「脱・映画的」
 
それだけに『カメラを止めるな!』が、アスミック・エースが共同配給に加わってから毎週の興収ベストテンに顔を出し、『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』や『アントマン&ワスプ』などと渡り合いつつ、より長くランキング圏内に留まり続けている国内チャートはまさに壮観であった。ちなみに『童貞。をプロデュース』や『SR サイタマノラッパー』の宣伝もしくは配給を務め、『カメラを止めるな!』には宣伝協力で関わったSPOTTED PRODUCTIONSの直井卓俊は、本作を昨年度の時点で自身の年間ベスト第2位に選出しており、さすがの慧眼ぶりを示している(『映画秘宝』2018年3月号)。

 しかし、である。率直に記すならば、筆者にとっても『カメラを止めるな!』は夢の映画であるはずなのに、作品自体の感想としては、お茶の間で違和感なく受容可能なツルッとした健全さに戸惑いを隠せなかった。これはものすごいジレンマである。松江や入江が行ったのは優れて「時代的」な表現だったが、上田はむしろそれを徹底排除。ある種純粋に作品単体で外部からの補完不要な構造を成立させ、「予備知識なしで観たほうがいい」サプライズと、明快なカタルシスを用意した。

 筆者なりに『カメラを止めるな!』の卓越を考えるならば、この作品の最初の勝因は、自主映画の撮影現場を題材とすることで、業界のコア層を味方につけるところからスタートできたことだろう。そこからアーリーアダプターやアーリーマジョリティ、レイトマジョリティへと広く伸びていく過程でも、基本的には「映画愛」、シネフィリーの映画として素直に流通していった感がある。

 だがそれは現象と表現の本質に亀裂を入れるミスリードだと思う。指原莉乃ら著名人の推薦ツイートがバズって認知拡大したことが象徴的なように、『カメラを止めるな!』の文体はむしろ「脱・映画的」なものだ。そもそも舞台劇が原案で、三谷幸喜との類似や影響が指摘されたように、本作の作劇法はシットコムの応用形である。説明的な劇伴の付け方などはテレビのほうが似つかわしい。

・それは幸福なことだろうか?

 つまりはハイブリッド、「横軸」の拡張力や突破力を装備したタイプの映画なのだ。それでいて普段映画をめったに観ない人にも「映画愛」を錯覚させる巧みさがある。しかも作品にはまさに下剋上的な、無名のスタッフ&キャストたちのハンドメイドの情熱があふれている。これはとても狙って果たせるものではない。やはり極めて稀有な成功作なのだ。

 おそらくまったく良い意味で、『カメラを止めるな!』の内実としては、伏線の回収という答え合わせの快楽と、ごくシンプルな体育会的な感動の他は何もない。自己完結・自己充足的だからこそ、これ1本で過不足なく楽しめる。

 つまりこれは「小さな映画」でありながら、作品外への補助線も知的解釈も要らないという、日本映画のアトラクション的モデルの模範解答ではないのか。「予備知識なしで観たほうがいい」という予備知識が最も有効なのは、実際に体感してください!というアトラクションの消費と同じ。確かに実際ライドしてみると、多少のユルさは愛敬として、ぴったりすべての仕掛けが噛み合うメカニズムでその世界に不明瞭なものは何もない。

 しかし、では本作が日本的な娯楽映画のニュースタンダードに定着して以降、小さな玩具のようなアトラクション志向が「メジャーとインディーズの液状化」全域を覆うようになったら、それは幸福なことだろうか? 「ニュー・シネフィル」派の注意点がエリーティズムへの無自覚な閉塞だとしたら、『カメラを止めるな!』的なるものは、あっけなく保守的なポピュリズムに回収される危惧がある。

・広がり続ける日本映画の多様性

 もちろん今回の「カメ止め祭り」は、自主映画界並びに映画の作り手たちに夢を与えるという意味でも大変喜ばしいことだ。しかしウォッチャーがニュートラルな視座を保ち続けるためには、現象的な沸騰にも慎重な距離を取る必要があるだろう。そのせいでシニカルな印象を与える記述があったかもしれないが、現段階で筆者が思うことを正直に書かせていただいた。

 さて、以上のように『きみの鳥はうたえる』と『寝ても覚めても』を並列させ、その向こう岸に『カメラを止めるな!』を配置する形でシーンの最前線の一断面を見てきた。この3本を概観して端的に歓迎すべきことは、日本映画のクリエイションにおいて多様性の幅がずいぶん広がっていることだろう。

 しかもそれは、もはやスクールごとの傾向といった区分けでは測定できない。スクールの内部にも雑多に個性が広がっている。例えば『カメラを止めるな!』と同じENBUゼミナールの企画「CINEMA PROJECT」で2013年に『サッドティー』という快作を撮った今泉力哉(1981年生まれ)。彼は自主と商業を往来しながらマイペースで作家性の強い映画を撮り続けている。ビタースウィートな恋愛喜劇をベースに、自身の故郷・福島を舞台にした傑作『退屈な日々にさようならを』(2016年)では震災以降の死生観へと射程を延ばした。その個性や志向は明らかに「ニュー・シネフィル」派に近い(もっと言うとホン・サンス的な資質の持ち主でもある)。また映画美学校(三宅)や東京藝大大学院(濱口)が「ニュー・シネフィル」派の牙城なのかと言うと、そうとも限らず、いわゆるエンタメ志向の監督もたくさん輩出している。

 こういった個別の動向を見ても、あらゆる党派性は解体していく傾向にある。だからこそ批評の側が、雑多な個性を整理し、状況のさらなる活発化に向けた党派性のフレームを再設定すべきなのかもしれない。ただしどんな物差しも、政権交代を目的とするような時代ではなく、「分散」のダイナミズムに沿ったものであるべきだ。そんな現状認識を踏まえつつ、これからも観察を続けていきたい。なおシーンの見取り図を描くには、本稿では重要な名前がたくさん抜けている。あくまで時期的なスケッチであることを付け加えておきたい。

■森直人(もり・なおと)
映画評論家、ライター。1971年和歌山生まれ。著書に『シネマ・ガレージ~廃墟のなかの子供たち~』(フィルムアート社)、編著に『21世紀/シネマX』『日本発 映画ゼロ世代』(フィルムアート社)『ゼロ年代+の映画』(河出書房新社)ほか。「朝日新聞」「キネマ旬報」「TV Bros.」「週刊文春」「メンズノンノ」「映画秘宝」などで定期的に執筆中。

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